頭で勝手に作られたドラマに、惑わされないで

私の脳内は、特に悪い出来事があると、途端にとんでもないストーリーを紡ぎ始める。

あぁ、あの人の中で私はそんなにもどうでもいい人だったのね、きっとこの前私が言ったことなんて忘れてしまったんだ、いや、もしかしたら体調が悪くてあまり頭に入っていなかっただけかも、土日挟んだしな、こんなことくらいで人を責めちゃう私どうかしてるぜ、もう人間やめようかな、あぁもうやだやだプツッ……ツー、ツー

そうして電話をぶち切るかのように思考は途絶え、「私がすべて悪い」とか「人類は誰も信用できない」とかぶっ飛んだ結論にたどり着いたりして。

これは本日の参考文献によると、実際に起きた「事実」と頭で勝手に繰り広げられる「解釈」の区別がついていない状態なのだそう。

▼本日の参考文献

私たちは基本、起きた出来事をありのままに認知するのが難しい生き物らしい。

これまでの数々の経験を通して、私たちの内側にはさまざまな思い込みや信念というフィルターがつくられ、何かが起きたその瞬間にフィルターを通してしまう癖がついている。

たとえば、同僚に挨拶したのに返事がなかった場合、起きた出来事は「私は同僚に挨拶をした」「同僚は黙っていた」。だけど持っているフィルターによっては無意識のうちに、「同僚に無視された」「同僚に嫌われている」と解釈してしまう。

これは別に悪いことではないけれど、何もしないでいると私たちは、頭の中の解釈が作り出すネガティブなストーリーに勝手に支配され続けてしまうのだ。

最近、私はこのストーリーから抜け出したい、と思うようになった。

このままじゃ誰と会っても何をしても、きっと誰とも通じ合えないし、本当の意味で幸せにはなれない気がして。世界を変えたいなら、まず向き合わないといけないのは外側の世界じゃない。私が勝手に生み出してしまっている内側の世界なのだろう。

本に載っているワークをしていくうち私は、信じてみるけどやっぱり人とは通じ合えないと傷つき距離を置くという、「信じる→裏切られる→逃避」のサイクルを何度も繰り返しているとわかってきた。

それがどうやったら解決するのかはまだわからないけれど、まず大切なのはこの無意識な反応を見つめ、自分にどんなフィルターがあるのかを知ることらしい。

起きた出来事の事実だけを見つめる。どんな感覚が心や身体に起きたのかを見つめる。それをどう解釈したのかを見つめる。

そして、いい・悪いの判断をせず、ただそれが「ある」ことを認める。

時間はかかるけど、一つずつ認めていくことがありのままの自分を受け入れることに繋がるはず。今はこの本とともに、自分の内側の世界を旅していきたい。

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