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自己紹介 | 言葉と音の創作家 moeca*

2021年11月、淡路島。人生で2回目の一人旅。「私の人生において "表現" とは」という、なんとも壮大すぎるテーマを握りしめて、海と山が交互に繰り返すのどかな景色の中をドライブしていた。

そんなテーマで人生を振り返られるくらいには、自分の表現を試行錯誤し続けた日々で。まぁ、それはこれからも続いていくんだけど。

あのときたしかに、物語の節目が来たような、何かが変わったような気がしたんだ。

今までの想いが、重ねてきた経験が、やっと一つに繋がろうとしている今。私のこれまでとこれからを、自分の言葉で語ってみようと思います。

これからの活動に共感してくれる人へ、届きますようにと願いを込めて。
ちょっとだけ、私のストーリーにお付き合いいただけると嬉しいです^^

※今の私の自己紹介は「これからのわたし」、その背景にある想いや経験は「これまでのわたし」にまとめています。

これまでのわたし

【第1章】内に秘めていた願い

佐賀県佐賀市生まれ。子どもの頃から人の表情の移り変わりに敏感で、まさにHSP気質そのもの。そしてたぶんHSS型。

「これを言うと悲しそう」「こうすると困らせる」。相手のわずかな変化を察して自分の言動を見直すうち、自分よりも人がどう感じるかを優先するようになっていた。

思ったことを人に話すのが苦手で、母からは「親子でも、言葉にしないと分かり合えないでしょ」と言われたことも…。でも逆にそれで一層、表現することに臆病になってしまった気がする。

ただ、傷つきやすいからこそたどり着けた気づきを、同じように悩む人にシェアして力になりたい、とは早くから考えていた。

そんな私の身近にあったのが、音楽。

3歳からピアノを習い、小学4年生から高校生まで合唱部。中学生の頃YUIが好きになり、シンガーソングライターに憧れるように。高校3年生のとき、YUIが雄大な景色の中で鼻歌を歌いながら作曲する映像を見て、「感じたことをそのまま歌にしてみたい」と心が震えた。

とはいえ、学生時代の私は決して目立つタイプではなく、部活でステージに立つことはあっても、そこで自分をさらけ出すなんてできる気がしなかった。"やりたいこと" と "できること" が大きく矛盾していて、その後もずっと悩みの種に。

高校の部活では、先輩に「(部長として)あなたはどうしたいの?」と聞かれ続け、私そもそも自分のこと全然分かってないなとハッとした。ずっと人のためを思ってきたけど、私は何が好きで何がしたいのかもう分からなかった。

まずは自分が幸せにならないと、人の幸せを心から願えないかもしれない。
そう思って少しずつ自分と向き合うように。

【第2章】表現の挑戦と届かない苦しみ

神戸大学発達科学部人間表現学科(現:国際人間科学部)へ入学。一人暮らしを始めたので、自分と向き合う時間が多くなった。本当は辛かったこと、本当は言いたかったことを日記に書き出して、過去の私の分までたくさん泣いた。

大学では幅広い芸術に触れ、音楽サークルに入ってライブを経験。今まで夢でしかなかった体験ができて充実していたけれど、あっという間に就職活動の時期に。

本当にやりたいことは、まだ始められてすらない。そう気づいて就活を辞め、「シンガーソングライター」を名乗ってライブ活動をスタート。大学院に進学した2年間でいろんな挑戦をした後、社会人経験の必要性を感じて就職することに。

ラジオ局編成部で広報を担当。でも広報はたった一人だったので、容赦なく大きな責任と仕事がのしかかってきた。心も身体もボロボロになる中で、音楽への道を後押しするような出来事が起きるように。

どうせ辛いなら、本気で夢を追いかけたい。ちょうど結婚のタイミングも重なり、会社を辞めることにした。

2019年。11月に60人もの人を集めたワンマンライブを開催するまで、私史上最大限ライブ活動に打ち込んだ年。がむしゃらに多くの人の前で歌ったけど、全然振り向いてもらえず…自分の無力さを痛感。

それでも企画ライブを頑張っていた2020年。世界の状況が変わり、ライブができない情勢に。そんな中たまたま対話と出会い、私が心の底で求めてきた "安心できるコミュニケーション" の方法があることを知った。

それに対話やコーチングを通して内省するうち、まだまだ自分の気持ちを大事にできていないことにも気づいた。本当はもうずっと前から "届かない苦しみ" で傷だらけになっていたのだ、とも。

2021年にはライブ活動を基本的にやめ、本当の本当にやりたいことを、ひたすら見つめることに。そして11月の一人旅。第3章が始まる予感がしたの。

私だからできること

第1章で音楽をやっていたのは、たまたまだった。想いをカタチにする憧れはあったけど、自分の気持ちなんて全然分からなかった。

それでも音楽が鍵になると信じ、第2章では様々な表現活動を経験。表現する怖さや届かない苦しみと闘いながら、私らしい表現やその届け方を試行錯誤し続けた。

私の歌が誰かのためになれたかどうか、分からないけれど。少なくとも、私という一人の人間を救ってくれたんだなと思えた瞬間、涙が出た。きっともう「とにかくカタチにして届ける」段階からは卒業なのだと思う。

歌を作りたい、届けたいという衝動が収まるのは寂しいけれど。これまでのすべてを注ぎ込んだ、私にしかできない表現のカタチが見つかる気がして。

「今まで生きる指針になってくれてありがとう。やっと次に進める」
そんな気持ちで今、第3章を描いている。

▼シンガーソングライターとしてライブを続けた8年間。その軌跡を綴った4つの物語と、14曲のオリジナル曲が楽しめる節目のライブ映像(noteもあります)

これからのわたし 

思えば、そんなに特別な経験はないけれど、なんともドラマチックに生きているなぁと思う。笑
"わたし" というひとつの人生を、とにかく必死に生き抜こうとしていることだけは、自信を持ってもいいのかもしれません。

あっちでもないこっちでもないと試行錯誤し続けて分かったのは、感じたことを言葉や音楽にしたいという願いが、本物だということ。

だからこそ、これからは「感じたままの表現」をキーワードに大きく2つの活動をしていきます。

1. 言葉と音、私らしい表現の追求

これからも、私らしい表現は追求していきたい。ただ、今までは「歌を作って歌う」が表現の中心だったけど、文章を書くのも、朗読するのも好き。

だからシンガーソングライターという肩書きにこだわらず、"言葉と音" を駆使して、私が感じた世界の表現を模索していきたいと思います。

●言葉×音の表現

これまでやってきた「歌(作詞作曲)」「朗読×歌」に加えて「言葉×音(インスト)」もしていきます。今はInstagramに表現を載せていますが、そのうちYouTubeやライブもするかも。

●言葉×想いの表現

このnoteでは今まで形にしてこなかった想いを綴っていきます。たくさん悩んで考えてきたからこそ、その気づきを通して、誰かをほんの少しでも幸せにできたら嬉しいです。

また、主に企業の社員さんに対し、仕事への想いや大切にしている価値観をインタビューして一つのストーリーに仕立てる、ライターのお仕事もしています(実は)。

誰かの想いを形にするお手伝いも、もっと挑戦したいな!

2. 安心して自分と向き合い、表現できる場づくり

表現とともにあった人生だけど、ずっと届けるのが怖かった。それでも表現したいのだから強くならなきゃと、自分を変えることばかり考えてきた。

でも本当は「安心して "わたし" を表現できる世界」になったらいいのに、とどこかで願っていて。

今の私は、一人でイベントを企画できる。想いを言葉にして発信できる。だから自分が欲しかった文化を、少しずつ育てていきたいと思えるようになりました。

感じたものを否定せずに抱きしめたい。それを安心して言葉にしたい。そして誰かに優しく受けとめてもらいたい。

誰しもが自分の心の中にある、自分にしか聴こえない声を感じ、言葉にして受けとめ合えるように…。
《cankoto》では、そんな温かい時間や空間を作っていきます。

***

第3章の物語は、まだ始まったばかり。SNSも全部一新して、まっさらなスタートを切りました。ここにどんどん活動報告も載せていけるよう、進んでいきたいです。
行く末を見守っていてください♪

各種SNSはこちら
Twitter:moeca_oto
Instagram:moeca_oto

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