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海の彼方に、願いを込めて | 私が言葉と音の表現にこだわる理由

人生は、呪いを解くための "魔法" を探す旅なのかもしれない

ある日ふと、そんなことを思った。

音楽と共にあった、これまでの人生。でも、それは同時に「なぜ音楽なのか」と問い続ける日々でもあって。

ずっと音楽を続けてきたけど、手放しに楽しめた体験は少ない。むしろ「音楽なんてなければ、こんなに悩まなくていいのに」と思う方が、多かったかもしれない。まるで、どこまでも付き纏ってくる "呪い" のようだな、とも思ったり。

でもね。本当の呪いは、音楽じゃなかった。

私の音楽人生の始まりは、まだ物心のついていない3歳の頃に習い始めたピアノ。その後小学4年生で合唱部に入り、中学生になるとシンガーソングライターに憧れ、ひっそりと作詞作曲を始めた。

そういえば、小説を書いてみたいなと思ったり(2行で断念)、漫画を描いてみたりしたこともある(絵心は皆無)。言いたいことや考えを詩にして、小さなメモ帳に書いていたことも。

たぶんずっと、私の中にある想いをカタチにしたかったのだと思う。それは私の奥底から湧いてくる欲求でもあったし、そうしなければという義務感でもあった。

欲求の正体は最近までわからなかったけど。義務感を生み出していたのはおそらく、「自分の気持ちを言えない」というコンプレックス。

「ちゃんと意見を言ってよ」と母や友人によく言われてきたからか、言えないのはダメなことだと思うようになっていた。「それを音楽に昇華しよう」なんて当時は思っていなかったけど。"表現" に対するある種の執着は、ここから始まっていたのかもしれない。

だから本当の意味で、何度も何度も私を悩ませてきた呪いは、「自分の気持ちを人に伝えられないとダメ」という考えだったのだと、最近やっとわかった。そして、たまたま私のそばにいた音楽は、「それなら歌で表現するのはどう?」と私に語りかけてくれていたのだと思う。

思えばたしかに、「ライブ活動をしているのに、人に知られるのが怖い」とか「内容を作ってもSNSで投稿するのが怖い」とか、悩むのは表現を人に見せることに対してで。

そう悩むときはいつも「ほんと、ダメだな私」と、劣等感に苛まれてしまう。それも呪いのせい、なのかな。

「何を表現したいの?」

1年ほど前、何の気なしに投げかけられた問いに、ハッとさせられたことがあった。表現しなきゃとは思い続けてきたのに、表現したいものはあまり考えてこなくて。

改めて向き合ってみると、ずっと共通している想いがあることに気づいた。

* 感じたことをそのまま、歌にしてみたい
* 悩んで考えてたどり着いた言葉で、誰かをほんの少しでも幸せにしたい
* "私らしい表現・生き方" を応援したい

私の表現はきっと、 "祈り" なんだろうなと思う。大したことは何もできないけど、私はただ、この世界にいる人々の幸せを純粋に願っている。

伝えるだけが狙いなら、演説とか弁論とか他にも主張の仕方はあったはずで。なのに、呪いを解くための鍵として私に渡されたのは、音楽だった。そして私が伝えたいことを表現するためにぴったりなのも、音楽であり、抽象的な言葉の表現なのだと思う。

呪いは今でも時々、私を苦しめるけど。「願いをカタチにしたい」という、奥底から湧いてくる欲求の正体を教えてくれた。きっとそれが私の人生に必要だったからこそ、呪いみたいに付き纏ってくれたのかな。

音と言葉という鍵を握りしめて、闘い続けてきた今。呪いを解くための "魔法" になりそうなものが見えてきた。

それは、私の想いが誰かに届いたという実感

ただ、私の表現は押し売りするものではない気がしていて。想いを乗せた手紙をボトルに入れて海に流し、届くのを待つみたいな。そんな形が合うんじゃないかと思ってる。

今までは、誰に届くかもわからない海に投げ入れるのは、とても怖かったけど。必要としてくれる誰かに届けるため、これからは想いを乗せたメッセージボトルを届けていきたい。祈り続けてみたい。

人生がもし、呪いを解くための "魔法" を探す旅なのなら。私は少しずつひとつの答えにたどり着きつつあって。だからこそこれまでのストーリーには、誰かを救うヒントが隠されているかもしれない。

そう信じて…
今日も言葉を紡いでみる。

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