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私がすさみに出会うまで

「私は何もできなかった。ビジネス構造に問題があると思いながら、私はそのビジネス構造を変える力も、裁量もなかった。社会課題を自分事化すると言いながら、私にとっては結局他人事だったのかもしれません

2019年9月。

私はカンボジア・プノンペン郊外のとあるオフィスで、Zoom越しに、泣きながら、私のメンターに話していた。新興国の社会起業家のもとで3ヶ月間インターンをした、その最終日だった。

私の働く会社は、カンボジアの農村部に浄水設備と水道をつくり、安全な水の普及を促す、設立たった半年のソーシャルベンチャーだった。

スウェーデン、オーストリア、日本などの途上国支援などを資金に設備を作り、村の人に営業をしてまわるというのが、主な事業だ。

「安全な水が使えないなんてかわいそう」
「1日5ドル以下で暮らすなんてかわいそう」
「私も何かしてあげたい」

現地に行く前は、純粋にそう思っていた。
テレビでよく見るような、貧しく、つらそうな顔をした、痩せ細った人々を想像しながら。

カンボジア到着後、農村部に足を運ぶにつれ、私の常識は覆されていった

もちろんお金がなく、栄養失調気味の子どもがいないわけではない。
しかし、子どもたちが走りまわり、お母さんやおじいちゃんおばあちゃん、近所の人が面倒を見て、実に楽しそうに、幸せそうに暮らしているのだ。
彼らの中には、スマホをもち、ビールやタバコを嗜む人も少なくない。

水道の営業回りについて行き、村人に話を聞いてみると、

「川の水を使ってるからいいわ」
「雨水を貯めてるからいいわ」
「家の簡易井戸を使っているわ」

と言う。

彼らは水道の水を「使いたいけど使えない」のではなく「使わないという選択」をしていたのだった。

そんな現実に直面し、偏見は打ち砕かれ、私は混乱していた。

水の安全性を訴え、村人を啓蒙することが正しいやり方なのか?」
「日本のような先進国モデルを踏襲することが、彼らにとって本当にいいことなのか?別のやり方を探すべきなのではないか?」

そんな葛藤を覚えるようになった。

彼らが楽しいと思うこと、欲しいと思うものと組み合わせることで、自然に安全な水も使ってもらえるようにできるのではないか。しかし、それにはビジネスモデル自体を大きく転換させるような決断、責任、実行力が伴う。

残された時間は2週間しかない。
この3ヶ月が終われば帰国後には自分の会社に戻る、ただのインターン身分だ。時間も、裁量も、責任もない

そんなことを考え、迷っていたら最終日を迎えてしまった。
そして、PCの前で泣きじゃくりながら、言葉にできないさまざまな想いをぶつけていたのだ。

振り返って考えれば、終わってからも何らかのかたちで関わり続ければよかったのかもしれない。現地にいなくてもできる貢献方法はあったはずだ。

しかし、再びそう言い出す勇気もなく、時が流れた。
そして、あれからずっと心のどこかにやりきれない気持ちが残っていた

いつかまた、小さな町・村の社会課題に、限界を設けず挑戦したい。
社会的価値と経済的価値が共存するビジネスモデルを作りたい。
先進国や都市の考え方でなく、その土地に合った第三の道を開拓したい。

そんな想いを心の奥に抱えていた。

東京生まれ、東京育ちの私には、まったくもって地方との関わりがない。
だから、こんなことはまた夢の夢、先の話だろうと思っていた。

時は流れ、2022年6月、私は武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパスにいた。
産学連携プロジェクトという、主には学部3年生向けのプロジェクト説明会を聞いていた。

「和歌山県すさみ町という、人口3,000人ちょっとしかいない、海と山と川に囲まれた、自然豊かな町です。ここには、お茶目な町長と副町長がいて、お世話好きのおばちゃんたちもいます…」

先生が、このプロジェクトの概要を、実に生き生きと話し始めた。

これは、私の心に引っかかった何かを解消できる機会かもしれない。
直感的に、そう思ったのだった。


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