特殊な浪人時代のこととか

浪人時代のことを忘れないための自分用覚書です。

こういうのは詳しく書いたほうがためになるのかな?結構特殊な例だと思うので、それを踏まえて読んでください。

私は小中ともに公立の学校です。高校に上がるタイミングで初めて受験というものを経験しました。高校は地元のいわゆる自称進学校というところです。

高校は三年に進級するまではすごく大きな問題が発生するわけでもなく
(もちろんなんとなく学校が自分に合ってないなと感じることは多々ありましたが)
普通にほぼ皆勤で通えていました。しかしながら三年に上がったタイミングで、母親が精神病になったり、教師のパワハラだったりなんだりで、学校、家ともに居場所を無くしてしまい、家の自分のベッドに引きこもるようになりました。そんなんで不登校になり、無事に通えていた高校も進級が難しくなり退学します。

その後ぎりぎりで通信の高校に転入し、なんとかダブらずに卒業することができました。通信の高校もなんとか卒業したという感じで卒業の3月時点でも、心身ともにボロボロだったのですが、このままずっと家にいるわけにもいかなかったので浪人することに決め、河合塾に通うことにしました。ここから先の浪人生活はほぼ普通の浪人生の生活だと思います。

4月〜8月くらいまでは9時から18時くらいまで自習室で過ごし、その後家で晩ごはんを食べてそのままダラダラして寝るという生活を送っていました。最初の頃は受験勉強というよりかは生活を立て直そうという感じでした。

ちなみに、浪人すると言っても国公立を目指す体力はすでに尽きていたため、私立専願になりました。3年になるまでは普通に高校に通えていたのもあり、5月くらいの模試の成績はそこまで悪いものではなかったため、その成績で早慶クラスに入れられました。現役時はほぼ早慶とか考えてなかったです。その時は偏差値65〜67くらいの国公立志望でした。校舎自体があまり大きくなかったので結構アットホームな感じで一年間過ごせました。振り返ってみても、すごく辛いということはなく、比較的良い精神状態で一年を過ごせたと思います。もし、これから浪人で不安に思っている方がいたら、私みたいにこんなにボロボロになっても比較的安定して過ごせた人もいるよ!って思って欲しいです。

9月ぐらいからは結構体調も戻ってきてかなり勉強に本腰を入れ始めました。自習室が閉まる時間までいた気がします。
その時の偏差値(河合模試 記述)は
英語 70ちょっと、国語 62位 世界史 60ぎりぎり
みたいな感じでした。あんまり焦りとかもなかったですね。
この時は慶應の法学部志望でした。動機はうちの高校では慶應の法学部に合格する人は多分いないなって思ったからです。(普通に失礼)
とにかく高校時代の友人に会いたくないの一心で勉強しました笑
そんな弱い動機でよく頑張れたな自分、、、

なんやかんやで、授業は皆勤で秋冬と過ぎていったのですが、講習と通常授業の間など、一時的に講義がない期間は、塾にいって勉強するといったことはできず、家のベットの上で5日間くらい過ごしていました。この辺りは、まだ引きこもり時代の後遺症が残っていたのだと思います。

あ、ちなみに友達は塾に一人もいなかったです。
不登校を経ていたこともあってかなり人と関わるのが怖くなっていました。

割と平穏に浪人時代を過ごしていたのですが、
共通テストの2週間前の時期、流石に講義がなくなってしまい、私はモチベーションを失って、一週間くらいベッドの上で過ごすということがありました。親もここまで頑張ったのに、、言っていましたが当の私はもう何も感じることができなくなっていました。あまりにも1、2年で色々あり過ぎて心が麻痺していたのだと思います。

それでもなんとかやる気を取り戻し、塾に向かい勉強しました。私立専願でそれまでかなりコツコツと頑張れていたこともあり、なんとかなりました。

結局法学部には行けなかったのですが、第二志望に合格することができ(第一志望以外は全て合格でした。)、現役時代には、自分なんて無理だと思っていた場所に通えています。

まあ、かなり色々ありましたが今かなり楽しくやれている?ので、
これから浪人だ、、と絶望している方々もそんなに肩を落とさないでください。

とにかく勢いでこの記事を出したので、すっごく読みにくかったと思いますが、ここまで読んでくださった方本当にありがとうございます。
気が向いたら、色々詳細なこととかも書こうかな。


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