書評『移動祝祭日』/アーネスト・ヘミングウェイ
ヘミングウェイの視点で切り取られた1920年代のパリ
『日はまた昇る』『老人と海』など数々の名作を世に送り出し、キューバの海とフローズン・ダイキリをこよなく愛した文豪の最期は、ショットガンによる自殺だった。生きていればもうすぐ62歳を迎えるはずの、1961年の初夏の日の出来事だった。
ヘミングウェイがその最晩年に遺したのが本書『移動祝祭日』であり、その内容は、彼がパリで過ごした20代の日々を綴った回想録だ。若き日の彼は作中でセーヌ河畔を散歩し、シェイクスピア書店に通い、カフェで創作に勤しみ、スコット・フィッツジェラルドらと語らい、そして彼にとって最初の妻となるハドリーと二人で愛を囁きあう。パリの街が見せる四季折々の表情も、作品の随所で彼は見事に描写している。寂しげに枯れていく秋冬のパリ、そして喜びに満ちた春夏のパリーー。
ここで作中の彼の言葉を一節引用したい。おそらくそこに、彼が最晩年に本書を残すに至った確固たる動機があるからだ。
「もしきみが幸運にも/青年時代にパリに住んだとすれば/きみが残りの人生をどこで過ごそうとも/パリはきみについてまわるーー」
ヘミングウェイは、パリという街に魅了され取り憑かれてしまったのだろう。キューバの海に抱かれながらも、胸の内には常に花の都がつきまとっていたのだ。そしておそらくは、氏のまだ若かりし頃の日々の思い出も。その気持ちは理解できる気がする。私もまた、青年時代に住んだパリの記憶を振り払うことができずにいるからだ。もう戻ってこない青春の日々の舞台に、パリという街は似合いすぎている。
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