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チャリの逆走とナニワの愛想

東京で暮らしていたころ私は近距離の移動手段としていつも自転車を利用していた。大阪に引っ越してきてから1年ほどになるが近場の移動は変わらず自転車に乗っている。自転車には移動手段としての利便性だけでなく季節の変化を肌で感じられたり手軽に気分転換ができるという利点もある。引っ越してきてからは自転車に乗りながらこの街の魅力を探るという楽しみも加わった。

大阪には8車線もあるのに一方通行の広い道もあれば車1台分の幅しかないのに対面通行の道もあり自転車の機動力を存分に活かすことができる街だと言える。車では入ることのできない路地裏には魅力的な店が隠れているものだ。駐車場を探す必要もないので見つけた瞬間に自転車を止めてその店に立ち寄るとどの店でも店員が気さくに(友達かのように)話しかけてくる。これも大阪ならではの特徴だと言っていいだろう。気軽に話しかけてくるのは店員だけではない。常連と思わしき客も初対面の私に対して他の常連客に話すのと同じ勢いで世間話を始める。人によっては苦手かもしれないこの行動は大阪人特有の人懐っこさを最も表しているかもしれない。

しかし自転車に乗って街を走っているとしばしば私には理解のできない行動に遭遇する。それは“自転車の逆走”だ。交通ルールにしたがって車道の一番左を走っている私の前から自転車が向かってくるのだ。東京ではほとんど経験することのなかったこの状況に大阪では頻繁に遭遇する。子供を乗せた母親が逆走してくる場面に遭遇したことも1度や2度ではない。最初は戸惑っていた私も最近では憤りを感じるまでになりその理由を何人かに聞いてみた。すると大半の人が「交通ルールを知らんねん」と答える。人によっては「へ〜そんなルールあるんや」と。しかし逆走することによって起こり得る危険を想像できていないことはルールの知識とは別の問題だ。私の憤りを引き起こしている要因は“人の迷惑を考えないその行動”にあると思っている。正面から私の方に向かってズケズケと走ってくる自転車はなんと自己中心的なのだろう。

しかし、待てよ、よく考えてみればこの感じ、何かに似ている。

たまたま入った店のフレンドリー過ぎる接客や初対面の私に話しかける常連客の距離の近さ。交差点で信号待ちをしているとき知らないおじさんから今日の天気について同意を求められたことさえある。

「にいちゃん、今日も雨降りそうやなぁ」

自転車の逆走に遭遇したときのこの感じは私が大阪の人々から感じる“圧力”に似ている気がするのだ。しかし人の迷惑を考えずズケズケと話しかけてくれるからこそ私はそれほど時間もかけずにこの街や人に馴染むことができたような気もする。そして大阪人特有のこの感じがあるからこそ私はこの街に魅力を感じていたのではないか。そう考えると子供を乗せて逆走する自転車の行動はナニワのオカンの強さの表れなのではないだろうか。大阪の街をチャリで縦横無尽に走り時にはルールを破って生き抜く力強さを。

今日も自転車に乗っていると近所のお母さんが子供を乗せて前から逆走をしてきた。私が道を譲ると女性は愛想の良い笑顔で挨拶をしてチャリで颯爽と走り去っていった。

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