見出し画像

洗濯物はピンチにくっついてさえいればいい

先日義理の母が遊びに来て、洗濯物を干してくれた。
「干し方とかある?」と聞いてくれた。
「ありがとうございます!あ、もうなんでもいいです!くっついてさえいれば!」
と言ったら笑ってこう言った。

「前に亡くなった母の洗濯物を干してあげた時「違う!」と言われて、全部やり直されたことがあったのよ〜」

家族の家事あるあるではある。
他人の家事のやり方を、受け入れるのはむずかしいということだと思う。

特に1人で頑張ってきた人は、なおさらだと思う。

私はいまでこそ、
夫が干す意味不明な洗濯物
(大抵、片方にだけ人が乗ったシーソーみたいになっている)も
ノーコメントで受け入れてはいるが、
以前は義祖母のようなタイプだった。

夫と共同で家事をやるうちに、諦めたり、自分が執着しているな〜と悟って気にしなくなったり、だんだん自分ルールを手放していった

汚れた食器をシンクに入れる時、食器が大小ごちゃまぜに入っていても萎えなくなったし、
食器もとりあえず棚に入っていれば、どこに置いてあってもよくなった。

だけど靴下とパンツを一緒に洗うのはどうしても譲れない。
そんな風に
どうしてもここだけは、
のみ守ってもらうよう夫に共有している。

そうすると「所員ちゃんはこだわりが強いから触らないようにしてる」とかなんとかいって、サボろうとするので、
「このカゴの中は夫のやり方でオッケーな洗濯物」というルールでいまのところはやっている。
※「こだわりが強い」もよく言われる言葉。
私にとっては当然の作業も、他人にとっては「ヘンなこだわり」
これを理解して受け入れるのも時間がかかった。

「任せる」ということは過程に口出ししないこと。
口出しすれば「じゃああなたがやって」になる。

冒頭の義母と義祖母の話からも、
目の前でやり直しされた義母の虚しさたるや…
「じゃあ最初からお母さんやってよ」という言葉は飲み込んだことだろう。

お母さんはなんで娘である義母に洗濯物を干してもらったか。
それは高齢で体がしんどかったからとかなにか理由があったはず。
人にお願いしたら自分が楽になる。
なのに口出しをしたら、結局自分がやることになってつらくなる。

自分で自分をツラい環境に追い込んでいるんだ。

一旦は人に任せたら、その先は「ありがとう」だけで終わらせねば。

自戒も込めて。

この記事が参加している募集

#家事の工夫

3,834件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?