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創作大賞「ドラゴン・シード」#11

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

11話

「お姉ちゃんを助けて‼」
 今にして思えば、あの距離で、あの状況で、サシャの声がなぜ聞こえたのかわからない。
 しかしとにかく、雑居ビルの前にいたジンは、ふいに聞こえたサシャの声で、公園の地面に這いつくばって奈落に落ちかけているケイトの身体に間一髪で飛びついた。その瞬間、穴の向こう側にグイと強く引っ張られる感覚がして、ケイトが死に物狂いで何を掴んでいたのかを知った。
「サシャ‼」
 気づいた時には遅かった。
 血だらけのケイトを抱え、身動きできなかったジンの目に一瞬映ったものは、瀕死の女王蟻が必死で伸ばした爪の先が、サシャを引っ掛け火炎の地獄へ道ずれにした瞬間だった。
 その刹那、サシャがホッとしたように笑って見えたのは、ジンの都合のいい願望だろうか。
 怒り狂った蟻の女王は、それを最期にさらに深い灼熱の蟻地獄に落ちていった。
 そして、ジンの腕の中で気を失っているケイトの状態は、まごうことなく瀕死だった。
 ジンはケイトを穴に墜落させまいとして、腹に刺さっていた金属片を気づかず抜いてしまったのだ。
 ケイトの出血は、今や取り返しがつかない状態だった。
 酸素を含んだどす黒い動脈血が、必死で止血しようとするジンを嘲笑うように、残らず流れ出ていこうとしている。
「ケイト、死ぬな‼ 目を開けろ‼ ケイト‼」
 ジンたちのただならぬ様子に気づき、ゴッシュや他のメンバーがわらわらと集まってきた。携帯用救急キットの中から皆が必死で魔法薬を引っ張り出し、ありったけを振りかけたがケイトはすでに失血しすぎている。
 誰かが無線で怒鳴っている。
「魔術士を全員本部前に寄越せ! 早く‼ 早くしろ‼」
 頼りの魔術士たちは総出で、そこから一番遠いセクターの辺縁でチューブの封印にかかっていたのだ。
 心臓の鼓動が弱くなり、もうダメだと思ったその瞬間、サシャが飲み込まれた地面の穴から、強く明るく光る何かが飛び出してきてケイトを包み込んだ。
 空中に金色に輝く不思議な魔法文字がいくつも浮き上がり、何かの図形や線画と混じり合い、光の帯になった。それはリボンのようにたなびきながらその場にいる人々を取り巻き、くるくると渦を巻きながら、そこにいた人々から何かを吸い上げてゆく。それは、そのまま細く収束しながらケイトの傷口に向かって飲み込まれていった。
 同時に、聴いたことがない美しい魔法うたが細く流れている。濃く深く切なく重く、締め付けられるような暖かいその歌声は、残酷なほど美しい。
 サシャ……?
 が、そんな幻想的な光景とは裏腹に、ジンの頭の中がカーッと熱くなり、顔が膨れ上がるような感覚がする。それと同時に身体はどんどん冷たくなってゆき、頭がガンガンして目の前が暗くなってきた。
「うう……」
「うわあ……」
 その場にいた全員が、この現象に巻き込まれ戸惑いながらも、ケイトの出血が止まっていることに気づいた。そして、真っ白だったケイトの顔色がわずかに赤みを射した。
これはきっと、サシャの魔法うただ。そう思った。
 魂というものが本当にあるのなら、サシャは死んでしまっても、魂のありったけを使って姉を救おうとしている。今まさに消えかかっているケイトの命の炎を、なんとか灯そうとしているのだ。この穏やかで力強く優しい魔法は、サシャそのものだと思った。
 ──お姉ちゃんを助けて!
 サシャはそう言った。自分ではなく姉を助けてくれと言ったのだ。
 ジンは自分の全てを差し出してもいいと思った。
「ジン! ジン、代われ‼ ケイトから手を離せ‼ おまえが死ぬぞ‼」
 ゴッシュの声が遠く聞こえる。
 それでもジンは、ケイトを抱えたまま離さなかった。
「い、いやだ……サシャ、俺のを全部持ってけ……」
 だが、ゴッシュの怪力には敵わなかった。
「バカヤロウ‼ てめえひとりで背負おうなんて厚かましいんだよ‼」
 無理やりケイトから引き離され、ジンは取り返そうとしてゴッシュの手刀を延髄に食らい、その先の記憶が飛んだ。

 ジンの意識が戻ったのは三日後だった。
 作戦本部前の小さな公園は、大昔の地下坑道を埋め戻したあとに作られた公園だった。地盤が弱く、ビルや家を支える強度がないからこその公園だったのだ。
 なんという迂闊だ。公園にはよくあるケースじゃないか。
 すでにその痕跡の残る地図さえ失われていたとはいえ、ジンは悔やんでも悔やみきれない見落としをしていたのだ。
 そして、働き蟻の五倍はデカイ巨大な女王蟻は、焼け爛れた巨体を引きずり、復讐に燃えながら、数キロの道程を彷徨った。
 地盤の脆いその坑道から、地上に這い出ようとしたのは、ケダモノの本能としか言いようがない。すでに燃え殻になっていた働き蟻の骸が、そこに積み上がっていたこともあったのかもしれない。彼女は我が子の屍を踏み越えてきたのだ。
 最悪のタイミングで最悪の事態が起きた。偶然といえばそれまでだが、俺がもっと注意を払っていれば、あの公園を避ける注意喚起は出来たはずだったと、ジンはその後何度悔やんだかしれない。 
 セントラルの味気ない病室でジンが飛び起きた時、ゴッシュがたまたま側にいた。
「ゴッシュ、ケイトは⁉」
 言いながら、ベッドから這い出ようとしてゴッシュに無理やり押さえつけられた。
「まあ落ち着け。ケイトは無事だ」
 心底ホッとした。そして、すぐにでもケイトの無事な姿を見に行こうとした。ゴッシュの腕からなんとか逃れようとしてもがくジンを押さえつけながら、ゴッシュが言った。
「大人しくしろ。そして、最後まで俺の話を聞け」
 いつになく真剣な眼差しで、自分を見下ろすゴッシュの迫力に、ジンはもがくのをやめてまっすぐ彼の目を見返した。そもそも、たったこれだけの行動でなぜか息が上がった。
 こうやって改めて見ると、ゴッシュはなかなかハンサムだ。そういえば、ジンより五つ上の兄貴分だったっけとどうでもいいことを思った。
「……わかった」
 ひとつ、大きく息を吸い込むとゴッシュはゆっくり話し始めた。
「いいか、ケイトは無事だ。ちゃんと生きている。怪我の治りは順調で、このままいけばいずれ回復するだろう」
「そうか……」
「だが、意識はまだ戻ってねえし、今、あいつには医者や看護師が誰も近づけねえ」
「え……?」
「腹に開いたデカイ傷口に絡む何かの魔法うたが、近づくものの精気をみんな吸い取っちまうんだ」
 地面に開いた穴から飛び出したサシャの暖かい光。
 細く流れる美しい魔法うた
 それに包み込まれる血だらけのケイト。
 その傷口に向かって収束し、吸い込まれてゆく光り輝くサシャの不思議な魔法陣。
「あの魔法は、一種の封印術でケイトの傷を治しているみたいだが、近づく者にとってはたまったものじゃない。精気を吸い取られるわけだからな。そのせいで、ケイトを抱えていたおまえは危うく死にかけた。意識が戻るのに三日もかかったのはそのせいだ」
「……」
「あいつは特別室で隔離されている」
「……離してくれ、ゴッシュ。俺は行く」
 ゴッシュの顔がふっと綻んだ。
「そう言うと思ったよ」
 だが、ジンを押さえつける腕の力は緩めない。
「あいつには人の精気が必要なんだろ? だったら……」
「ジン、ケイトは俺が鍛えたんだ。あいつが十四の時からな。最初はチームの雑用や補給からだったが、元々素質もあって、剣を覚えてたちまち頭角を現した」
 そういえばゴッシュは、ほんのガキの頃から軍隊にいたと言っていた。両親を早くに亡くし、幼い弟妹を育てるために必死だったと。同じように早くにシングルマザーの母親を亡くし、病気がちの妹をひとりで養うケイトに共感したのかもしれない。
「一緒に厄介な敵と何度も戦い、同じ釜の飯を食ってきた。俺たちがあいつを見捨てるわけないだろう」
 ゴッシュに連れられて、ジンは広い病棟のさらに奥にある、隔離病棟までついていった。何重にも据え付けられた扉を何枚も通り過ぎる。
 ゴッシュのごついアーミーブーツの音が、リノリウムの床にゴツゴツと反響する。対してジンは、心もとない病院の寝間着に、ペタペタと情けない音を立てるスリッパだ。病院の廊下を少し歩いただけで、息が切れる始末だった。
 やっとたどり着いたケイトが眠るガラス張りの病室の中には、見覚えのある軍人が三人いて、その中には立派な青年になったジュールもいた。だが、ケイトの腕を取り、心配そうに顔を覗き込んでいる様子はどこかまだ幼く、人懐こい大型犬みたいだと思った。
 そして、隣の処置室では、椅子に座って点滴を受けている者が数人いる。皆黙ってポツポツと輸液が落ちるのを待っていた。
「よう、ジン、もういいのか?」
 マシューに声をかけられた。
「ああ、ありがとう。もう大丈夫だ」
「ケイトは俺らのおかげで順調だよ」
 ショーターが言った。
「そのようだな」
「そういうことだ」
 ゴッシュが言った。
「ひ弱な医師や看護師は近づけないが、鍛え抜いた荒くれどもならなんとかなるって寸法だ。当初は五人いても、十分でみんなひっくり返ったが、今は三人が三十分いても平気だ。ずっと細く流れていた魔法うたももう聴こえない。もちろん、死人はひとりも出ていない。みんな具合が悪くなる前に、交代で病室に詰めている。まぁ、これを治療と言えるかどうかはともかく……」
 ケイトを救おうとしてくれた兵士たちは、ゴッシュのチームばかりとは限らなかった。皆、姉妹二人で必死に生きている駆け出しの赤毛のルーキーを大切に思っていたのだ。
「ゴッシュ、サシャは……」
 ゴッシュが痛みをこらえるように初めて俯いた。
「今みんなで必死に遺体を捜索しているが、まだ報告は上がってこない。残念だ……」
「……そうか」
 その日の夜中、ひとりでそっとケイトの病室に行くと、昼間もいたジュールがひとりでケイトに付き添っていた。なんとなく入って行けずに、ガラスの外でそっと見ていると、ジュールは眠っているケイトに屈み込み、慈しむようなキスをした。
 そうだ、俺にはケイトの傍にいる資格などないのだとジンは思った。

◇ ◇ ◇ ◇

 ジンは病院を退院すると、すぐに縄張りだった第ニセクターのヤサを変え、遠く離れた犯罪者やゴロツキが身を潜める0セクターに移動して親しい者の前から姿を消した。
 そして、実にわかりやすく荒れに荒れた。
 浴びるほど酒を飲み、そのせいでギルドの簡単な単発仕事をフイにし、それが面白くなくてまた酒を飲む。そして、泥酔した挙句に揉めごとに巻き込まれ、あるいは自ら起こし、朝、目を覚ますと顔が変わるほど腫れ上がっているなんて事はしょっちゅうだった。
 気づけばまともな人間は誰もいない。
 自分の儲けのことしか頭にない、弱くて卑怯者の嘘つきだけがジンの周りを取り囲んだ。
 怪しいスラムの中でもさらに危険な地域に入り浸り、違法な商売に手を染める人間とも多く関わった。娼婦のヒモだったこともある。
 捨てるものなど何もないと思っているのに、酒だけは手放せなかった。それを手に入れるためだけになんでもした。
 そんな時に、たまたま戻っていた第ニセクターで、今のコテージに通じる未登録のチューブを見つけた。
 どうとでもなれという気持ちで飛び込んだのだ。
 極寒の氷漬けの世界か灼熱の砂漠か、それとも数時間で内臓が腐り、亜種が口を開いている異世界の奥地なのか。
 結果、そのどれでもない今の静かな寝ぐらを手に入れたというわけだ。
 そんな幸運も、ジンが世界に嫌われている証拠だと思った。誰にでも平等なはずの死の世界すら、ジンを嫌って遠ざける。何をやっても思い通りにいかない。
 祈りのない世界だ。生かしてくれと祈っても、死なせてくれと祈ってもどちらも叶わない。そんな祈りになんの意味がある。神なんかいないのはわかっている。
 住み始めたのはずいぶん後になってからだが、かろうじて形をとどめている廃墟になりかかったコテージは、自分の墓場にふさわしいと思った。この頃、ジンは泥酔した頭でここへのチューブの座標を示す数桁の数字を、ケイトにメールしたことがある。
 翌朝、その痕跡を自分のモバイルに見つけた時は心底落ち込んだ。
 長く使っていた以前のアカウントはすでに捨てていたので、そのメールが誰からのものかケイトにはわからなかっただろうが、そもそも、どこの誰ともしれないメールに、わけのわからない数桁の数字が送られてきて、ここに来ようとするモノ好きがどこにいる。
 百歩譲ってそこまで来たとしても、そこにあるのは未登録のチューブだ。まともなやつなら誰だって逃げ出す。
 だが、寝ぐらを変えようとしてできなかった。もしかしたらと思ったのだ。自分のそんなあさましさが心底情けない。ジンは、神に祈る代わりにケイトに救いを求めて祈ったのだ。
 それから十年、あのチューブを通る者はジンひとりだった。
 当然だ。
 たとえあのメールがジンだとわかったとしても、ケイトがここへ来るわけがない。
 ケイトがジンを許すはずもない。
 そう思い込んでいた。 
 荒れた生活を続けるせいで人の恨みをいくつも買い、それでも酒浸りでまともな思考力を持たないジンは、ある日、気づくと危険な亜種が囚われている狭い倉庫に閉じ込められた。亜種の密輸業者が、捕えた亜種ごと打ち捨てた小屋だった。
 排泄物の強烈な悪臭と、生き物のムカつくような腐敗臭がする。
 そこにいたのは痩せ衰えた殺人豹キラーパンサーだった。ヒョウに似た眼のない美しい亜種だ。頭に何本も角のような棘がある。下顎全体を耳まで割いて、鋭い牙から涎を滴らせながら、ジンを喰うチャンスを伺っていた。
 これが俺の死の形だというなら、ちょっと美しすぎるんじゃないかと思った。サシャはあんなにも醜い巨大蟻に飲み込まれたというのに。
 ガァァァァッ――
 獣が喉を鳴らし、踊りかかってきた。
 鋭い爪のついた前脚でジンを引き倒し、左肩の肉を食いちぎられた。飢えてやせ衰えているのに、美しい獣はズシッと重い。えぐられた左肩は、酒で感覚が鈍くなっているので何も感じない。ただ熱いだけだった。
 獣が大きく口を開き、涎が顔に滴り、鋭い牙と真っ赤な口蓋が目の前に迫る。
 弱ったこいつの糧になるなら、俺も少しは救われるかもしれないと、そんなことを思った。


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