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創作大賞「ドラゴン・シード」#9

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

九話

 ジンがケイトに初めて出会って間もなく、バザールの裏通りで営業している小さな魔法道具屋で、半年待たされた挙句やっと万能薬を手に入れた。この魔法薬はジンの五回分のギャラが軽く飛ぶ。しかし、これにはそれだけの価値があった。
 エメラルドグリーンのその薬を見ながら、出会ったばかりのあの赤毛ケイトの瞳の色みたいだと思った。
 ジンはそれを懐に、ほくほくの気分でバザールの外れに建つアパートに向かった。次の幽霊猫ゴーストキャット討伐で使う支給品を赤毛に届けるためだ。
 モバイルのマップを見ながら通りをゆき、古びたアパートの階段を上ってゆく。二階の部屋のインターフォンを鳴らしたが反応がない。留守かと諦めようとして、念のため部屋のドアをノックすると、部屋の中からガタンと何かが倒れる音がした。
 何か不穏な気配を感じ、ドアに耳をつけると誰かのうめき声がする。鍵が外される音がした。慎重にドアを開けると、ドアの内側でブロンドの少女が苦しそうに蹲っているのが目に入った。
「お、おい、大丈夫か⁉」
 少女は、ひっひっと短く息をするだけで、意識は朦朧として唇は紫になっている。完全にチアノーゼを起こしていた。これは、おそらく喘息の発作だ。
 ジンは慌てて懐から買ったばかりの万能薬を取り出した。
 少女を膝の上に抱え、紫色の唇にエメラルドグリーンの薬を一滴垂らした。
 その途端、彼女は大きく息を吐き出したかと思ったら、次に空気を求めて激しく咳き込んだ。
「ゴホゴホゴホッ………」
 苦しそうにジンのシャツを掴んで必死に呼吸を立て直そうとしている。 「落ち着いて、もう大丈夫だから、ゆっくり呼吸して……」
 ジンが背中をさすりながら、彼女のパニックをなだめている。
「ふぅ…はぁ……」
 ようやく唇に血色が戻ってきて、彼女の青い涙目と目が合った。そして、少女はジンが手に持っている万能薬の瓶に手を伸ばした。
 手に瓶を握らせてやった。
「おね…ちゃん…瞳の色……キレイ……」
「ああ、そうか、君はケイトの妹さん? これは万能薬だよ。喘息かい? この薬なら――」
 背後でドサッと何かが落ちる音がした。
「あ……」
 少女の目が見開かれ、殺気がブンッと空気を震わせた瞬間、ジンはとっさに左の側頭部を左腕でかばった。
 が、衝撃を受け止めきれず、少女を膝に乗せたまま、鋭い回し蹴りを食らって右側に大きくよろめいた。
「うわっ」
「サシャこっちへ‼」
 ケイトだった。
 ケイトは、ジンが蹴りを受け止めたことがショックだと言うように目を見開いている。
 しかしすぐに体勢を立て直すと、サシャにバスルームへ行けと促した。
 おそらく、この部屋で唯一鍵のかかる部屋なのだ。 
 ケイトの足元には、投げ出された買い物袋が中身をぶちまけていた。その中には買ったばかりのぜんそくの薬の箱が転がっている。
「お、お姉ちゃん……」
 サシャが何かいう前に、ケイトはすでに腰のナイフを手に取っていた。 「わあ、待て! 俺だ! さっき次の作戦の打ち合わせやったろう⁉」
「ジン、何しにきた? なんでここを知っている?」
「それは……」
 顔見知りだというだけで、ケイトは決して男に油断したりしない。この姉妹は今まで、そういう男たちからたっぷり苦渋を味わわされている。厳しい訓練を受けたケイトの高い戦闘力が、かろうじて二人を守っているのだ。
「お姉ちゃん、これ見て……!」
 やっと呼吸を取り戻したサシャが、手に持った綺麗な小瓶を見せて、ケイトに事情を説明した。
「さ、さっき発作が起きて、この人が、ジンさんが助けてくれたの。すごいの、この薬」
 必死でいうサシャの言葉をジンがすかさず補足した。
「Sランクの魔術士が作った万能薬だ。彼女が喘息の発作を起こしているみたいだったから使った。この薬は根治はしないが、怪我も病気も、症状を治めるにはこれ以上の薬はない」
「万能薬……? これが?」
 ケイトが初めて見たという顔をしている。能力の高い魔術師が、自分の血液と魔石を使って半年がかりで作るとても貴重で高価な薬だ。
 ケイトがようやくナイフを下ろし緊張を解いたのを見て、ジンが腕をさすりながら立ち上がった。
「あー、イッテー。おまえ、思いっきり蹴りやがって、腕が痺れて感覚がないぞ、まったく……」
「すまない。私はてっきり……」
「まぁいいさ。とりあえず俺の首は無事だったしな。それに、君らのような美人姉妹が物騒な土地で生きていくなら、用心に越したことはない」
「自分はそうじゃないと?」
 ケイトがおまえに何がわかると反感を露わにした。
「さあな。俺だけ例外だというつもりはないさ。と、いうわけで、次のゴーストキャット用の熱感知ゴーグルを持ってきた。セントラルの支給品だが、ブリーフィングの時、渡すのを忘れていたんだ。住まいを知っていたのは、すでに渡してある小型無線にGPSが仕込んであるからだ」
「ああ……」
「じゃあ、ここ置くぞ。それと、無線の電源は作戦が始まるまでは切っておけ。そのことも注意しにきたんだ。よそのチームにも筒抜けだぞ」
 言われてケイトは、慌てて電源をオフにした。
 ジンはテーブルの上にケースを置くと、そのまま帰ろうとした。
「あ、薬」
 サシャが慌てて万能薬を返そうとすると、ジンは少し考えるようにして「ここで預かってくれ」と言った。
「こんな貴重で高価なもの預かれない」
 ケイトが驚いて断ると、ジンはまた少し考えてからいった。
「預かってもらうだけだ。その預かり料として、また発作が起きた時は使えばいい」
「でも……」
「じゃあ、こういうのはどうだ? 向こう半年、おまえは俺と専属契約を結ぶ。その代わり、薬を使った場合、一回につき一回、仕事のギャラを薬代として3%カットさせてもらう。どうだ?」
「……それなら専属契約じゃなくとも」
「それ乗ります!」
 ケイトが断る前にサシャが声をあげた。
「え」
「ね、お姉ちゃん、そうしようよ! 私、久々の大発作がこの薬一滴で治ったの! ね、お願いお姉ちゃん!」
 ケイトはサシャのわがままを断れない。サシャはもともとわがままを滅多に言わないし、普段病気がちで何かと辛抱の多い生活を強いられているからだ。
 そもそも、ケイトが女だてらにこんな危険な仕事に足を突っ込んだのは、サシャの薬代を稼ぐためだ。この世界では魔法薬でなくとも薬は総じて高価だ。
「それと、ジンさん、うちで夕食でもどうですか?」
「え……」
 ケイトは渋い顔をしたが、ジンは途端に人懐こい笑顔で「喜んで!」と言った。
「だって、食事は大勢の方が楽しいし、私だってたまにはお姉ちゃん以外の人にも食べてもらいたいよ」
 ケイトがあからさまに「ち」と舌打ちしていい気になるなよという顔で睨んでいる。
 ジンはそれに気づかないふりをして無邪気に笑った。
 以来ジンは、姉妹の住むアパートに度々出入りするようになった。

 そんな付き合いが二年ほど過ぎた頃、ジンは、サシャに教わったばかりの魚料理が、案外簡単でうまくできたことに満足しながら、次の仕事の準備をしていた。
 殺人蜂キラービーと呼ばれる大人の掌ほどの蜂の亜種だ。獰猛で毒を持ち、集団で襲ってくる上に、獲物の体内に卵を産みつけるという厄介な性質を持っていた。産卵対象の動物は主にネズミやウサギなどの小動物だったが、ごく稀に人間に産みつけていくこともあるので大騒ぎになる。そんな資料を流し読みしていた。
 食器を洗いながら、サシャが鼻歌を歌っている。皿を洗う水音に混じるその歌声が、何かと尖り気味のジンの気持ちをほぐしてくれる。
 ちなみに、ケイトは昼飯を食うとさっさとトレーニングに行ってしまった。近頃ケイトは、ジンが来ると何かとサシャと二人きりにしたがったのだ。
 と、ジンの目の前にある小瓶が小さく光ってカタカタ揺れているのに気づいた。
「……?」
 一瞬、地震かと思ったが身体に揺れは感じない。それに、カタカタと振動しているのはその小瓶だけなのだ。それはやがて、サシャの鼻歌のサビに合わせてだしぬけに中身が溶けた。
「──っ⁉」
 思わすサシャを振り返った。
 食器を洗い終わったサシャがこちらを振り向き、「コーヒー飲む?」と笑顔だ。
「サシャ……?」
「ん?」
「おまえ、魔術士の声があるのか?」
「んん?」
 サシャはきょとんとジンを見た。
 小瓶の中で溶けて液体になっているのは、あとでチームの魔術士に渡そうとして買ってきた魔石だった。
 チームのリスクを極端に軽減する魔術士の存在は貴重だ。亜種討伐のチームの中に必ずしも入っているとは限らない。多くが持たずにやっている。その才能を持つものはおよそ千人に一人という割合だ。才能に恵まれているとしても、危険な前線に赴き一線で活躍できる魔術士ともなるとさらに絞られたのだ。
 ジンはサシャにすぐにでも師匠につくべきだと言った。
「いい師匠なら俺が紹介してやるから」
 すぐに思いつく魔術師の候補が何人かジンの頭に浮かんだ。
「うーん……」
 つい勢いで提案してしまったが、サシャの返事は歯切れが悪かった。 「あ、そうか、怖いよな。亜種と闘うなんて……。いやでもこの魔石が反応したってことは、サシャは癒し系魔法に特化してるんじゃないか? それなら後方支援という形で……。あダメか。喘息もあるか……」
 自分で言って、自分で答えを出していれば世話はないが、サシャは「そうじゃないの」と言った。
「確かに亜種は怖いし、身体のこともあるけど、私の場合、最大の難関は……」
「ああ、ケイトか! そーだ、あいつ、過保護だもんなあ」
「そうなのよ、ジン」
 サシャが苦笑した。
 サシャのために人生の大半を捧げていると言ってもいいようなケイトが、そのサシャを亜種討伐のチームに後方支援といえども参加させるとは思えない。
「でも私やりたい!」
 サシャがキッパリと言った。
 その目は輝いていて、ケイトと同じように強い意志の力を感じる。
 やっぱり姉妹だとジンは思った。
「いやでも……」
「魔術士になっても前線にでなければいいんだし、魔法道具屋になることもできるし、そもそも私が使える魔術士になるかどうかはまだわからないんでしょう? だったら、まずはそこを確かめるだけでも、ね、ジン! お願い!」
 そんな風にサシャに必死のお願いをされれば、ジンじゃなくとも男は弱い。
「まぁ、そうだな……」
「毎日は無理だけど、週に二度ぐらいなら、お姉ちゃんの目を誤魔化してお師匠さんのところに通えると思うの。まずは試しってことでどうかな?」
「……わかったいいだろう。何人かに当たってみるよ」
 この時のジンが何を考えていたのかといえば、貴重な魔術士をひとりでも討伐チームに加えたいというより、病気がちでろくに学校にも通えず、同じ年頃の友達もろくにいないサシャに、これを機に少し社交的な生活をさせてやれるかもしれないと思ったのだ。
 話し相手といえば、近所の主婦か姉とジンしかいないこの少女は、もっと社会に出るべきだ。まるで小学生男子のようなケイトはともかく、この明るい目をした穏やかで優しく賢い少女は、世の中がこれほど荒廃していない旧世界であれば、さぞやたくさんの友人知人に囲まれ、華やかで活き活きと生活していただろう。
 ジンはまるで自分の妹を嫁にやる心境で、慎重に魔術士を吟味した。
 そして、実に厳しいジンのお眼鏡にかなった魔術師の元で、サシャは週に二度――ケイトが遠征で遠くに出かけているときは集中的に――師匠の元に通うことになったのである。
 結論から言えば、サシャの魔術師の腕は超一級だと師匠の老婆は言った。
 これから鍛えていくのだから、一流の腕前とはまだ言えないが、ほぼオールマイティでどの魔石とも相性が良く、最大限にその魔石の効果を引き出すことができると言うのだ。
「勉強熱心で器用で、声もいい。あのはすぐに、私たちの誰よりも多くの、そして強力な魔術を使いこなすことができるだろう」
 ジンとしては複雑な心境だ。前線に出すのは心配だ。だが本人は意欲に溢れているし、今まで主婦業がメインだったサシャの味気ない生活は一変するだろう。だが急激な変化はサシャにとって負担になるのではないだろうか。ケイトのことも鑑みて、どこかで折り合いを見つけなければならない。どうしたものかと考えながら姉妹のアパートを訪ねると、ケイトは留守でサシャはベッドに臥せっていた。
「どうしたサシャ? 大丈夫か? ケイトは?」
「うん、大丈夫。このところちょっと根詰めすぎちゃって……。お姉ちゃんは遠征で昨日から家にいないの。明後日帰ってくると思う」
「そうか……。熱は? 薬はあるのか?」
「うん大丈夫。あたしはしょっちゅう寝込んでるからこういう時には頼りになるんだよ」
「あはは、そりゃ頼もしいな」
 ひとりにはしておけなくて、ジンは仕事道具を持ち込んでサシャのそばにいた。
 夜半になって薬が切れたのか、サシャがベッドの中で何度も寝苦しそうに寝返りを打っている。
 額に手を当てると案の定熱い。薬が切れてきたのだ。
「う……おね…ちゃん……」
 どうやら悪い夢を見ているらしい。
「サシャ……サシャ?」
 燃えるように熱い手を握りながら、穏やかに呼びかけて目を覚まさせようとした。
 するとサシャがだし抜けにぱちっと目を開き、いきなりジンの首っ玉にしがみついてきた。
「お姉ちゃん、そっちはダメ!」
「サシャ、大丈夫だ。ケイトは無事だよ」
 サシャの様子をメールで知らせたら、「明日朝一で帰る。それまでサシャのこと頼む」という短い返信があったばかりだ。
 ジンはサシャの背中を抱きしめながら、何度も背中をさすった。
「……ジン?」
「うん、目が覚めたか?」
「お姉ちゃんが、私を置いてチューブの向こうに行こうとしたの……」
「……うん」
「でもそっちにはすごく危険な亜種がいて、なぜか私にそっくりな姿をしてるの。だからお姉ちゃんはそれを私だと思ってどんどんそっちに行っちゃって……」
「……うん」
「私は必死で止めるんだけど、どうしても声が届かなくて……」
「怖かったな……」
 サシャが泣きながら悪夢の話をする。
 ジンはそんなサシャの背中をポンポンと叩きながら、落ち着くまで話を聞いてやる。
「全部夢だよ。だからもう大丈夫」
「うん……」
 少し呼吸が落ち着いてきたので、ジンが「いま薬を……」と身体を離して立とうとすると、サシャはもう一度ジンにしがみついた。
「行かないで。もう少しこうしてて……」
「わかった……」
 サシャはこれまで幾度、こんな夜を独りで噛み締めてきたのだろうと思うとたまらない気持ちになった。 サシャの身体は燃えるように熱く。柔らかい背中は小さく華奢だった。
「……ジン」
「ん……?」
「ジン?」
「ふ、なんだ?」
 まだ不安なのかと、ジンはサシャの頭を撫でてやる。
「……好き。初めて会ったときからずっと……」
「……サシャ」
「わかってる。ジンはお姉ちゃんのことが好きなんでしょう?」
「……すまない」
「じゃあ、私が魔術士になれるよう、お姉ちゃんをうまく説得してくれるよね?」
「え……?」
 サシャの腕がジンから離れた。そして、ジンを見ながら当然のように言った。
「だってこのままじゃ私は、家事しかできずに、初恋のひとが最愛の姉とくっつくのを見てなくちゃならないんだよ?」
「……俺がふられる可能性も大だけどな。でも、わかった、任せとけ」
 ジンは苦笑しながら静かに立ち上がった。
「お姉ちゃんは自分の気持ちに気づいてないだけで、ジンのこと大好きだよ」
 サシャがニコッと笑った拍子に目尻から涙が一粒溢れた。
 それに気づかないふりをして、ジンが笑いながら言った。
「早く気づいてくれることを祈るよ」
「ふふ、ジン次第じゃない」
 その半年後、大きな作戦が三人を待っていた。


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