見出し画像

創作大賞「ドラゴン・シード」#8

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

八話

 ジンの目の前ではシュアンが、店じまいした屋台に背中をもたせかけたまま死んでいた。
 まだ十八になったばかりだというのに、小柄で痩せこけた青白い顔には、目の下にくすんだ濃いクマが浮いている。細い顎と華奢な肩を見ながら、この子が少年だなんて嘘みたいだと思った。
 人相の悪いケバブ屋のオヤジが、顔に似合わない小さな白い野花を摘んで、シュアンの荒れた手にそっと握らせてやっていた。割れた爪が痛々しい。
「今日は珍しく、夜半過ぎには早々に肉が売り切れちまったもんだから、早めに店仕舞いしたんだ。明日の分の肉を仕込もうと思って、肉屋に行って屋台に戻ってきたら、シュアンがこの有り様だ。……この子は、ここのところ毎日、うちに通ってきていたんだ」
「……そうだったのか」
「あのオフクロが死んじまって、ようやく自分の稼ぎを自分だけで使えるようになって、最近流行りのなんとかいうデザイナーのブレスレットを、やっと買えたんだと自慢げに見せてくれた」
 シュアンの左腕には、シルバーの環に小さな天然石が散りばめられたブレスレットが嵌っている。環の内側に見覚えのある「M」という銘が小さく入っていた。モリソンのアクセサリーは思った以上に売れているらしい。
「シュアンはどこで働いてたんだ?」
「さあな、この子にまともなことができるとも思えねえ。いつもこの時間にやってきたことを思うと、ナジャム辺りで身体を売ってたんじゃないか? 直引きはギャングどもが目を光らせてるからな」
「……いや、ナジャムは男娼を置いてないだろ。この子は男の子なんだ」
「そうだったのか……」
 通常、スラムやダウンタウンで出る身元不明の行き倒れは、回収されるとセントラルの巨大な焼却炉でゴミのように一気に灰にされる。疫病の蔓延を防ぐためだ。
 だが、今回ばかりはシュアンは入念に検死解剖されることになるだろう。詳しい情報はそれまで待って、ジンは一通り全身をざっと見て、目立つ傷やアザがないか調べた。
 シュアンは、非常に憔悴しているように見える以外、これといって目立つ傷もアザもないし、出血しているようにも見えない。おそらく、苦しまなかったことだけが救いだ。
「……この子は、女に優しくされたことあるのかな」
 何かと細やかなオヤジが、凶悪な顔をさらに凶悪に歪めながらポツンと言った。たぶん、悲しんでいるのだろう。
「……姉貴みたいにこの子をかわいがってくれた娘がいたよ」
「……そうか」
 忸怩たる思いでスキンの望みを叶えてやれなかったことを噛み締める。この混沌の世界では、叶えられる願いはごくわずかだ。

 ジンはコテージに帰って薪ストーブに火を入れた。シャワーを浴びて出てくると、部屋はちょうどよく温まっている。ストーブに昨日から仕込んでおいたビーフシチューをかけてコーヒーを入れると、第二セクター全体の最新の地図を壁の大型モニターに映した。そして必要があれば細かくメモを入れてゆく。ここ半年の間に見つかった、行き倒れも含む不審死が出た場所に、日付と死者の情報だ。更にポイントになる場所をひとつひとつマーキングしていった。
 謎の衰弱死が、どこから始まりどう広がっていくのか可視化する。
 明らかに人が関わった事件や事故を除き、不審死は当初、スラムの最底辺である外縁部でポツポツと見受けられる。この辺りまでは前年比となんら変わらない。
 ところが、それが三ヶ月ほど前からダウンタウンのバザール周辺で急に増え、亜種の仕業だと明らかにされたのは、やはり二ヶ月ほど前のナイチンゲールで死んだ三人の政府高官からだ。丁寧な検死解剖がなされ、その遺体から亜種の痕跡であるアンタイトが検出されている。
 そこからの衰弱死、突然死した遺体は必ずアンタイトの検査が入るようになった。どの遺体からもほぼそれが検出された。
 ここに至って、人々はようやく謎の亜種の存在に怯え始めたのである。
 ナイチンゲールで死んだ三人は、議員と魔石協会顧問だ。
 そういえば、この議員二人はダウンタウンの再開発を公約に掲げ、まずは風俗街の撤廃を謳っていた。それがナイチンゲールの常連とはとんだ二枚舌だ。
 犠牲者の中で大物の肩書きを持っている者はこの三人が一番で、あとは八百屋の親父から公務員までと様々だ。男女の割合は圧倒的に男性が多い。というより、ほぼ男だけだ。あとはなぜか初老の女性がたった一人。全部で二十人ほど死んでいることを思えば、十分の一にも満たない。
 ――なぜ男なんだ? 男性ホルモンのテストステロンに反応する亜種なのか? 
 と、突然扉をノックする音がして集中が切れた。
 ここのドアを叩くのはこの世でただひとりだ。すぐにドアを開くと、ケイトが酒瓶片手になだれ込んできて、いきなりジンに縋りつく。
「ジン……」
「な、なんだよ……?」
 いきなり大胆に全身を預けてくるケイトを、ジンが抱えて部屋の中に迎え入れると、ケイトが胸の中で苦悶の声を上げた。
「あ、あ、あし、あしが……」
「あし……?」
「つった……。足がつった!」
 ジンの全身から力が抜けた。
 ケイトがくたくたと床に尻もちをついて両手で右足を抱えた。
「イダダダ……!」
「やってきて早々この騒ぎか……」
「ううう……」
「どら、見せてみろ」
 ジンがケイトの前に屈んで足を膝に乗せ、華奢な靴を脱がせると、右足のふくらはぎの筋肉がぎゅっと固く縮み、親指が人差し指に向かって不自然なほど内側に曲がっている。
 ケイトがベルトごと脇差を外すゴトリという音がした。
 ジンが左手でケイトの足の親指を脛の方に向かって押すと、押し返してくる筋肉の反射がある。何度かそうやって親指を押しながら、右手でふくらはぎの筋肉をぐいぐいほぐした。
「いたたたっ、痛い! もっとそっと……」
「贅沢言うな」
「うえええ……」
「靴のせいか?」
「このくそいまいましい靴でやっと玄関先まで来たら突然ぐあっと……」
「そりゃ災難だったな」
 まあ確かに、アーミーブーツかスニーカーしか履かないケイトに、この靴は普段使わない筋肉を酷使させるかもしれない。
 ジンがしばらくそうして足の筋肉をほぐしながら、ケイトがまだドレス姿であることに気づいた。ポケットから紫の石がいくつかぽろぽろ零れている。あの小鳥の吐き出す石だ。
「着替えてこなかったのか?」
「服をイヴに捨てられたんだ」
「アハハ、それはひどい」
 ジンの膝の上に乗せられた脚は、深く切れ込んだスリットが捲れ、腿のあたりまでむき出しになっている。突然、ケイトの脚の感触が意識される。着ている服のせいなのか、つけている香水のせいなのか、前回のポンゴの傷の手当よりずっと、男には刺激的な状況ではある。ジンは息苦しいような思いを持て余した。そして、そんな自分に内心苦笑する。
 そんなジンに気づいているのかいないのか、ケイトは手に持っている酒瓶を直接煽ってぷはーっと息をついた。呆れたものである。
「……ずいぶんいい酒飲んでんな。クリュッグのロゼじゃないか。イヴにもらったのか?」
「うん。ジンをユーワクする」
「なんだって?」
「そんで、忘れたこと思い出す……」
 そう言って、ケイトはまた酒瓶をあおった。どうやら酒で勢いをつけているらしい。
 ジンは酒瓶を取り上げた。ほとんど空になっている。そして、およそケイトらしくない今の言葉を、予測と推理でなんとか頭の中でつなぎ合わせ、十中八九イヴに盛大にからかわれているのだろうと結論付けた。
 ジンは以前、初めての仕事に緊張している店の新人を、イヴが酒と何かの香でうまく落ち着かせているのを見たことがある。ほんの数分で、初心で不器用な娘の顔が娼婦の顔に変わった。
「ケイト、つまりおまえは、イヴに暗示をかけられて、俺を誘惑するというミッションを遂行しようというわけだな?」
  本当は、ケイトの言葉の後半の方が重要なのだが、これでジンも少しは動揺している。
「……うーん、そうかな」
 完全に酔っ払いの目でケイトが首を反らして天井を見上げた。そして、愛刀を胸に抱くようにして床に寝転がってしまった。
「……おまえ、まさかそれで俺を誘惑してるつもりじゃないだろうな?」
 そもそも、こんなときでも刀を手放さないところがすでに言わずもがなである。
「あー、でも、足がつってすっかり予定が狂ったあ!」
「よかったな。壊滅的に色仕掛けが下手な言い訳が立つもんな。まったく、さすがのイヴも、おまえがまさかここまでポンコツだとは思わなかったろうさ。ほら、立て……」
 ジンがケイトの腕を掴んで起こそうとしたが、ケイトは今やぐでんぐでんで、半分寝息を立てている。それでも刀は離さない。仕方なく刀ごと抱き上げベッドに横たえた。
「ん……」
 ケイトは無意識に毛布を手繰り寄せて刀と一緒に包まると、本格的に寝に入っている。
「まったく…」
 そっと大事な刀を取りあげた。
 正直に言えば、ジンは理性を保つのに精いっぱいだ。しかし、酔っぱらった女をもてあそぶ気はないし、イヴのふざけた罠に嵌るのは癪だ。仕方なく、ケイトの刀を手になけなしの理性をかき集めてそこから離れようとした。
 が、しかし、キスぐらいはいいんじゃないかと引き返し、ケイトの唇に唇を重ねようとしたとき、どこかで嗅いだ豊潤な甘い香りが、小さく開いたケイトの唇から微かに匂った。
 その香りは、なぜかふとモリソンの家で振舞われた紅茶のカップを連想させた。とたんに、ジンの頭の奥にある警報装置を鳴らした。慌ててケイトから取り上げたシャンパンの瓶の口に鼻先を近づける。
 ――この香りは……。
 セントラルの高層マンションの一室でふるまわれた、変わった香りの紅茶。画像の荒いモニターの中で、モリソンに抱かれる女の裸体が脳裏をよぎった。
 氷水をかぶったようにジンの高揚した気分がいっぺんで吹き飛んだ。
 ジンは毛布にくるまって眠るケイトを無理やり引き起こしてバスルームに向かった。
「んっ? え、え、何ジン…?」
 ケイトは訳も分からず、そのままジンに引きずられるようにバスルームまで連れていかれたかと思ったら、頭から冷水のシャワーを浴びせられ、いきなり口に指を突っ込まれた。
「え、ジンッ、やめっ、もがっ――…」
「ケイト、飲んだものを全部吐き出せ!」
「うぇ、おえっ、うげえええ……」
 ケイトは訳も分からず、思い切り胃の中のものをぶちまけた。

 ケイトがジンのぶかぶかのスウェットを着てコーヒーマグを持ち、薪ストーブの前で頭にタオルを被って背中を丸めて座っている。
「何もいきなり頭から水を浴びせることはないじゃないか」
「悪かったよ。俺も焦ってたんだ」
 ジンはキッチンで鍋をかき回している。
「大体、イヴが本当に私を殺すつもりなら、あそこであのまま殺してるはずだ。っていうか、そもそもなんでイヴが私を殺すんだよ?」
「……そうだな。本当に反省している」
 ジンとしても、イヴがまさかケイトを殺すとは考えていなかったが、なにかのドラッグで虜にして、自分のそばで飼うぐらいのことはやりかねないと思っていた。なかなか本性を見せない謎の多いイヴは油断がならない。 「……まぁ、もういいけどさ。おかげで酔いも醒めたし、イヴの暗示も解けたし」
 ケイトは盛大に鼻をすすりながら、何かもうひとつ、大事なことを忘れている気がしてもやもやしていた。ストーブの火を見ながら考えるが、どうしても思い出せない。
「ほら、できたぞ」
 ジンがテーブルの上にビーフシチューを盛った皿を並べた。
 ケイトが嬉しそうに立ち上がり、さっそくテーブルについてスプーンを使い始めた。一口食うと、火が付いたようにひたすらスプーンを使っている。スプーンですくえるものがなくなると、ちぎったパンで皿を拭うようにして黙々と食った。さっき吐いたせいもあるだろうが、よほど腹が減っていたのだろう。ジンは大いに満足した。自信作なのだ。
「……ジン」
「ん? 美味いか? お代わりあるぞ?」
「サシャの味だ」
 ケイトは顔も上げずに言った。
 ジンは意表を突かれて一瞬反応ができなかった。
「……そうだな。そういえば、このシチューは、サシャに作り方のコツを教わったんだ」
「……私もサシャに料理を習っておけばよかった。あの頃は、死ぬまでずっと、サシャの料理を食い続けられると思ってたんだ……」
「……」
 ジンの脳裏に、キッチンだけはなぜかやたらと広い粗末な2DKのアパートで、萎れた野菜や固い肉の切れ端を、驚くほど美味い料理に仕立てるサシャの器用な手を思い出した。
 ケイトはまだソバカスの残る十代の小娘で、ジンはただただ生意気な若造だった。
 ――私の取り柄はこれだけだから。
 サシャは、穏やかな優しい笑顔でいつもそう言った。
 ケイトがサシャに向ける笑顔は柔らかく、仕事仲間に見せるものとは全然違う。小柄で明るいブロンドのサシャと、赤毛で背の高いケイトは一見姉妹に見えなかったが、互いに向ける笑顔は驚くほどよく似ていた。
 ジンは料理が好きだが、考え事が煮詰まった時や、何かの作業に疲れている時のちょうどいい息抜きになったからだ。そんなジンに、サシャの料理にかける手間は新鮮で驚きに満ちていた。食材の刻み方や下処理の仕方、何かに漬け込んだり、粉をふりかけたり、火加減を変えたりという、そのささやかな手間が料理の味を驚くほど変えた。
 そんなことを教わるうちに、サシャはこの料理を食わせる姉のケイトのことを、本当に大切に思っているのだということがよくわかった。その全ては、ケイトを喜ばせるための手間だったのだから。
 そして、喘息持ちで身体の弱い妹のために、身体を張るケイトもまた同じだった。ジンはそんな二人をそばで見ているのが好きだった。
「あの頃、楽しかった……」
 ケイトが皿に残った最後のひと匙を、パンで丁寧に拭って口に運びながら言った。
「……そうだな」
 ジンのシチューを食い終わると、ケイトは水のグラスを持って壁のモニターに近づき、何気なく接続されているパソコンのエンターキーをポンと叩いた。モニターにさっきまでジンが見ていた地図が映し出される。
「ん? これ、今ジンが追ってる不審死の捜査資料?」
「ああ」
 ケイトが画面に集中する。
「このマークに書かれた数字は日付か。ここひと月は、フラワー通りを中心に広がってる」
「それは、ナイチンゲール以来、被害者がちゃんと検死解剖されるようになって、亜種の痕跡が確認されたから明確化したんだと思うぞ。不審死自体はそのニヶ月前から急にスラムの内側で増えてきている」
「あそうか」
 賑やかなバザールの裏通りにある1キロほどの細い通りは、通称フラワー通りという名で知られている。娼館が軒を連ねる一角なのだ。通りの突き当たり奥にある高級娼館のナイチンゲールを起点に、そこから遠ざかれば遠ざかるほど安い店ということになる。ストーカーに苦しんだマリーのいるナジャムは、中間よりややナイチンゲール寄りだ。
「それでも、フラワー通りが多いように見えるけどな。しかも、そこからじわじわ広がってるように見える」
 ケイトに言われてジンも地図に集中しようとしたが、実は、先ほどバスルームでチラリと見たものに心を囚われていた。
 ケイトの胴に巻き付いていたタトゥだ。
 以前はあんなものはなかった。だがジンはあれを知っている。あれは、昔見たサシャの魔法だ。 
 細かく複雑な図形と東洋の漢字のような文字が絡み合い、ひと繋がりになっている。そして、みぞおちの下を走る深い傷口に飲み込まれるようにして消えているはずだ。
 ジンはかつて、この魔法がケイトに刻まれてゆくのを見ていた。
 地面にでかい穴が開いた夜の公園。
 ジンの腕の中でぐったりと気を失っている血だらけのケイト。
 ジンたちを取りまく不思議な魔法の金色の光帯は、今ケイトの体に巻きついているタトゥと同じ不思議な魔法文字だった。
 サシャは生前、ケイトには内緒で魔石や魔法陣や詠唱を熱心に研究していた。
 ジンをまっすぐな目で見つめるサシャの青い目が脳裏をかすめた。
 その瞳に籠る想いに気づかない振りをした。
「ジン……?」
「え、ああ、なんだ……?」
「イヴって何者だ? いつからあそこにいる? どうやって知り合った?」
「イヴ? イヴはあの店のオーナー兼娼婦だろ。いつからかは、俺もずっと第二セクターにいたわけじゃないからよくわからない。俺が気づいた時にはもうあそこで商売していた。知り合ったきっかけはモーグだ。二年ほど前、あそこで最初にVIPの護衛を頼まれたんだ」
「ふーん……」
「何か気になるのか?」
「……うーん、あそこでフレーネに会って……」
「フレーネ? ああ、十二セクターの魔法道具屋の女の子か?」
「そう。ナイチンゲールにも商売に来ていて、彼女と手を振って別れたと思ったら、次にここで盛大に吐いてた。その間のことがどうしても思い出せないんだ。私、なんかやらかした?」
「ケイト……」
「ん?」
「……おまえは、なんで俺を責めない?」
「え? 責めるって、何を……?」
「サシャのことだ」
 思い切ったようにジンが言った。
「なにを言ってるんだよ、ジン。私がここへ来たのは……」
 言葉を探して、ケイトが手に持った水のグラスに目を落とした。ジンが身を切るような思いでその続きを待っている。
「……誰かとサシャの話がしたかった。できればサシャのことをよく知っている誰かと」
「え……?」
「私はサシャの話ができる人を、ジン以外にほとんど知らないから……」
 ケイトのその言葉は、ジンを思った以上に深く抉った。
「でもジンは、私のことをとても怒っていたから……」
「……は? ちょ、ちょっと待て。なんで俺がおまえを怒ってると思うんだ?」
「……私がサシャを救えなかったから。だからジンは怒って、十年前に私の前から姿を消したんだろ?」
「バカ、そうじゃない! サシャが死んだのはおまえのせいじゃない! そんなことは考えたこともない!」
「でも、私はあの子の手を離した!」
「あの状況でサシャの手を離さずいられるものなどいない! おまえはよくやった! サシャを死なせたのは俺だ! 俺がサシャをあの危険な現場に連れて行き、勢いに任せておまえをサシャから引き離したんじゃないか!」
「そんなの関係ない! 私はあの時、助けてと私を呼んだサシャを救えなかった!」
「違う、ケイト! サシャは、サシャはお姉ちゃん助けてと言ったんだ!」
「え……?」
「俺はその声を聞いて、でかい穴に落ちかかっているおまえに気づき、危ういところでおまえに飛びついたんだ! それが結果的にあんなことに……」
「あの時のジンからはサシャが見えなかったんだから仕方ない。だから私が……」
「やめろ! やめてくれ、ケイト! そんな風に考えるなよ! おまえじゃない! おまえのせいなんかじゃない……。俺だ! 俺がサシャを……」
 ジンが思わずケイトを胸に抱いた。
「なんてことだ……。俺は、俺は……」
 ケイトはジンの胸の中で痛みに耐えるように、服の上から胸のタトゥを掴んだ。
「……ジンのせいでもない。放してくれ、ジン。サシャはまだここにいるんだ」
 ケイトがジンの胸をそっと押し返しながら身体を離した。
「ケイト……」
「あの子は、サシャは、ジンのことが好きだったんだ。生きていれば今頃、ジンの隣で笑っていたかもしれない」
「ケイト」
「あの子の笑顔が私の生きる意味だった」
「……っ」
 ケイトの頬を涙が伝う。
 その時──
 ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ!
 ジンのモバイルがテーブルの上で緊急アラームを鳴らした。
 ジンが気を取り直してモバイルを手にとった。
「……わかった。すぐ行く」
 短くそう言って通話を切ると、ジンはもう一度ケイトを抱き寄せ、強引にキスした。
「ケイト、俺はおまえに出会った頃から、おまえを友達だと思ったことは一度もない。サシャもそれに気づいていた」
「……っ」
「次にここへ来たらおまえを帰さない」
 ジンはケイトを放すと、上着を掴んでコテージを飛び出した。
 ――ちくしょう、俺はこの十年、何をやっていたんだ!
 ジンは思い切り叫びたいのをこらえて奥歯をギリギリと噛み締めた。
 自分だけが傷ついたような顔をして、サシャを殺したのは自分だと、だからケイトのそばにいる資格はないと思い込んだ。その挙句に、最愛の妹を失い、己を責めながら、生きる意味を失って絶望にあえいでいるケイトをたった独り置き去りにしたのだ。 
 「ああ、くそっ!」
 ジンは己の愚かしさに激しく傷つき、激怒した。
 ジンが森の中を通り過ぎると、白い小鳥が、ジンの怒気に当てられたかのようにパタパタと飛び立っていった。
 ――俺はとんでもない大バカだ。
 ジンは自分を責めることに夢中だった。それは自分勝手なだけだったのだと、十年もかかってやっと気づいた。

前話
次話


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?