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創作大賞「ドラゴン・シード」#13

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

13話

 ジンはフレーネと別れると中央区へと向かった。すぐに取り掛かっているなら、そろそろモリソンの検死解剖が終わっているはずだ。詳しい検査結果はまだとしても、死因のおおよその特定はできているだろう。
 高層ビルの庁舎を中心に様々な複合施設や高級居住区が周囲を囲み、そこは雑多なバザールとは全く違う世界が広がっている。
 どこもかも整然と整い、無駄がなく生活感がない。花壇に植えられた草花さえ、それが規則なのでそこに植わっていますという感じで、何もかもとってつけたようだ。
 道路も建物もゆったりとゆとりのある空間では、あまり人とすれ違うこともないが、ここで見かける人々は、この区画と同じように皆同じ顔に見える。 
 ジンは行政区の外れにある、医療研究施設を訪ねた。ここは特に、亜種がらみの毒や汚染、感染症の治療を含む亜種の研究所として特化している。
 この施設の主任研究医のショーン博士の部屋を訪ねた。彼とはジンがまだ学生時代からの付き合いだ。ノックして扉を開けようとしたら、部屋から出ようとしていたショーン博士とかち合いそうになった。
「わ、びっくりした!」
 博士がのけぞっている。
 人懐こい茶色い目の小柄なこの博士は、五十代の半ばというところだ。
「ああ、すみません、ショーン博士。なにか…」
 わかったことはないかと尋ねようとしたジンを遮って、ショーンはジンの腕を掴んで噛みつくように言った。
「いいところに来た‼ ジン、大変だ! 行くぞ‼」
「え……」
 腕を引かれるままにジンは従うが、一体どこへ行こうというのか。
「解剖室だよ! わかったんだ、敵の亜種の正体が‼」
「マジっすか!」
 今度はジンが先に立って、長く入り組んだ廊下を走り始めた。そうなると、ショーン博士の方が分が悪い。
「で、博士、なんです、正体は?」
「はっ、はっ、ま、待ってくれ、ジン! 君は足が速いな!」
 解剖室の無影灯に照らされた無骨なステンレス台の上では、正中線に沿って、Y字に恥骨まで大きく切り開かれたモリソンの亡骸が載っていた。臓器はあらかた取り除かれ、慎重にひとつひとつ重さや状態を調べられている。腹腔内部はほとんど空になっていた。そこでは、何人かの医師が、助手を従えながらまだ忙しなく動き回っている。
 ジンは顔色ひとつ変えずにそれを見ていた。
 そして、ショーン博士は額にうっすら汗を滲ませ息を弾ませながら、パソコンのモニターにいくつもの画像を開く。
「寄生虫だ」
 ショーン博士が言った。
 それを聞いた瞬間、ジンがうなった。
「寄生虫? ああ、そうか! 外からじゃなく中にうじゃうじゃ群がっていたのか!」
「そういうことだな」
「それで?」
「うん、こいつらはもちろん亜種だ。身体の組成成分にアンタイトがたっぷり含まれている。そして、今までこいつらの発見が遅れたのは、こいつらが実に上手く人間の内臓に擬態するからだ……」
 モニターでは、素人目には分かりにくいが、切り分けられたヒトの内臓の一部が、あちこち欠損している画像が映し出されている。
「内臓に擬態? この虫が肝臓やら心臓に化けるってことですか?」
「そうだ」
 博士によると、この擬態虫ミミックワームと仮名がつけられた寄生虫は、ヒトの体内に入ると、主に肝臓や小腸に擬態し、そこから血管を通して血液中の主に糖などの養分を奪う。その挙句の重度の低血糖症による昏睡からの死亡だ。
 この擬態が精巧であるために、医師たちはただただ血糖を失ってゆく犠牲者の死の原因を特定できないでいた。
「この元お役人の人気ジュエリーデザイナーのおかげでわかったよ」
 解剖台の上の哀れな遺体を見ながら博士が言った。モリソンは、先ほどよりもさらに小さくなったように見える。
 これまでの遺体は、死んである程度時間が経過したものばかりだったため、宿主とともに共倒れして体内で溶解してしまった。その挙句、なぜかあちこちの臓器が欠損した遺体ばかりが残ったのだ。当初は内臓の欠損による死かと思った。ところが、死因はあくまで重度の低血糖症であり、解剖所見では臓器の欠損はどう見ても死後なのである。これが研究者たちを悩ませた。 「わけがわからない。全員不眠不休で頑張ったが原因が特定できない。もうダメだとなった時に運ばれてきたのがこのモリソンだ」
 腹の中を空っぽにされて、土気色の顔で横たわる哀れな男。遺体からはまだあのアンバーグリスの匂いがする。
「君が死んだ直後に救急隊に運ばせてくれたからわかった。彼の腹を開いた途端、ミミックワームが臓器の擬態を解いてうじゃうじゃ蠢いていた。モリソンは、小腸の大部分と、肺や食道までが侵されていたんだ。生きているのが不思議なぐらいだった」
 モニターに映し出されるモリソンのウゴウゴと蠢くグロテスクな腹腔。
 そしてそれらのほとんどが、空気に触れて間もなく溶解して消えてしまった。
 バザールで咳き込むモリソンの腕についていたのは、血液ではなくこのミミックワームだったのだ。
「酸素濃度の濃い異世界の亜種のくせに、こいつらは嫌気性だ。空気に触れると死んじまう。だが、ごくごく一部のものだけがこんな風に残った」
 博士が持ってきてくれたシャーレの中では、直径0.3ミリ、長さ1センチほどの赤い線虫が数匹いた。それはぱっと見、乾いた赤い糸くずに見える。 「まさかこいつら、くまむしみたいに乾眠かんみんしてる?」
 乾眠というのは、一部の生物が身体から水分を抜いて仮死状態で眠っている状態を指す。これらは水分を与えただけで簡単に復活する。
「そうなんだ。空気に触れた途端、あっという間に溶けて失くなる個体と、ごくごくわずかだがこの乾眠状態に入るものに別れた。全体の0.1%にも満たないので、こいつらに気づくのも時間がかかったんだ。そしてこいつらは、乾眠に入ったまま何十年でもどこかで息を潜め、生き物の血液や汗や唾液などの体液で再び蘇る」
 そして恐ろしいことに――と博士は続けた。
「こいつらはフラワー通りを中心に誰かが意図的にばらまいている」
「誰かの意図……」
「ああ。分布図が通りを真ん中に同心円状に広がっているからな」
 起点がそこだとするなら、不自然な図式ではない。
「普通、この手の感染症は最初こそ起点があるが、広がれば地域全体に満遍なく広がり拡大してゆく」
「ああ、そうか。それがいつまでたってもあの通りを中心に、あまりそれ以上広がりを見せない。それはつまり――」
「そう、このミミックワームの急激で高い致死率のおかげだ。だが、死者はいつまでたっても同心円状に分布し続けている」
「誰かが提供し続けているからだ……」
「そういうことだ。あるいは、寄生虫の場合、この虫を無害なまま体内にとどめておける中間宿主が存在する可能性だ。少なくとも、こちらの世界の寄生虫にはよくあるケースだからな」
「……女たちか」
「ああ、そう見るのが自然だろう。今フラワー通りの女たちを軒並み検査させている。でだ、ジン」
「はい」
「とりあえず、君も検査だ」
「は?」
 念のためだという博士のいう通りジンは血液を採取されると、医療研究室を出てモーグの酒場に向かった。ナイチンゲールにゆく前に、先にぜひとも一度確認しておきたいことがあったのだ。

「よう、ジン」
 モーグがいつものよく冷えた手製のジンジャーエールを出してくれた。薄い黄金色のグラスはパチパチと小さな炭酸の泡を弾けさせている。氷の上にちょこんと乗ったミントの葉がかわいい。
「突然だがモーグ、最後にフラワー通りを利用したのはいつだ?」
「なんだって?」
 ジンがまじめな話だというように黙ってモーグを見つめる。ちなみにモーグは二十年前に妻を病で亡くして以来独身を貫いている。
「そ、そりゃおまえ、かれこれ……あー…」
 モリソンが天井を見上げながら指折り数えている。
「……半年…いや……昨年の春ごろ?」
「そうか、安心したよ」
 ジンがほっとしたように肩の力を抜いた。
 ジンがジンジャーエールを飲もうとして、ふとモーグの後ろの壁に立てかけてある古ぼけたボーガンに気付いた。
「ああ、これか? たまには手入れしないとな」
 ジンの視線を受けてモーグが笑った。ボーガンは現役時代のモーグの得意とする武器だった。
「……今まで一度も聞いたことがなかったが、あんた、あの時なんであんなところにいたんだ?」
「ん? 何の話だ?」
「前に、俺がキラーパンサーに襲われそうになってるところを助けてくれたろう?」
 0セクターの廃倉庫で、殺人豹キラーパンサーに襲われかけているジンを、危ういところで救ってくれたのがモーグだった。
 今にもジンに食い付こうとしていた獣は、突然ボウガンの矢を受けて横ざまに吹っ飛んだ。その向こうで、構えていたボーガンをホッとしたように下したのがモーグだった。
「ああ、もうだいぶ前の話だな。あれは……」
 モーグがグラスを手に少し逡巡した。
「口止めされてたんだが、まぁ、もう時効だろう。あれはジュールに頼まれたんだ」
「え?」
「俺は、農場を経営してるあいつのばあさんと昔から仲がいいんだ。あいつは、突然みんなの前から姿を消したおまえをやっとの思いで探し当てたが、ずいぶんと荒れていて、おまけに悪い奴に嵌められて今にも殺されそうだから助けてやってくれと」
「……」
 ジュールはモーグに、本当は自分が行って連れ戻したいが、ジンは決して自分の手は掴まないだろうと。下手をすればさらに取り返しのつかない異世界にでも飛び込んでしまうかもしれないと思うと、迂闊なことはできない。
 自分は、本当はジンなんか死んじまえと思ってるが、ジンがいなければ、俺の好きな女がどうなるかわからないんだと、モーグに訴えたのだそうだ。
「ガキの頃から知ってるジュールに、泣きながら訴えられてみろ。おっさんは断れないわけだよ」
「そうだったのか……」
 五年ほど前のことだ。
 明るい目をした美しい若者は、たったの二年で見違えるほど立派に成長していた。ジュールがその後のケイトを支えてくれたのだ。
 そのジュールのそばに、なぜケイトが寄り添っていないのか不思議だが、彼は当時すでに傭兵稼業を引退して、祖母の農場を受け継いだと聞いた。
 この辺りの事情も、ケイトに聞きたくても聞けずにいることのひとつだ。
 だがそれはさすがに、野暮というものかもしれない。
 ジンにしたところで、ケイトに知られなくないことはひとつや二つじゃない。
「それより、フラワー通りになんかあるのか?」
 ジンは再び現実に引き戻された。
「ああ、さっきモリソンが死んだんだ」
「そりゃまた話が飛んだな。モリソンといえば、ストーカーのモリソンだろ? 自殺か?」
「いや、寄生虫だ」
「寄生虫⁉」
「ああ。今回の一連の不審死が亜種の寄生虫の仕業だってことがわかった。ミミックワームと名付けられた」
「そりゃゾッとしねえな。どっから寄生されたんだ?」
「おそらくフラワー通りの女たちの誰かだ。だが、女たちにはほとんど症状が現れていない」
「そんなことがあるのか?」
「寄生虫が成体になるまでの間、幼虫の状態で一旦通過する生き物のことを中間宿主というんだが、中間宿主はほとんどの場合無害だ。それがフラワー通りの女たちなんだろう」
「その女たちはどこで寄生されたんだ?」
「わからん。可能性は考えうる限り色々だ。食い物飲み物、鳥類や虫、魚、動物の糞便はもちろん接触感染もあるし、泥の中歩いてて皮膚から潜り込まれることもある。しかも今回の寄生虫は亜種だ。この世界の常識が通用しない……」
「それはつまりお手上げってことか?」
「まぁそうだな。医療研究所で今必死に駆虫薬の開発してる。だからモーグ、当分の間フラワー通りに近づくな。あそこは今夜にでも当分閉鎖される」
「わ、わかった」
 ジンはモバイルを引っ張り出しながらあれこれ考える。
 ナイチンゲールの最初で最後の三人の犠牲者は、保守党議員のコイル、共和党議員のトムズ、魔石協会顧問スミス。
 この三人が死んだのは今から二ヶ月ほど前の十二月。他では謎の死の猛威が広がっているが、ナイチンゲールでは以来ピタリと死人は出ていない。
 そういえばこの政治家の二人は、ナイチンゲールの常連でありながら、フラワー通りの撤廃を次の選挙の公約に掲げていた。セントラルがダウンタウンの再開発に着手しようとしていたからだ。
 ――イヴからすれば目の上のたんこぶだな。
 モーグの後ろに貼られっぱなしになっている古い古いカレンダー。そこにイヴをモデルに描かれたらしい中世の魔女。磔刑にされた彼女の肩や腕に止まる白い小鳥。絵画の片隅に描かれた1517年という掠れた文字。
 モリソンの住んでいたマンションの部屋番号と同じだなと、どうでもいいことを思ったとき、ふと待てよと思った。
 ――1517年? 
 あまりの年代に、にわかには信じられなくて、ジンが思わずいやいやと首を振る。
 何気なく上着のポケットに手を入れると、指先に何かが触れた。ナイチンゲールの小さな紫の石がいくつか出てきた。そういえば昨夜、ケイトがドレスのポケットからいくつかこぼしていた。それを無意識にポケットに入れてしまったらしい。石には紅い稲妻のような異物インクルージョンが入っている。
「……」
「なぁジン、おまえはあの頃、なんであんなに……」
「モーグ、ルーペ持ってるか?」
 自分のポケットをあちこち叩きながらジンが言った。
「あ? なんだって?」
「ああ、俺が持ってた」
 ポケットから引っ張り出したルーペでじっくり調べるまでもなく、紫の石の中心にあるインクルージョンは研究室で見たミミックワームだった。
 ジンの耳の奥で、小さなピンクの嘴からこの石を吐き出した、白い小鳥の立てるカツンという音が響いた。
 ――ジンを誘惑して大事なことを思い出すんだ。
 ケイトは昨夜酔っぱらいながら確かにそう言った。全身が総毛だった。
「モーグ! ナイチンゲールだ‼ あの鳥が宿主なんだ‼」
 突然立ち上がって大きな声を出すジンに驚いて、モーグが固まっている。
 ケイトはイヴにからかわれたのではない。何かを見たから暗示をかけて無理やり忘れさせられたのだ。
 ああ、俺はとんだ大バカだ――‼
「モーグ、これを急いでセントラルの医療研究所に持って行って、ショーン博士に分析してもらってくれ!」
 そう言って、紫の石をモーグに手渡した。
「あ、ああ」
 ジンは慌てて店を飛び出した。
「あ、おい、ジン‼」

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