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創作大賞「ドラゴン・シード」二章 #16

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

二章

16話

 早朝、海のど真ん中にぽっかりと開いた巨大なチューブから、ぬっと滑り出したフェリーに乗って、ケイトとジンはフレーネの故郷である十二セクターにやってきた。
 ここはもともと、薄い表土と砂ばかりが広がる痩せた土地で、耕作にも牧畜にも適さず長年放置されてきた土地だった。ところが、ビッグクラッシュによって魔石鉱山とつながるチューブが開き、大勢の人々が流れ込んだ。チューブが炭酸ガスの多い山中に繋がっていたのも幸いし、オゾン濃度の高いヒトに有害な異世界の空気が、ごく適正な空気に代わっていたのである。町は一気に活気づいた。
 ところが、近年になって経済活動の要だった魔石鉱山も、とうとう枯渇しかかってきた。町のあちこちには急速に荒廃の兆しが見え始めてきたのだ。早朝だということを差し引いても、本来なら大勢の人が行き交う港の大通りに人影はまばらで、よく見ると繁華街のあちこちに店じまいした空き店舗が目立った。どこもかもくすんだ色合いで、この場所は急速に、荒野だった元の姿を取り戻そうとしていた。
 身体をうんと伸ばし、固まったあちこちの筋肉をほぐしながら、ジンが「まずはどこか適当な宿を……」
 と言い終わる前に、ケイトが動き出した。
「あ、ジン、誰か来る。フレーネの道具屋のことを聞いてみよう」
「もう?」
 ケイトはすでに、アースホースが曳く馬車に乗ってこちらにやってくる、鉱夫らしい中年男のところへ走って行った。
「すみません、ちょっと聞きたいんだけど、フレーネという若い魔術師が経営する魔法道具屋の場所を知りませんか?」
 ケイトが声をかけると、中年男はゆっくりと馬車を止め、胡散臭そうな目でこちらを見た。頑丈そうな鋼鉄製の荷台は空だ。まだ早朝だから、これから鉱山で採掘された魔石を積みに行くのかもしれない。
「フレーネ? ああ、あの死神フレーネか。あの魔女の道具屋なら、この通りをまっすぐ行った先にある、魔石協会の裏手だよ」
 この男はフレーネのことをよく思っていないことを隠さなかった。
「でも、あそこは店と言ってもほぼ予約注文で滅多に開いてねえぜ。フレーネはしょっちゅう商品を抱えてあちこち自分で届けてる。俺はここ数ヶ月、あの店が開いてるのを見たことがねえ」
 そして男は、内緒話をするように声のトーンを落として「ここだけの話……」と続けた。
「あの娘はあんな可愛い顔をして、先代の老魔術師をたぶらかしてまんまと店を乗っ取っちまったんだ。なんたってフレーネは売女の娘だからな」
 平静を装っていたが、ケイトが両手を無意識に開いたり閉じたりしていることにジンは目敏く気付いた。
「フレーネの母親は昔、この通りの端にある娼館にいたんだ。あの子は母親にソックリだ。いい女だったよ。けど、なんでだかあの女につく男はみんな早死にで、そのうち客が誰も寄り付かなくなっちまって、最後は流れのヤク中に殴り殺されちまったんだ」
「え……」
 ケイトの反応に、男は下卑た笑いを浮かべながら言った。
「フレーネは稼ぎ頭を失って、実の親父かどうかもわかんねえ酒浸りのクズとしばらく暮らしてたが、その親父も山で死んじまって、てっきりフレーネも娼館みせに出るかと思ったが、魔術士の声があったとはとんだ肩透かしだぜ」
 にやにやとケイトの反応を探る男の前で、ケイトの握った拳にグッと力が籠ったのを見てジンがすかさず割り込んだ。
「いや、話を聞かせてくれてどうもありがとう」
 ケイトが小さく舌打ちしている。
 男はかばわれたとも気づかず、邪魔なものを見るような目でジンを見ながら最後に言った。
「ふん。でも、母親のソフィの血を受け継いで、あの娘の周囲でも人死にが絶えねえ。父親も殺したって噂だぜ。あれは人の皮被った亜種かもな」
 ここでケイトがジンを押しのけようとしたが、ジンはそれをさせまいとなんとか踏ん張る。なにも気づかず男は最後に言った。
「あんたら、あの子に会うならせいぜい命取られねえように気をつけな」
 男はそれだけ言うと、振り返りもせずにゴトゴトと行ってしまった。
「顎に軽く一発なら脳震盪だけなのに……」
 ケイトがブツブツ言ったのを聞いて、ジンがあきれた。
「おまえな……」
「だって傷跡も残らないんだぞ?」
「バカ、そういう問題じゃねえ! 来て早々こんな小さな町でもめ事を起こすなと言ってるんだ!」
「あー、はいはいわかったよ。なるべくおとなしくしてるよ」
「なるべくじゃなくて百パーだ!」
「わかったわかった。それよりジン……」
「うん、母親はドラゴンワームに寄生されていた可能性があるな」
「もしかして、フレーネも……? フレーネはいつから龍涎香の危険性や価値に気づいてたんだろう?」
「存在には早くから気づいていたかも知れないが、その価値や危険性に気づいたのはごく最近かもな」
「なんで?」
「……三ヶ月ほど前から急に第二セクターで不審死が始まったからだ。情報をかき集めたが、他のセクターでは奇跡的にまだ始まっていない」
「……そうか」
 その後二人は、早朝の町を散策しながらメイン通りの安宿に各々の部屋を取った。
 ジンはとりあえず、ベッドに荷物を放り出してモバイルを見ると、ショーン博士からメールが一本届いているのに気づいた。結構な長文の上に添付画像もいくつかあったが、中身を読み進めるうちに顔色が変わった。
「なんてこった……」
 衝撃的な報告に呆然としていると、ノックの音がしたので扉を開けた。ケイトだと思ったのだ。すると、数羽の小鳥とともにするりと入ってきたのはイヴだった。
「イヴ……」
 あまりのことにさすがのジンも固まった。
「おはよう、ジン。銃を構えなくていいの?」
 イヴはいつも通りの美しい笑顔で言った。
「あんたが寄生虫混じりの龍涎香をばらまいていた犯人じゃないってことがわかったんでね」
「ふふ、その顔を見ると、他にもいろいろわかったみたいね」
「たった今な。あんたの狙いはフレーネだったわけか。どうするつもりだ?」
「どうも。ただあの虫が彼女をどうするのか見てみたかったの。昔から噂はいろいろ聞いていたけど、実際に見るのは初めてだわ。あなたはどうするつもり?」
「……俺は、何らかの決着をつけなければならない」
「決着? どうやって?」
「……」
 ジンが口をつぐんだ。
 イヴの紫の瞳が冷ややかにジンを見上げた。
「傲慢なのね。ケイトはどうなのかしら? あの子はこのことを受け入れられると思う?」
「……わからん。ただ、あいつはフレーネにドラゴンワームを仕込まれたピアスをもらったと知っても、まだそれをつけてる」
「ケイトがホントのことを知ったらどうするかしら?」
「……わからん」
「怖い?」
 イヴが冷たい指先でジンの頬に触れた。
「……」
「今度こそあなたは許されないかもしれない」
「……そうだな」
「それでも?」
「俺はすでにあいつから生きる意味を奪った」
「一度も二度も同じだと? ふふ、不憫な人ね、ジン? あなたはこんなにも全身全霊でケイトを守るのに必死なのに、あの子はいつも、あなた以外を選ぶのね」
「ふん……」
 ジンがイヴの指先から顔をそむけた。
「フレーネはどこに?」
「それが、私としたことが、ちょっと目を離したすきに逃げられちゃったのよ」
「なんだと?」
 イヴは面白くなさそうに肩をすくめた。
「でも、それほど遠くには行ってないはずよ」
「なぜそう思う?」
「ふ、それよりジン……」
 イヴはいきなりジンの首に腕を回してキスしてきた。
「……ッ⁉」
 笛を何層にも重ねたような、小鳥たちの不思議な魔法《うた》が聴こえる。
「私ならあなたを守れるのよ……?」
 ジンはイヴにあらがえず、掌でトンと押されてベッドに尻もちをついた。その膝の上にイヴが跨り、簡単にジンをベッドに押し倒してしまう。
「イ、イヴ……」
 イヴはジンに覆いかぶさり、大胆にキスを深くする。
「ん……」
 と、コンコンとノックの音がして、こちらの返事も待たずに部屋に入ってきたのは案の定ケイトだった。このホテルは珍しくオートロックではなかったのだ。鳥たちも驚いたのか、囀りが止まった。
「ジン、今フロントで聞いてきたんだけど……」
 ケイトが息をのみ、黙ってクルリとドアに向かって引き返した。
 その拍子に呪縛から解放されたジンが、イヴを引き離し慌てて追った。 「ま、待て、ケイト!」
 ケイトがホテルの廊下を逃げるように階段に向かうと、その後ろから足音もさせずにイヴが追い越しながら耳元で囁いた。
「ねえ、ケイト、ジンは何もあなたたち姉妹だけのものじゃないのよ?」
「……っ⁉」
 いたずらっぽく笑うイヴが、ケイトの手に何かを握らせた。そして、階段のところで前のめりに倒れたかと思ったら、バサッと崩れるように数羽の白い小鳥に姿を変えて、階段の吹き抜けから一気にザアッと上に向かって飛んで行ってしまった。
「ケイト!」
 ケイトが立ち止まって唖然と白い小鳥の群れを見送った。
「……」

 貸し切り状態のホテルの食堂で向かい合い、貧弱な朝食をつつきながら気まずい沈黙を最初に破ったのはジンだった。
「……えーと、ケイト、イヴのやつ、フレーネを見失ったらしい」
「え?」
「ここへ来てすぐ、眠りから覚めたフレーネは、ちょっとした隙を見計らって姿を消したんだそうだ。イヴにも気配が探れないと言っていた」
「……いったいどこへ?」
「……ケイト……」
 そう呼びかけたきり、次の言葉がなかなかジンから出てこない。
「……なに?」
 何かを言おうとして、ジンは寸前で話を反らした。
「そういえば、おまえさっきフロントで何聞いてきたって?」
「ああ、フレーネは、前は修業していた郊外の老魔術師の家に住んでいたけど、今はこの通りのどこかに下宿しているみたいだって。その方が店に近いからだろう」
「ホテルのフロントがそんなことまで知ってるのか?」
「狭い町で商売してる魔術士の若い娘は目立つ。それに、従業員はみんな地元の人間だろ?」
「そうか、そうだな……」
「さっきからなんだよ、ジン?」
「ケイト、その、落ち着いて聞いて欲しい……」
「ふん、さっきのことを言ってるなら……」
「フレーネはおそらく、長くない」
「……は?」
「さっき、ショーン博士からメールが来て、フレーネの検査結果が出た」
「なんでフレーネの? いったいどうやって?」
「ナイチンゲールに残した彼女のキャリーバッグだ。あの中に魔法薬を作るときのために彼女の血液が小瓶に入って残されていた。その血液を調べたらしい」
「……長くないってどういう意味?」
「……フレーネの身体は、ほとんどがドラゴンワームに侵されている」
「え……」
「ドラゴンワームは内臓に擬態しながら糖を食ってヒトの体内で生き続ける。普通の女性なら幼生のまま眠っているはずだが、フレーネはおそらく、母親の胎内にいた頃からドラゴンワームと混じりあっていたんだ。通常なら流産するが、彼女は何とかそこを乗り越えて産まれた。一種の特異体質なんだろう。だからあれほど自在にドラゴンワームを操れたんだ。だがその危うい均衡ももう保たないだろう。フレーネは間もなく、全身をドラゴンワームに圧倒される」
「圧倒って……食われるってこと?」
「おそらく……」
「そんな……」
「ケイト……」
「嘘だ」
 次の言葉を探してケイトがふと思い出したように言った。
「あ、イヴがいる! イヴのあの紫の石が……」
「そんなレベルじゃない」
「嘘だ……」
「身体が根本から作り替えられているんだ」
「そんなの嘘だ!」
 ケイトが思わず立ち上がった。テーブルの食器がガシャンと音を立てる。 「ケイト、いいから座れ! フレーネはサシャじゃない!」
 ケイトがグッと唇をかみしめた。
「……そんなの、そんなのわかってる」
 ケイトがゆっくり椅子に腰かけた。
「わかってない。フレーネは大勢を殺した大量殺人犯だ。身柄は拘束され、おそらく極刑は免れない。俺たちは友人の元気な顔を見に来たわけじゃない。捕まえに来たんだ。勘違いするな」
「……」
「ある意味この方がよかったのかもしれない。だが、苦しみが長引くようなら俺が決着をつける」
「決着? 決着って何の?」
「……だからおまえはここで帰れ。あとは俺がやる」
「ジン……!」
「一緒に来るなら俺の邪魔をするな」
 バシッとケイトの平手がジンの頬を打つ音が食堂に弾けた。
「……っ」
「私はもう子供じゃない!」
 ケイトが席を立って行こうとする前に、思い直したように立ち止まって言った。
「帰るんじゃない。少し頭を冷やすだけだ。三十分後にフロントだ」
「……わかった」

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