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『小説ですわよ』第10話

※↑の続きです。

 裏筋駅から徒歩5分。デパートの裏手、パチンコ屋“玉キング”脇の細い路地を入ったところにピンピンカートン探偵社の事務所は――
「ない!!」
 見知らぬ雑居ビルが、そびえ立っていた。壁の塗装があちこち剥がれ、いかにも昔からあったという雰囲気を醸している。
 舞は”隠匿”の魔法なるものが事務所に施されているとイチコから聞いたのを思い出す。外部からは事務所を見ることはできず、そもそも探偵社の存在を認識すらできない。一部の例外を除いて・・・・・・・・は。
 舞もそのひとりのはずだった。探偵社のことは、すべてハッキリと覚えている。なのに見えないのは、どういうことか。
 事務所に電話をかけ、中に入れてもらおうとスマホを見るが、連絡先が消えている。インストールされていた、専用の勤怠管理アプリとチャットツールも。
 おそらく綾子にとって舞が記憶を取り戻すのは想定外だったのだろう。舞がここにいることは察知しているだろうが、この様子だと取り合うつもりはないらしい。

 だが今の舞に、諦めるという選択肢はない。隠れているなら、引きずり出すまでだ。
「みなさ~ん! ここにインチキスピリチュアルグッズを売っているピンピンカートン探偵社の事務所がありま~す! 苦情はこちらまでお願いしま~す!」
 反応はない。大声が残響するだけだ。
「みなさん、聞いてくださ~い! ここは悪の枢軸国家の出張所です! テポドン、テスラ缶、違法改造車、なんでもござれ! 今どきテロ、革命、戦争をしたい方は、こちらのピンピンカートン探偵社をご利用ください!」
 やはり反応はない。通りがかったOLが、関わるまいと早足で歩いていく。だが舞は諦めず、大声を張ろうと息を目一杯吸い込む。
「ピンピンカートン探偵社の社長、上羅 綾子! 上羅 綾子は第2の細木数子になり、TV業界を牛耳ろうと――」
 突如、眼前に眩い閃光が広がり、舞のアジテーションが途切れる。
「うおっ、眩しっ!」
 数秒で光が晴れる。そこには舞のよく知った風景があった。1階の駐車場スペースにショッキングピンクのハイエース。景観を乱しかねない、同じくショッキングピンクの建造物。ピンピンカートン探偵社の事務所があった。
 2階の窓が乱暴に開かれ、綾子が鬼の形相で顔を出す。
「貴方、イカレてんじゃないの!? 大体ね、最近は朝の占いコーナーなんかでTVに少しずつ……」
 怒るのが馬鹿らしくなったのか、ため息を吐いて反論を中断する。
「さっさと上がってらっしゃい!」
「はいっ!」
 舞は事務所の外階段を駆け上がる。ナイロン製のピンクジャージが軽快に擦れる音を鳴らした。

 大声を出し、階段を走ったおかげで、暖房の効いた事務所内に入ると少し汗ばんできた。ブルーが事務所から出ていくところとすれ違う。
「じゃあ、社長。僕はこれで」
「“彼”にいつかお礼をさせてもらうと伝えて」
 すれ違いざま、ブルーが舞の胸をつんつんしようとしてくる。舞はその指を掴んでやった。指を折るぞという意思表示だ。ブルーは肩をすくめ、指を抜いて事務所を出ていった。
 綾子がソファにもたれ、足を組んで、鼻から息を漏らす。
「まさか記憶を取り戻してしまうとはねえ……」
「せっかく消してもらったのに、すみません」
 綾子が対面のソファを指さし、座るよう促すので舞は従った。
「よほど強い想いが残っていなければ、思い出せないはずなんだけど。それだけ貴方にとって、イチコは大きい存在だったのかしら」
 綾子がからかうように、口の端を歪める。舞の顔がカッと熱くなった。
「い、いけませんか!」
「むしろ感謝してる。イチコがこちらの世界に来てから、対等な友人ができたのは貴方だけだと思うから。水原さんがバイトに入って、あの子は今までにないくらい楽しそうだった」
 舞の心臓が、悲しみと怒りにドクンと跳ね上がる。
「でもイチコさんの幸せと笑顔は奪われた。神沼と宝屋に」
「わかってる。だけど依頼主は、この件から手を引いたの」
「関係ありません。私はイチコさんの仇を討ち、母を取り戻します」
 舞は、母が神沼の講演会に参加することを綾子に伝えた。
「そう、お母様が……」
「これは私個人の暴走です。神沼と宝屋を殺しに行くのでハイエースの鍵を貸してください。武器があるなら、それも。警察には私が事務所へ強盗に入ったと供述しますから」
 舞は、壁のフックにハイエースの鍵がかかっているのを見つけた。取ろうと立ち上がったところを、綾子に袖を掴まれる。
「待ちなさい」
「社長たちが動けないのは、わかってます。だから、ひとりで――」
 綾子の鉄扇が唇の表面に当たる。しかし舞は無視して話した。
「行かせてください。私はこれ以上、なにも奪われたくないんです! 父も! イチコさんも! 母まで!」
 綾子は鉄扇を舞の唇から離し、広げる。
「止めるつもりはないわ」
「じゃあ、どうして!」
「無策に突撃したって、仇討ちもお母様を取り戻することも果たせないと言ってるの。一緒に対策を練りましょう」
「社長……!」
「イチコは確かに私にとっても大切な友人だった。依頼主なんて関係ないわ。神沼と宝屋には痛い目にあってもらう。死ぬより恐ろしい苦痛を味わわせてやる……!」
 綾子が鉄扇をまっぷたつに叩き割る。木材を割ったかのような心地いい音がした。
「社長、ゴリラですね」
「“人間”が弱いだけでしょ。私は“下級”。使われ、奪われる側よ。同じカテゴリの中ではね」
「???」
 いや、それよりも作戦会議だ。舞はソファに腰掛ける。
 上からゴールドが降りてきて、講演会場の写真を見せてくれる。すでに軍団が会場襲撃のため、役割分担して動いているようだ。

・レッド、ネイビーブルー、岸田は潜入調査。後に会場で合流。
・ゴールドは会場施設のハッキング等、情報操作。
・シルバーは襲撃に必要な装備の用意。
・ブルーは客を神沼の洗脳から解放する“切り札”の準備。
・ホワイト、グリーン、パープルは事後処理のため待機。
・イエローは昼食の準備。
 そして――

「会場に奇襲をかけるのは水原さん、貴方に任せたい。できる?」
 舞の返答は決まっていた。拳に力が入る。
「あいつら全員、神のケツ穴にブチこんでやります!」
 綾子は満足げにうなずき、8つのクリスタルに紐を通した首飾りを舞に渡した。クリスタルのひとつひとつには大瓦、小原、標下……と、舞たちが轢いた返送者の名前が、赤い文字で刻印されている。
「ハイエースのドライブレコーダーで返送者たちの能力を解析して、使えるようにしたわ。クリスタルを握って念じれば、能力が発動する」
「おおっ!?」
「ただし一度だけだから、慎重にね」
「わかりました。私たちが轢いた以外の能力もありますか? 念のため、いくつか分けてほしいです」
「あるけど、ぶっつけ本番で知らない能力を咄嗟に使い分けるのは難しいでしょう? 貴方自身がイチコと共に仕事をして、見て、感じたものを神沼と宝屋にぶつけてやりなさい」
「でも宝屋には効くんでしょうか?」
「常に能力を防げるわけじゃないと思うわ。念話の妨害が途切れて、通じるときもあった。能力をかき消すには、かなりの集中力が必要だと踏んでる」
「そのタイミングを見計らって、宝屋をぶっ殺せばいいんですね!」
「えっ」
「えっ」
「殺しちゃダメよ。犯罪でしょ。ハイエースで轢くのよ」
「そうなると、講演会場の外まで、宝屋を引っ張り出さなきゃ」
「そんな余裕はないわ」
「じゃあ、どうやって……」
「簡単よ。ハイエースで会場に突撃するの」
 それでも舞の「じゃあ、どうやって」という疑問は消えない。綾子は立ち上がり、外へ出るよう舞を促した。

 舞は綾子に続いて、事務所の駐車場スペースまで降りる。
「そろそろ終わっているはずだけど……」
 停まっているハイエースは、舞が見慣れた姿とは大きく異なっていた。
 バンパーからはトゲがいくつも牙のように飛び出し、ルーフには機関銃取り付けられ、車体の各部には分厚い金属製の追加装甲が張られている。
 なにより目につくのは、車体後部に取り付けられた、3基の円錐台状の巨大な物体である。
「ど、どうなってるんですか、これ?」
「ロケットブースターよ。貴方、テポドン好きでしょ?」
「好きですけど……まさか!?」
 イヤな予感が脳裏をよぎる。綾子の意地悪い笑みが、正解だと告げていた。
「貴方がテポドンになるのよ」
「ええっと、つ、つまり?」
「このハイエースを講演会場まで飛ばす。そのまま壁なり窓なりをブチ破って、神沼と宝屋に奇襲をかけるの」
「なる……ほど。わ、私、死にませんか?」
「そこはシルバーの改造を信じなさい。シルバー、どこ?」
 ハイエースの底面から、長髪に銀スウェットの男が、クリーパー(車輪付きの板)に寝そべったまま這い出てくる。
「ちっす、社長。改造はバッチリだぜ~。ブチ殺すぞ」
「えっ」
「この男がシルバー。ウラシマの焼き鳥屋の息子よ」
「ああ、道理で」
 シルバーが立ち上がった。すらっとした痩せ型で、190cm以上はある。長髪はサラサラだが、顔は油まみれだ。
「あ、舞ちゃんっしょ? ブチ殺すぞ。シルバーで~す。うぇ~い」
 ヘコヘコと腰を振ってみせる。前歯が1本抜けた屈託のない笑顔から、確かに焼き鳥屋のオヤジの血を引いているとわかった。
「で、どうすんの? もう突撃かましちゃう?」
「そうね。準備にかかりましょう」
「あいよ。ブチ殺すぞ」
 シルバーが小型リモコンのスイッチを押した。すると駐車場スペースの目の前の地面がせり上がり、曲面に変形し、坂道のような斜面の発射台となる。

「使えそうなモノは、ダッシュボードと後部座席に置いといたから」
 舞はシルバーが放り投げたキーレスを受け取り、ハイエースのドアロックを解除して乗りこむ。
 ダッシュボードには違法改造のガスガン、ピンクの全身ラバースーツ、テスラ缶、そしてイチコの形見となってしまった“例の棒”が置いてある。後部座席の床にはモトコンポがあった。
 舞はラバースーツをジャージの上から着込む。そしてエンジンをかけ、運転席の窓を下げる。
「それじゃあ私、そろそろ」
「待ちなさい。ピンピンカートン探偵社の看板を背負って乗りこむには、まだピンクが足りてないわね」
 綾子が頭を指さすので、舞はバックミラーで自らを見る。ピンクから黒に染め直した髪は、まともだが探偵社で仕事するには確かに物足りない。
 綾子が舞の頭に手をかざすと、ぼんやりピンクの発光が起こる。気づくと、舞の髪は先から根本まで濃いショッキングピンクに染まっていた。
「これでよし。会場で会いましょう」
「先にひと暴れしてきます」
 綾子に会釈して、窓を閉めた。

 カーナビが自動で起動し、話しかけてくる。
「水原さん、参りましょう。イチコさんの無念を晴らし、クソどもを異世界へ追放するのです」
「うん、やろう。よろしくね」
「では69シックスナインピンキーセプター、強襲用ブースターを点火します」
「シックス……ピンク……なんて?」
69シックスナインピンキーセプター。このハイエースの名前です」
「聞かなきゃよかった……」
 車体後方から爆音がとどろき、窓がビリビリと揺れる。
「合図に合わせてアクセルを踏んでください。3、2、1……」
「発車ぁぁぁぁぁっ!」
 舞は力の限り、ブレーキを踏む。ブースターが桃色の炎を上げ、車体が急加速、発射台を一瞬にして駆け上がっていく。
 ハイエースはテポドンとなり、空へ解き放たれた。前後左右の景色があっという間に小さくなる。
 直後、身体の前面が見えない大きな力によって押しつぶされそうになる。胃の底からは得体の知れない嫌悪感がこみあげてくる。舞は負けまいと歯を食いしばる。
「気分転換に、なにか流しましょうか?」
「アガる音楽と、ドリフの階段落ちを」
「かしこまりました」
 車内に細川たかしメドレーが流れ、カーナビの画面にはドリフのコントが映し出される。
 イチコとの思い出が意思を強固にし、Gの圧と嫌悪感はやがて高揚感へと変わっていく。
 だから、自然と、当たり前のように、胸に刻まれた笑いが出てきた。

「ハハーッ、ハッ!」

 ショッキングピンクの流星が、ちんたま市の空を切り裂いて飛ぶ。
 デパート、競馬場、小学校、住宅街……窓から見下ろす街並みは瞬く間に後方へと流れていく。
 台風の中心にいるかのような烈風は爆弾のように轟くが、シルバーの改造のおかげか車体が揺らぐことはない。

 細川たかしメドレーは1曲目『北酒場』のサビ直前、ドリフの階段落ちは加藤茶が演じるスタントマンが登場する前――離陸から30秒足らずで音楽と映像が止まる。車体が下へと傾き、弧を描いて下降体勢に入った。
 カーナビが目的地を赤丸で示す。ちんたま市 中和飯尾なかはいいおの文化施設“チンプライークゾ”だった。
「間もなく、目的地に着弾いたします」
「了解。コンギョッチョニダを流して」
「申し訳ございません。本機のアーカイブには存在しないようです」
「じゃあ、歌って」
「かしこまりました」
 “北”を象徴する、あの無駄に勇ましいイントロが流れ始めた。
 舞はダッシュボードのテスラ缶を手に取り、開封する。緑の煙と共にミントの香りが舞の鼻に入りこんできた。さらなる高揚感が背中を走り、全身の筋肉が水風船のように膨らむ感覚を覚える。

 フロントガラス越しに、“チンプライークゾ”の多目的ホールが迫る。天井から2階にかけて全面ガラス張りの未来的な建造物だ。
 下降するハイエースは2階の窓ガラスに、斜め上から突入する。
「角刈り、マンセ~~~ッ!!」
「プルクンギ チュキョドゥルゴ チンギョッケガダ♪」
 ハイエースは歌い出しに合わせてガラスをブチ破り、灰色の煙を上げて着弾する。同時に天地がひっくり返るような衝撃が車内を襲う。舞はシートベルトがなければマックシェイク ストロベリー味になるところであった。
 衝撃が止んだ。舞はバックミラー、サイドミラー、そして窓からの目視で会場内を確認する。
 ハイエースはホールの前方右の隅に着弾したようだ。体育館のように1段高いステージに神沼を見つけた。目を剥き口をあんぐりと開け、固まっている。横20×縦30ほどのパイプ椅子が中央の1列を開けて並べられ、客が席を埋め尽くしている。客たちは微塵も驚く様子がなく、恍惚の表情でステージに視線を送っている。神汁漬けになって洗脳が進んでいるようだ。この中に母もいるはずだが、人数が多く見つけられなかった。宝屋と警護の黒服たちの姿もない。

 床に突き刺さり、灰色の煙をあげるハイエースから小さな影が現れた。
 目元以外、頭からつま先まで覆ったピンクのラバースーツ。
 左手には違法改造エアガン、右手には例の棒。
 歌舞伎の見栄を切るようなポーズで腰を深く落とす変態女。
「マルチアヌスの怒れる使者! 水原 舞、見参!!」
「あっ、あっ、僕の講演にテポドンを撃ちこむなんて! ありえないッ!」  
 神沼は膝を笑わせ、親指の爪を噛んだ。
「こ、この狼藉、金正恩と国防省が許しても――」
「許されるつもりなんざハナからねえんだ、ゲロカス!」
 舞が例の棒にある2つのスイッチを同時に押す。棒は伸縮自在のムチとなり、螺旋を描いていやらしくうねりながら、神沼の身体をきつく縛り上げる。
 舞は棒を収縮させ、魚釣りのように神沼を引き寄せ、床に叩きつける。
神沼は胃を圧迫されたのか、尻餅をついた拍子に、口から緑の液体を漏らした。
「てめえを異世界へ送り返す前に、地獄を味わわせてやる。そこで見ていろ」

 そして舞はステージの袖をキッと睨みつける。
「決着をつけるぞ、宝屋ァ!!」
 袖からトレンチコートの大男――宝屋がぬるりと姿を露にした。2階部ギャラリー(狭い廊下のような場所)のカーテンの陰から、隠れていた黒服たちも現れた。いずれもサイレンサー付きの拳銃を、舞に向けている。
 舞は宝屋に飛びかかりたい気持ちをこらえ、一度車内に戻る。一拍遅れて、銃弾の雨が全方位からハイエースに浴びせられた。車はいくらでも耐えられるだろうが、このままでは攻め手はない。そのとき――

「ウオォォォォォン!!」

 犬よりも獰猛で低い唸り声と共に、ホールの入り口ドアが吹き飛んだ、入ってきたのは全長3~4メートルはあろうかという狼。そして、それに跨るレッドであった。
 レッドを乗せた狼は2階の高さまで跳躍、そこでレッドと狼が二手に分かれ、黒服に飛びかかる。レッドは洗練されたボクシング殺法で、狼は前足を薙ぎ払って黒服たちを蹴散らしていく。そしてレッドがハイエース内の舞へ叫ぶ。
「雑魚はオレと岸田さんに任せて、宝屋をやってください!」
 舞は窓を開けて思わず叫び返した。
「岸田って、あのインスタントコーヒージジイ執事の岸田さん!?」
「はいっ! 月に1度、ああなるんッス!」
 岸田と呼ばれた狼は、うつぶせになった黒服にのしかかり、乱暴に腰を振っている。黒服は「ああ~っ、やめて~っ! 気持ちよすぎる~っ!」と悲鳴を上げていた。
(月に1度”ああなる”……アーナルド・シュワルツェネッガー!)

 岸田について説明を聞くのはあとだ。銃弾が止み、舞は運転席から降りてガスガンをステージ上の宝屋の顔面目掛けて撃った。
 宝屋が袖に隠れ、撃ち返す動きを見せてきたので、ハイエースを盾に身をかがめる。
「どうした、相棒を殺された復讐をしたいんだろう?」
 ガラガラに枯れた中年男の声が挑発をしてくる。舞は無残にショットガンで頭を吹き飛ばされたイチコを思い出し、頭の血管が1本プツンと切れた。実際どうなっているかは知らないが、確かにそのような音が聞こえた。しかし深呼吸して横隔膜を下げ、怒りをヘソの下に押しこめる。今はまだ相撲の精霊を呼ぶときではない。
「そう焦るな、宝屋。てめえは、ジワジワといたぶってから返送してやる!」
 舞は首飾りの左端のクリスタル――佐藤と赤い文字で刻印されている――を握りしめ、ハイエースの陰から飛び出し、宝屋の隠れたステージ袖へ手を突き出す。
(火の玉よ、宝屋を焼け!)
 佐藤のクリスタルが砕け、火球が舞の手のひらの先に形成される。舞がイチコと共に初めて返送した男の能力だ。皮膚がめくり返るような痛みと、ボーリング玉がぶつかるような衝撃が手のひらにが走り、火球がステージ袖めがけて発射される。
 火球は袖のカーテンを燃やすも、宝屋が現れる気配はない。その隙に、舞はステージへと距離を詰める。
 ステージへ上がる階段が設置されており、舞がそこに足をかけると、宝屋が銃口を向けながら姿を現した。舞はガスガンを撃つと同時に、今度は“尾伊”の名が刻まれたクリスタルを握って念じた。
(稲妻よ、我と敵の乳首を撃てっ!)
 尾伊のクリスタルは砕け、舞と宝屋との空間にスパークが起こり、稲妻の枝が両者を襲う。
 放電に加え、自らと周囲数メートルの乳首を避雷針とする能力だ。諸刃の剣であるが、電撃が舞の乳首を焼くことはない。特注ラバースーツが身を守ってくれるからだ。舞は両拳を腰に当て、堂々と電撃を受け止めた。
 電撃は宝屋の乳首があるであろう位置だけに降りかかる。
「ぐっ!」
 電撃はトレンチコートに防がれたが、宝屋の動きが止まる。
 ここで舞は手ごたえを得た。綾子の言う通り、宝屋が超常能力を無効化するには深い集中が必要で、常に使えるわけではないということだ。

 だが宝屋の誘い水である可能性も否めない。舞は距離を保ちつつ、“標下”のクリスタルを握ってガスガンを宝屋の顔面へ連射する。無限の銃弾を生成する能力により攻撃が尽きることはないが、宝屋へ決定打を与えることもない。
 宝屋はそれを察してか、顔を片腕でガードしながら、もう一方の腕でコートの下からショットガンを取り出して構える。舞はステージを駆け上がりながら“小原”のクリスタルを握った。
 ショットガンから放たれた散弾は、舞のどてっぱらに命中し、その身体をステージから落とす。

 舞は背中からステージ下の床へ叩きつけられた。肺が一時的にマヒして呼吸ができなくなる。しかし小原の肉体強化能力と、テスラ缶のおかげて致命傷は避けられ、傷口は弾丸を吐き出しながら塞がっていく。
 再び息を吸ったとき、舞の鼻先に宝屋がショットガンの銃口を突きつけていた。
「終わりだ、ガキ」
「そうみたい。死ぬ前に聞かせて。あんたはどうして神沼に手を貸すの?」
「……俺には夢がない」
 宝屋の引き金にかけた指が宙をさまよう。
「どういうこと?」
「他人の能力の影響を受けないだけで、なにがなせる? 一般人のように暮らせればいいが、もはや戸籍はない。だが……」
 宝屋は、縛られてた神沼を見やってからフッと笑みをこぼした。
「他者の夢を叶える力にはなれる」
「だから神沼に手を貸したっていうの!?」
「ウラシマに行ったのならわかるだろう。自らの力で外界への道を拓くことから逃げ、永遠に停滞した王国の哀れさを」
「うん……わかるよ」
「ならば、お前の選択も決まっているはずだ。屍同然に世界の隅で惨めに生きるか、世界の中心に少しでも近づこうと戦って死ぬか!」
 神沼の、フェイスマスク越しの目が泳ぐ。
「うん……後者だよ。この仕事に就いて、初めてそう思えた」
「ならば邪魔をするな。すべてを忘れて生きろ」
「できない」
「では死ね」
「死ねない」
「立場がわかっているのか」
 宝屋が引き金に指を伸ばす。脅しなどではない。この男はやろうと思えば、今すぐにでも舞を殺せる。だが舞に恐怖はなかっった。使命感と勇気だけがあった。
「もちろん、立場はわかってる。でも死ねない。なぜなら……」
 舞は犬歯までをも剥き出し、宝屋を狩るという意思表示を示して笑う。
「なぜなら、お前はイチコさんを殺した」
 舞は右手の親指で保良ほらの名が刻まれたクリスタルをこする。そして両方の手のひらを合わせ「ごめんね」と謝罪するようなポーズをとった。
「そこまで抜かして、命乞いか?」
「ドッキリでした~♪」
「あ?」
 保良のクリスタルが砕け、その能力――直近10秒の出来事を「ドッキリでした~♪」と言うことで、なかったことにできる――が発動した。
 宝屋はなぜ銃口を舞に突きつけていたのか、意味を失って辺りをキョロキョロと見渡す。その瞬間を舞は見逃さない。
「てめえの集中力を永遠に削いでやる。ヤクザの力を借りるのは情けないけど……」
「なに!?」
 舞は“大瓦”のクリスタルを握りしめた。
「……ウナルッ!!」

 舞の詠唱によって魔法ウナギが顕現する。だが、それは内臓を食い破る暴力的な大きさはない。あくまでも標準サイズである。
 魔法ウナギは威勢よく身を震わせながら、宝屋のズボンのケツ穴部分を貫通し、体内に入っていく。
「ほわっ!? あひっ、ひっ……ああ~~~っ! くっ!!」
 宝屋の身体がビクンとのけ反り、恍惚に耐えようと長い吐息がこぼれる。力が抜けたのだろう、手からショットガンが滑り落ちた。
(今だ!)
 一目散にハイエースへ走る舞。有効な能力は使い果たした。ウナルの効果が切れる前に、すなわち宝屋が集中力を切らして超常能力を無効化できないあいだに、ハイエースで轢くしかない。車が動かなければモトコンポだ。
「おほっ! いひひ~っ、はうぅ!」
 宝屋の喘ぎ声を背に、ハイエースへ駆ける、駆ける、駆ける。
 身体が軽い。風のように重さを感じることなく走れる。
 体力測定の50m走はいつも平均かそれ以下だった。あと少し努力をすれば、あるいは諦めず死ぬ気で臨んでいれば、もっと良い結果を得られていたのかもしれない。
 だが後悔はない。おそらく生まれて初めて、恥も外聞もなく、全身全霊をかけて走っているのだから。
「おおおおおっ!!」
 喉が焼けつくほどの雄たけびを上げる。合唱コンクールでも出さなかった大声がホールに響く。昂ぶりがさらに足の回転を速める。
(やればできるじゃん、私……)
 想いなどで世界は変えられないと思っていた。母の言葉は嘘だと思っていた。でも今、復讐と意地が己を誰よりも強く、速くしてくれている。

 舞は運転席のドアノブまで手を伸ばせば届く距離まで近づく。
 だが伸ばした右手は空を切り、身体は左方向へ回転する。血しぶきが視界の端へ流れていくのが見えた。
 理解した途端、鋭い痛みと熱さが右肩から広がる。
「ぐあっ!」
 舞の身体は回転を続け、抗えぬまま後方へ振り向かされる。拳銃を構える宝屋の姿が見えた。
 宝屋が引鉄を何度も何度も執拗に絞る。パスッ、パスッと音を封じられた弾丸が、舞の腕を足を腹を撃ち貫いていく。その度に身体がコマのように回り、マリオネットの操演のごとく、意思に反して跳ね上がる。
「うあああああっ……!!」
 それらの痛みが一斉に、舞を襲った。小原の身体強化能力は切れたかもしれないが、テスラ缶の効果さえも消えていたのは想定外だった。なによりウナルで集中力を削ぐ目論見が外れたのは致命的だ。
 宝屋が拳銃のマガジンを交換しながら、舞へと素早く歩み寄ってくる。そして銃口を向けた。
「あいにく、ひとり遊び・・・・・は慣れていてね。その程度の大きさでは俺のアナルを心から満足させることはできん」
 ケダモノのような低い声が、勝ち誇る。
「水原さん、逃げるッス!」
 2階ギャラリーで戦うレッドが、黒服の攻撃をスウェーで回避しながら叫ぶ。狼となった岸田は、こちらに目もくれず鼻息を荒げながら腰を振っている。

 舞は銃口の先から逃れようともがくが、動かせば動かそうとするほど痛みが押し寄せ、脳が運動を拒絶する。
「面白かった。こんなスリルを味わったのは、お前が初めてだ。ウラシマの王でさえ俺の心を動かすことはなかった。楽しかったよ」
 フェイスマスク越しの口が歪む。
「ゆえに、俺はお前の夢を阻む存在だ。死ね」
 宝屋が引鉄に指をかける。舞に反撃の術はない。手足がなくなったかのように反応しないし、動いたとしても危機を脱せそうな超常能力のクリスタルは残っていなかった。
 宝屋を睨もうと上げた顔さえ力尽き、左頬がひんやりとした床にくっつく。
 その視線の先、客席の先頭から3番目か4番目か、舞は誰よりもよく知った顔を見つけた。
(お母さん!!)
 母は、他の客と同じく、この騒ぎなど意に介さずステージを見つめている。意思を感じさせず、瞬きすらせず、ただただじっと。
(ごめんね。なにも返せなくて。守れなくて)
 舞の意思と勇気はついに折れた。どうにもならない無力感から、涙がこぼれ落ちてくる。
 コミュニティの中で居場所を奪われ続けてきた。自分自身で居場所を奪うこともあった。理不尽な悪意に父を奪われた。イチコという友を奪われた。そして母をも奪われようとしている。妹は……アイツは、いろんな男とヤリまくりながら強く生きていくだろうから、まあいい。
 せめて宝屋の野郎に中指を立てながら終わりたかったが、それすらできない。
(結局、私は最後までこんなもんだったな……)
 すべてを諦めて目を閉じた。それでも悔しさが涙を止めない。
 宝屋が確実にトドメをさすべく、銃口を舞の額へと押しつけてくる。この無機質な冷たさが最後に味わう感触か。“犬まんま”の熱さが恋しい。
「さよならだ、お嬢ちゃん。死んで異世界に転生できるといいな」
(返送者としてこの世界に戻ってきたら、真っ先にお前をぶっ殺してやる)
 念じたが、口にはできなかった。なにもかも無駄だとわかっていた。せめて一撃で、苦しまずに逝けたらいい。
 
 しかし、舞の願いは叶わなかった。
 閉じた瞼の向こうが暗くなる。目を開けると、ホールの明かりが落ち、ステージ上にスポットライトが当たる。
「な、に……!」
 宝屋は銃口を舞に突きつけたまま、全身が硬直して動かない。抵抗しているのだろうが、わずかに震えるだけだ。
 舞の胸に、かすかな希望がよみがえる。
 そして会場のスピーカーから音楽が流れ始める。
(これは!!)
 誰もが知り、舞にとっては忘れられないイントロが軽快に鳴り響く。
 2階のレッドも、黒服たちも、戦いの手を止めた。岸田はいつのまにか姿を消していた。
(ドリフ大爆笑のオープニングテーマ!?)

つづく。