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あなたにはこの世界がどう見えますか?

 最近積極的にXを見るようにしていて、いろんな人の日常をこっそり追いかけています。本当にいろんな人がいて、趣味に没頭している人から悩みだらけな人までXにいます。良い時代になったなぁ。

 そして僕が今回書きたいのは、人によってこの世界の見え方が全然違うってことです。毎日が楽しくて仕方ない人もいれば、ずっと絶望してる人もいますね。もちろんそうなった原因に、どうしよもない遺伝情報や、家族とのコミュニケーションで影響されることで作られた性格も考えられます。だけど、じゃあもう仕方ないじゃんじゃだめです。今からでも変えられる余地を探していくべきです。人によっては忌み嫌うべき論です。

なぜこの世界が恐ろしいのか?

 毎日が不安な人は、この世界にいる人間がきっと怖いんでしょう。それはもう少しの失敗をつけ込まれると勘違いしているし、能力が低いと馬鹿にされ、もう死んでしまったほうがマシだと考えている人が多いんです。死んでしまえばどうなるかはわかりませんよ。ほんとうに辛い人生からおさらばできるかもしれないし、もっと辛いなにかが待ってるかもしれません。極端に死ぬことに救いを求めるのも、恐れを抱くのもおかしいんです。

 確かに今の社会は自分自身の価値すらも交換できますよね。就職なんかそうです。自分の価値をできるだけ小ちゃな用紙に書き込んで、身なりを整えて、ハキハキと採用価値を語る。もし人間を観察できる神様がいたのだとすると、滑稽です。ですがそれが現実なんです。ただ神経症になる人は、というかそれを発症している間は客観性を失います。客観的すぎるから神経症になるなんて間違いです。現実はそんなに喜ばしいことでも、苦しいものでもありません。だからこそ、どんな人に嫌われて、どんな人と出会って、誰と暮らしていくかなんて初めからわからないんです。

 そしてそんな不安ばかり抱えている人に限って愛されること夢中じゃないですか。愛されてきてないからっていう文句も半分は認めます。ですが、愛されること素直に受け入れられていないんじゃないですか?あなたは誰かを愛することが怖いんじゃないですか?

 誰にも愛されず、誰かを愛することもできないってのはすごく怖いはずです。孤独ですよね。群れを作って生きる人間がださいって一度はみんな思うかもしれませんが、いざ自分が孤立してしまうと寂しいもんです。

 他者を変えることは難しいです。その人に愛されようと思っても、なにもしなければ無関心状態が続くだけです。だからこそ、人の愛を疑う前に自分の愛を疑ってほしい。あなたこそ本当に人を愛せていますか?愛することっていうのは気持ちだけじゃありません。いやまあそうなのかもしれないけど、ここでいう愛するってのは気持ちだけでなく行為の次元です。話しかけるってのもそうですし、相手の話を聞くってのもそう。あった出来事を共有することもそう。遊びに誘われるだけじゃなくて誘ってみるのもそう。プレゼントをあげたりもそう。

 結局それじゃ就職と同じで何かを交換して、誰かと繋がろうとしているだけじゃないか!って思う人は、かなり卑屈になってます。もうそれは客観性を見失って、この世界を悪く捉えようとする主観に侵されています。この世界を悪く捉えれば誰かと関わらなくてもいい理由になるので。それでも希望を持って生きていけるのならそれでいいのかもしれない。でも強く生きていくためには弱い自分を見つめなきゃだめです。1人では生きていけないということを受け入れてください。ゆっくりでもいいので、身近な人から関心を向けていきましょう。人間は敵だけじゃないです。実際あなたが困れば心配してくれる人がいるはずです。少なくともXでは迷子になったペットを助けようと大勢の人が協力しあっていますよ。そういう世界もあるんです。


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