さわり だけ知っておくことの凶悪さについて

物々しいタイトルにしてしまいましたが至って平和な記事なのでご安心下さい

大学や独学で読書をしたり インターネット(私の場合主にwikipediaだが
で記事を読むと「だいたいなんとなくさわりだけ理解した(気になる」という現象が起こる 活字さえ読めれば
これ事態は別にどうということはその瞬間自体は何も起こってないし怒り得ないが時を経ると 凶悪な一手(←おおげさな表現)になること”も”ある

具体的な例を出すと
私の体験談からするに当時高校一年生受験期を終えた私はまだ従来の「教科書を丸暗記してテストに挑む」という極めて非効率的なことをしていた 詳細は省くが二年でそこの高校を退学する羽目になるが それについての詳細は別記事で扱うので今回は割愛する
話は横道に逸れたが。当時何を気にしていたか フェルマーの最終定理やエヴァリストガロアの生涯など当時のテストとは一切関係ないことを図書にこもって手当たり次第読んで記憶していた その長期記憶が6年後生きるとは露ほども知らずに

で、現在2023年8月前後に話を戻すと
この経験値というか膨大な(学者の人から見たらチャチい知識かもしれないが)知識が昔のことを語りだすと誰よりも長く話せる(個人的な造語で これを「詠唱」と呼ぶことにしている。)スキルに役立っている

まとめ

今これを読んでいる読者諸君が20代なのか50代近い人なのかは皆目見当も付かないが.
若い頃の柔軟な脳にインプットされた知識や経験 それにケンカしたことなどの記憶や嫌だったことは確実に後の自分を救うようにできている ということを伝えたかった。なので現在のZ世代と呼ばれる方々にはどんどん経験値を貯めるような体験をして欲しい そういった経験は当時はまるで役に立たないと思うかもしれないが年を取ってからスルメのように効いてくるという話.
それだけ 以上

・どんなにちょっとしたことでも"さわり"だけでも知っておくと後の自分を大いに助ける可能性が上がる という話

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