自害念慮返上

当然のごとく自殺念慮が存在した。学校という概念に身を置いてから長い間ずっと、今ここで飛んだら学校行かなくて済むかなそんな漠然とした念慮が存在した。

みんな平等に抱えてるのだと思っていたが、どうやら違うらしい。私は大チキンなので自分の腕に傷一つ付けることすら出来てない。だが親指は常にボロボロで無限に逆剥けをむしってしまう。それが俗に言う自傷行為らしい、知らなかった無意識にやっていた。

まぁそんなことはどうでもいい、ある程度大人になったら学校に行かなくて済むし希死念慮は無くなると思っていたが、残念なことに留まることを知らなかった。

そうこの無職、周りに置いていかれっぱなしである。就職してる友達もいれば学生もいる、フリーターの人もいるが皆立派にお金を稼いでいるのである。一番のネックはそこである。絶望人間は金がないのだ

「バイトしろや」そう言わればおしまいである。だが無理である、それに踏み出す前に一旦出てくる希死念慮である。それと長年戦っているのである、分からない人には分からないと思うが、私は学校に行く・働くその前に一旦、“死” が挟まってしまう。色んな人に何度か話したことがあるが、理解を得ることは無かった。

皆考えが金優先で金のためなら嫌なことに、耐えられるタイプの人が多いため、同意すら得られない。働きたくないのは分かる←皆ここまでである、その次の段階に皆進んでいる取り残されているのは私だけ。

なぜ同意を得られないのだろうか、なんでそんなに労働が出来るのだろうか。ずっと思っていたが20歳になって初めてわかったそう

年金を払うためである


カスである。私は無職だが一応人間として年金は支払っている、今働く理由は年金が100%である。週に一回の労働だが年金分は得られている、それ以上働いたらありとあらゆる未知の病状が吹き出てしまう。

死と生と向き合うために今出来ること、それが無職絶望日記である。これがもしかしたらどうにか金が入るかもしれないという、下品な考えである。

そこで一旦自害念慮を返上し、執筆活動に身を置いてみたいと思った。私はラッキーな事に作文は上手と言われたし、賞も貰ったことがある。

死に縛られず好きなことで、生きて行ければどれほどいいことだろうか。早く生きるための金を稼ぎたい。

私が一番金に執着しているのかもしれない。愚かである

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