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  過去は変えられる

過去は変えられる。
えっ? 何を言ってんの? と思うだろう。
過去は変えられないよ、変えられるのは未来だろう、と思うだろう。
 
だが、過去は変えられる。
それは、こういう意味である。
 
過去というのは、記憶を構成したものだ。
普通は、過去とは、過去に起こった事実の全体だと思うだろう。
だが、ある人にとって意味のある過去とは、過去に起こった事実
についての記憶の一部を構成したものなのである。
記憶は膨大な量だから、すべてが意識の中にあるのではなく、
大半は無意識の中にしまいこまれている。
そして、何かのきっかけによって、無意識の倉庫の中から意識に
取り出されてくる。
だから、過去というのは、過去の事実のすべてではなくて、
現在、意識のレベルに取り出されているものの集合体なのであり、
常に再構成されたものだ。
 
ここまで読めば、そうか! と分かってもらえるだろう。
無意識の倉庫からどの記憶を取り出してくるかによって、意識のレベルで
構成される過去のイメージは変わってくるのである。
 
では問題は、どの記憶を引っ張り出してくるかだ。
それを決めるのは何か。
それは、その記憶に関係する、現在の感情や判断なのである。
まさに、今現在の気持ちが記憶を構成する要になっているのだ。
 
例えば、あなたはおばあちゃんを大好きだろう。
そうすると、あなたは、おばあちゃんとの楽しかったことや
可愛がってもらったことばかり思い出す。おばあちゃんとの間には
楽しくなかったことも実際にはあったかも知れないが、そういう
経験は無意識の倉庫の中にしまわれがちだ。
 
逆に、クラスにいじめっ子がいたとする。そうすると、その子のことを
考えると、いやだったことばかり思い出す。
だが、久しぶりの同窓会で、そのいじめっ子に会ったとき、彼から
「学校の時は悪かったね、ずっと気にしていたんだ」と謝られると、
彼のことを見直すような気になってくる。
そうすると、昔のクラスのときの彼の記憶が少しづつ変わっていく
かも知れない。
「そういえば、ずっと忘れていたけど、他の男子が教室で暴れていた
とき、おまえ、いい加減にしろよと諌めてくれたこともあったなあ」

この2つの例は、他人に対する自分の記憶のことだが、
反対側、つまり自分に対する他人の記憶についても同じことが言える。
今、自分がどのように振舞うかによって、他人の記憶が変わってくるのだ。
 
過去に向き合うということは、ときにつらいことである。
だが、そこから逃げていたら何も変わらない。
頑張って過去の事実を直視し、そこから得たものを自分の信条として、
今を生きていくことが大切なのだ。

そして、ここまで書いてきたことは個人のレベルのことだが、
社会の記憶についても似たことが言える。
歴史が絶えず書き換えられるのも、その故だ。
 
例えば日本の歴史について見れば、日本という国は、よいことも
してきたし、悪いこともしてきた。
その事実はもはや変えようがないが、日本を見る他国の記憶は、
現在の日本がその事実にどのように向き合っているかによって変わる。

過去に悪いことや思い出したくないことをしてきたとしても、
それを無理に無かったことにするよりは、正面から向き合い、
矜持をもって国のあり方を追究していく方が、他国によりよい記憶を
もってもらうのにふさわしいと思えてくるのである。
 
                                       (2024.02.11)
 
 

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