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兄妹でAスペクトラムだと気が楽。という話。

なんの因果かわからないが、僕ら兄妹は恋愛感情というのが湧かないらしい。妹の場合はアセクシュアルでもあるので、綺麗なまでのAro/Aceとなっているわけだ。

とはいえ、妹の場合はそんなに自身のジェンダー・セクシュアリティ観で悩んでおらず、そんなことを考えるよりかは本を読んだりスマホ見たりと好きなことをしているので、いちいち悩んでいる僕からすれば、羨ましさすらある。

本人曰く「恋愛とかしたいと思わないんだよねーー(おわり)」とあっけらかんとしているのである。

実際、アロマンティックやアセクシュアルだからといって、他のセクシュアリティを自覚している人との線引きをしていない人は多かったりする。それこそ恋愛ができる人とも仲が良かったりするわけだ。

もちろん、僕もストレートや他のセクシュアリティを自認している友達もいるわけだが、割合としては半分もいかない。それよりはAスペクトラムを自覚している友達ばかりになっている。

あっち側とこっち側で分けるというのは確かに良くないかもしれないが、それでも僕は割と線引きをしてしまうタイプなのかもしれない。

実際、仲の良い人が恋愛や結婚、出産を機に離れてしまうことを考えると、悲しくなったりもする。そんなことでいちいち悲しんでいる自分が嫌なので、考えなくてすむ同じような価値観の人が周りにいると安心するのだと思う。

そんな妹には親友と呼べる気の置けない人がいて、その人のことを大切に思っていることは長年の話ぶりから良くわかる。妹がする友だちの話は大体その人についてだからだ。

とはいえ、その人には彼氏がいて、いわゆる「普通」の恋愛感覚なのだという。

「相手に彼氏がいたりするのは悲しくないの?」と僕。
「ぜんぜん大丈夫だよ。もともとお互いいつも会えるわけじゃないから」と妹。
「でもさー、いつかその人も含めて、周りが結婚したり、子供持ったりもするわけだよ」と言うと。
「それはイヤだな。つらすぎる!」
と手のひらを返してきたので、なんじゃいと思ったが、まあわかる。恋愛と結婚とじゃ距離感がまたもう2段階くらい違う感じがする。

実際には変わらなかったとしても、やはり遠くに行ってしまう感覚があるのかもしれない。

人間の関係性は不変ではない、むしろ変わり続けている。ある時は友達であっても、ある時はそうじゃないかもしれないし、またある時は家族とも呼べる存在になっているかもしれない。相手も自分も変化し続ける。それは当たり前のことなのに、ある変化に対しては寛容になれない自分がいることを発見する。

・・・適切な距離感というのは、関係性のテンプレートがない僕らAスペクトラムからすれば、思いのほか実践するのが難しい。

言ってしまえばどこまでも他人である人たちに、どこまで関わっていいのか。わからない時は、ある。

干渉することはエゴだ。コミュニケーションを取ろうとする意志そのものがエゴに思えるときもある。それでも、間違ったら謝って、また適切な距離感を一人一人、その都度その都度見つけていくしかないのだ。

そう考えてみると、途方もない道のりのように見える。社会的にゴールのない関係性を続けていくことになるのだから。明確な終わりもないし、どこまで行ったからもう安心ということもない。僕らが築き上げる関係性は、砂上の楼閣のようなものかもしれない。

・・・でも、それって実はどのような関係性も同じものではないかとふと思う時があった。付き合ったからといって関係が落ち着くことはないし、それは結婚したからといって必ずしも関係が安定するとは限らないのと同様だ。その人がいることは当たり前ではないのに、当たり前だと思うとぞんざいに扱ってしまうのだ。

・・・

妹がバリバリに恋愛したいぜ、彼氏ほしいぜというゴリゴリの(ヘテロで)恋愛至上主義だった場合、僕はかなり居心地が悪かったはずだ。だってそれに乗れないんだもん。

とはいえ、そうはならず、それどころか兄妹揃ってAスペクトラムだったことは、100人に1人と言われるAスペクトラムの中でもかなり特殊な事例になっているのかもしれない。

それでも身近な人で「恋愛とか結婚とかしようとしてる人たちって大変だねー」という話で共感できるのは助かっている。
(アラカワ)

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