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ゲイが読んでみた『生殖記』

ネタバレを含むので、未読の方はご遠慮いただいた方がいいと思います。

その昔、会社の忘年会で、経営者が社内結婚&妊娠なカップルを前に呼び寄せ「おめでとう!」みたいなことをやって、みんなも拍手をする、ということがあった。
僕もめでたいことだな、と、拍手をした。
けど、そこから怒涛のように、直近で子どもが産まれた人とか、最近結婚した人とかを前に呼び寄せ、絡んで、みんなで祝福していく、という光景が続いてしまい、途中からゲンナリし始めた。
宴会の席だし、酔っ払っていい気持ちになって、めでたい、めでたい、そんな空気が生まれるのもわからなくはなかったが、この幸福の賞賛ってなんなんだろ…とぐるぐる脳内に言葉が出てきて、こんな忘年会なら来るんじゃなかったな…と年の瀬に考えたりもした。
同性愛者の自分にとって、結婚、出産こそ、祝福される、笑顔になれる、気分よくなれる、すごいこと、みたいなテーマが、気持ち悪さと絶望の狭間で揺らぐ。
いや、そのレールに乗ることができない異性愛者もいるだろう。
妊娠できなかった人、そもそも彼氏彼女ができない人、そもそもそーいうのに興味がない人、離婚した人…
あまりにその祝福ムードが続いたので、タバコを吸いに席を外した。

おっと。
『生殖記』の感想だった。

まず、主人公(正確にはダブル主演だけど)の同性愛者の生い立ちや考え方が、よくある同性愛者の悩みを丁寧に紐解かれていて驚いた。
ゲイの典型、みたいな主人公。
幼少期から、この異性間恋愛至上主義の強固さに打ちのめされて、生きることを辞めたいなー、て思うことなんてザラにあって、でも、この社会になんとか順応してかなきゃなー、て、あれやこれやとやってみる。
そんなゲイの人たちって多いんじゃないのかな?と。
ゲイだとバレたら、イジメられる、という恐れを幼少期に植えつけられ、三つ子の魂百までで生きてく土台としてしまって。
自分の中の『不自然(異性愛)』が『自然』とされる世の中で、自然に振る舞わないとやってけないんだ…と絶望のようなものに、とりつかれて。

最近はyoutubeでも簡単にゲイの人たちの生い立ち、みたいなものにアクセスできる世の中。
だいたい、中学高校で男が性欲の対象と気づいて云々語られる。

みんなそんなものなんだな、と。

そして、典型的なゲイの主人公は、社会に出て、そんな異性間恋愛至上主義の海を渡っていく。

実は、本当に単純なストーリー。

いつ頃からか、多様性、LGBT、とかがトレンドワードに出てきて、煌びやかに社会に新しい価値観みたいにのさばった。
いやいや待てよ、と。
なぜ、今さらそんなこと言うんだよ、と。
当事者としては、急に世の中がひっくり返す方向を得たような、新しいおもちゃを手にしたような感じで、気持ち悪かった。
でも、少しは自分を理解してもらえたりするようになるのかな、と思ったりもした。

動物の同性愛についても調べたり、雌雄同体とか雌雄が入れ替わるとか、雄が雌に食われたり同化するとか、雄が妊娠するとか…
性の多様性に触れたりもした。
でも、そんな知識を得たって、人間社会は変わらないのにね。

主人公が最後、自分の体作り+スイーツ作りに生きる活路を見いだし、体外妊娠の研究の動向に注目する、という流れは、そこに着地するんだ、と驚いた。
でも、その着地点が満足しきったら、次はどこへ向かうんだろう?とも思ってしまった。
会社を辞めて、パーソナルトレーナーとか、スイーツ店で働くとか、そんな展開になったり…しなさそう。
この主人公は30代だし、まだまだ転機は何度でも訪れるはず。
どんな未来を歩んでいくんだろうか。

最近は、趣味、の大切さを感じることが多い。
僕は、この主人公と違って、仕事に精を出すことで、心の穴埋めをしてきたほうで、趣味、ということにあまり気を遣ってこなかった。
拠り所となるものは、何個かもっておいた方がよいことに、この年になって気づく。
異性愛者で結婚して子どもを持っている大多数の人たちは、仕事、家庭、子育て、それに付随するコミュニティ、拠り所が何個かできる。
でも、同性愛者の僕には、強い拠り所が仕事くらいで、それ以外わりと弱い拠り所になっていることに気づいた。
しっくりくる拠り所、その在り方は千差万別なわけだけど、この主人公のように、没入できるような趣味をゲットできるかは、生きてく上でとても大切な気がした。

そうだ、多様性という言葉の氾濫への違和感は、千差万別という前からある言葉の言い換えなんだ。
もう、千差万別でいいじゃん。
無理に多様性とか言わなくても。
多様という言葉がさも豊富なイメージを生み出してるけど、千差万別ならもうお互い無理しなくていい感じ、出ません?
誰かが言ってた、多様性の行き着く先はみんな無関心、だって。
なかなかに言い得て妙だと思ったけど、うーん、でも、そうなるかなぁ?とも。
だって、なんだかんだで無関心でいられない世の中だし、これでもかって関心ごとを提供してくるじゃないですか、社会って。

生きたいように生きればいいよ、人に多大な迷惑をかけない範囲なら、と。
お互い無駄な干渉しないで生きていきましょうよ、と。

そんな世の中ってのも、ありっちゃありだけど、なしっちゃなし、なんだよなぁ…

そんなこんなで、この主人公は同性愛者としての性行為の経験があるのか無いのかは描かれることもなかったけど、最近のゲイさんたちは、マッチングアプリやらSNSやらで、やたらと出会いを探してみたり、やたらと顔や体を披露して自己肯定感満たしたり、忙しくしている人も多い。
埋められないものを埋めていくための、死ぬまでの暇つぶしの中で、そーやって貪っていく。
性欲に傾倒していく人もいれば、そうでもない人もいる(この主人公は後者)。

みーんな、現代において、埋められない何かを埋めるため、死ぬまでそーして生きていかなきゃいけないことに時々疲れながら、今日を生きてるんだなぁ…

そんなこんなで、『生殖記』面白いというより、いっつも考えてることがツラツラと書かれてて、まあ、そうだよね、といった感触でした。
作者さんゲイなの?と思っちゃうくらいリアルな主人公の思考パターンで、ゲイで無いとしたら、ものすごくちゃんと取材してるんだろう。
同性婚とか触れてくるところも、なんか最近のゲイ界隈のトピックスをある程度把握してるのかな?とも思ったし、いちいち出てくる同性愛嫌悪発言への言及とか、なんでこれらをわざわざ取り上げるんだろう?同性愛者の権利擁護NPOみたいな社会活動ネタをなんでぶっこんでくるんだろう?とも…

ゆるーくでもしっかりでもどうでもいいけど適度に社会貢献しながら、プライベートをそこそこか多少かはあれど充実させて、妙な哲学とか懐疑とかを止めながら、毎日をそこそこに送れたら、それでいいんじゃない?という結論。
異性間恋愛至上主義に裏打ちされた資本主義が、ハイパー資本主義に向かっていっている中で。
重箱の隅をつつくようにきっかけを見つけて発展して行く社会の中で。

これが今のところ、2020年代のアンサーなのかもしれない。

2030年代、2040年代と、どうなっていくのか、ぼんやりと眺めてみたい気持ちになった。

(追記)
主人公とダブル主演の語り手さんは、結局、その使命に今回活用されそうにないわけですが、それで良しと思っているのでしょうか?笑
いや、もう、良しとか悪しとかいう概念なんてどうでもいい世界に生きてるんでしょうね。
ふーん、くらいな。
役割とか役目とか使命とか運命とかなんて、結局人間が作り出した概念でしかないですもんね。
地球の歴史からしたら、ちゃんちゃらどうでもいいことでした。笑

あー、人間、なんでこんな脳が発達してしまったんだろ…笑

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