見出し画像

学ぶを学ぶ

う~ん~.みんなさー、今の世の中どうなってんだろうね!
戦争は終わらないし、日本人の精神疾患は世界を見渡しても多いって言うし、戦後教育も違う方向に進んで行ったって今は話題だよね!

ここでもう一度、初心にかえって、っていうことで、まなぶっていう言葉と学ぶっていう漢字を考えてみようと思うんだ。

 まなぶの語源ってみんな知ってる?
これは真似る(まねる・まにる)、並ぶ(ならぶ)、誠に習う、とから来てるらしいんだけど、古語の学ぶは、まねぶと読んでたようだねー。要するに真似と学ぶは似たような意味って言う訳なんだ!

みんな、真似をする時ってどんな時?同じ様なことをしたいと思った時だよね、これは同時に人から人への伝達ってことになるよね!

そう考えると何となく漢字と言葉がくっ付いて来たように思うよね!

それじゃ今度は漢字を考えてみよっか!
僕は、学の甲骨文字と金文字に注目したいんだ!

甲骨文字と金文

上半分の両端にあるのは、両手を意味しその中央にあるのは、今の漢字で爻(まじわる・コウ・ギョウ)と同じ意味らしい。また、これ1文字で真似るの意味もあるらしい。その他一説によると神社の屋根の上にある千木(ちぎ・神が宿る木)を模しているされる。

下半分は現代で言う家屋を表している。

家屋の中にいるのが子供あるいは青年とされている。
当時青年は家を持つことが出来ず、集団で生活をしていたらしい、その中で教育や訓練などしていたようだ。

全体的にこの金文を解釈した定説では、上の立場にいる人が、子供あるいは青年を身振り手振りで指導し、学問や舞や技法など教え、先生の真似をし上達し、そして大人になるために引き上げる。そのような意味を持たせた漢字としてとらえられている。

ちょっと学者ポイ説明になってしまったなぁ~ww
でも分かりやすく簡潔に説明したつもりw。
ただもうちょっと辛抱してね‼️

さぁ続きに入ろう!ちょっと熱く語りたいw

私が思うに、上に説明した金文の定説における解釈では、現代における学ぶ(まなぶ・まねぶ)とゆう本当の真意、まなぶと学を結びつけるには、この定説では軽すぎると思うのです。
ほんとうに[まなぶ]とゆう、倭(やまと)言葉、日本語はもっともっと深く深く、その背景すら感じ取れる、魂の言葉だと思っているのです。

まなぶという言葉に古代の日本人が[学]の金文字を見た時、どう思って結びつけたのか、その目の奥に何が映っていたのか、それを考えると…
 いやそれは私の妄想に過ぎないかもしれない、当時は本当に定説にあるような意味しか無かったかも知れない、しかし、現代人はもっと心の進化があってもいい、いや、進化しなければならない、全世界には[まなび]の奥に広がっているものが欲しいのである。
世界はそれを求めているはず。

私は、上記載の中央にある金文字を見続けた、ずっとずっとずっとずっと、すると感情に抗う(あらがう)ことが出来ずに、なんの前触れもなく涙があふれ出てきた。拭うにも拭い切れない、ティシュがどこにあるかも分からないくらいに…

走馬灯が一時停止したように、私の心の写し絵は金文字と重なって、その家の中から外を眺める、一人の幼き子供を見た、私は声をかけた、心の中でそっと、あなたの姿が見えてるよっと、涙を拭いながらも…揺れ動く水滴の合間からよく見ると、6~7歳くらいの年端もない子だ、外には行けない事情があるのかもしれない、その後ろ姿には微笑みも感じとれる。
家の外には両親と思われる2人の姿が見えている、お互い座りながら、ときには見つめ合い、ときには笑いながら無心に籠を編んでいる。なにかの木の実を入れるのに最適な籠のようだ。

もう幾つも出来上がった籠がそこには並んでいた。
その姿を嬉しそうに眺めている幼き子、そろそろ色んな感情が生まれてくるそんな年頃だ、両親のしていることを真似したい年頃でもある。

その子供は両親をずっと見ていた。なにかをつたえたいのか、感じとっているのか、その後ろ姿は安堵感さえ感じる。この子はいったい何を感じて、何を想像しているのだろう。

私の目頭の火照り(ほてり)が冷めない数秒のうちに、スっと言葉が聞こえてきた。
何もかもが一瞬…そんな感覚だった。

:子供よパパとママのこの姿をしっかりと見るんだぞ、生きて行くために何をすれば良いのか、なんのの為に私たちがこうしているのか、ちゃんと見てまなぶんだよっと:

私は一瞬のうちに両親の心の声だとわかった。
それは言葉としてではなく、感覚として私の心と通じあったそんな瞬間と感覚だった。

再び目頭が熱くなり同時に2度目の涙が溢れ出てきた。

たった1文字にそんなドラマが見えた一時(いっとき)の経験だった。
それは1文字に魂が宿った瞬間である。

我々現代人は、いくつもの時代を経て、たくさんの経験をしてきた。
私たちは古い建物を見れば、美しいと感じ、そこに建てた人たちの労力をも感じとれる。すごいな~っと思ったり、そこに思いやりも見いだせる。

それは無機質なものに、愛情が生まれる瞬間でもある。我々は無機質なものに魂を感じ取れるまでになった。マイカーとして愛情を与えたり、マイペンとして可愛がったり、それは万物まで到る。

まなぶとは一体何なのか、もう一度考えたい。
まなぶとは決して真似だけじゃない、その背景に何があるのか、それを感じとり、出来ればそれを経験する、それが学ぶ(私の見た金文)という漢字と倭言葉(日本語)にあるのかも知れない。

これが、全世界の人々の心に宿るように…
切に願いたいと思います。そうなればきっと破壊もおこらないでしょう!

🌳•*¨*•.¸¸❀*・゚🍋•*¨*•.¸¸❀*・🌳


いやぁ~ちょっと熱くなっちゃったなww

難しい文章にもなったかもw
でも真摯な気持ちも伝わったかなぁ~と思っちゃう!私がいるww

追記
きっとこの金文に宿るお子様もすくすく育ち
、その子が親になったときも、きっと同じように子供に接していることでしょう。合掌

そしてスキボタンもついでにポチッとお願いします‼️

皆さんも出来ればずっと中央の金文字を見てください。見えて来るかも(*^^*)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?