見出し画像

有給消化 - ver 20.3 days-

こんにちは、まりゆです。
有給消化23日目。
先日より、母の調子が良くないことを聞いていたので、
ちょっと様子をうかがいに実家に帰りました。

実家とはいえ、情弱な後期高齢夫婦の狭い借家は 本当に疲れる。
巣立った家なのだけれど よく成人になるまで我慢できたものだと
毎回 真剣に思う。
結局 来週は母の通院の付き添いを引き受けざるを得なくなってしまった。

母は、少し認知症の可能性があるとはいえ、こちらから話しかけたことに対して、ちゃんと受けごたえができる。しかしながら、食事の準備や冷蔵庫の在庫、今日が何日で何曜日なのかは わからない。

父は、母より5つ年が上だけれど、90歳近くになっても自転車でスーパーに買い物に行けるくらいしっかりしている。
そんな感じだから、母に対しては一日中 怒りっぱなしで、よく頭の血管が切れないなぁと呆れ果てる。

日々の物忘れに、父が母を怒鳴り散らすので
「とりあえず、私が毎週様子を見にくるようにするから。」
思わず 心にもないことを言ってしまった。

35年前に、私はここを逃げるように飛び出した。
2DKの狭い区画で、親夫婦が毎夜 怒りをぶつける光景に堪えられなかったしそれは、私が社会人になっても続いた。

飛び出した後の 当時のさみしさも、何もかもすっかり忘れた。
それからの 両親の手ひどい言葉は覚えているけれど、老齢になるという事はそんなに調子のよいことなのか? 
最近では普通に電話をかけてきて私に泣きつく。

いったいいつから 私は両親を乗り越えたんだろう?

亡くなる前の主人に、伝えておいて良かったなと思うことがある。
「子供にめぐり逢えたことは、本当に感謝しています。」

息子は小さいときから感受性が強い子で優しくて、何事も一生懸命。
かわいくてしょうがなかったから、溺愛していたと思う。
息子のおかげで間違いなく人生が 変わった。
私は主人と子供に救われた。

子育てが落ち着いて、仕事に復帰してからの両立は、主人の協力がなければできなかったことだし 大変と一言でいえるような月日ではなかったと思う。
しかしながら、共働きの収入だったから 息子にはやりたいことは何でもさせたし、頭から否定するようなことはしなかった。
悲しいかな、両親のマイナス思考から学んだことだった。

「あんたはいつからそんなに何でも ひとりで出来るようになったん?」
『。。。自分で調べて、自分で考えるようにしてきたから。』

人間は一人では生きられない。。。とはいえ、
ひとりで生まれて ひとりで死んでいく。
人に意見を聞いて、生き方を選ぶのではない。
自分で決めて自分の道を進まなければいけない。

父が、帰り際に 毎回にっこり玄関から送ってくれる。
幼少時の私を溺愛してくれた記憶はあるのだろうか?

ケンカ老夫婦の仲裁役は、今できる親孝行なのかな。
そう考えると 落ち度は私にもあったと思う。
健在に感謝しなくては。。。

                   Mariyou-iCat

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?