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教師という聖職者の使命

何の夢や才能を持っていなかった、わたしの長所を、導き出して下さった恩師、伊藤先生へ捧げます。

皆さまもご承知の通り、

学校の教師は聖職者です。

実家が、宗教などに関わっている方は、産まれたときから、(例えば、キリスト教や仏教など)身近に聖職者がいて自分を導いて下さる環境があります。

ですが、大体の人間は小学校に入学し『先生』と呼ばれる存在が、初めて出会う聖職者なのだとわたしは思います。

学校と呼ばれる学び舎で、わたし達は、教育を受けていきます。勉学で知識を得、体育で体力をつけ、集団行動も自然と身につけていきます。

けれど、本当の教師の役目は生徒一人一人の長所を見つけ出し、その才能の蕾が華やかに開花することを導く事。
それが、わたしの考える

教師という聖職者の使命

だと思います。
わたしは、幼い頃からずっと自分には、なんの夢も才能も持たない劣等人間だと思い込み生きてきました。

学校の先生は皆神様のような存在で、親しむことが出来ず、恐れの対象でした。その時はまだ、『聖職者』という教師の肩書も知らず、小学生時代には、
『この子は将来ろくな人間にならない』
とまで、母を介して言われました。
【この言葉は、過去に何回か紹介しています】
わたしは、極度の人見知りで、友人も一人しかおらず、休み時間は彼女に依存するかたちで、金魚の糞みたいにチョコチョコ跡を追いかけていました。

多分、そのわたしの姿が、その時の担任に、不快に思われたのでしょう。

それ以降、わたしは教師に対して恐れの気持ちが増す一方でした。


中学時に出会った担任、【伊藤先生】の存在に、本当の意味での聖職者を知りました。

電子辞書にも聖職者の存在は記載されています。


※人を導き教える聖職に従事している者。またキリスト教以外の宗教、教育など他の分野でも類比的に聖職者という言葉が使われる場合がある。


わたしは、教師とは単に教育を指導する存在ではなく、生徒個人個人の、褒めるべき長所を発見し、生徒のその存在価値を認めるべき、伝えるべき者だと信じて疑いません。

わたしの文章を初めて認め、理解して下さった伊藤先生にここで、改めて感謝の意を伝えたいです。

まだ、現役で教師を務められているのか?それとも、引退されたのか定かではないけれど、先生の好評価がわたしに生き甲斐を与えて下さった、恩師です。感謝しています…心から。

先生が居たから、わたしはこうして好きな少女小説を書き、noteで、興味を抱いて下さった方々に笑顔になれるような、心が優しくなれるような気持ちになって頂ければ、これ以上の幸せはないと思います。

先生、いつまでもお元気で。


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