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探究学習の必要性を確信した個人的できごと その2

 平成7年頃「学力崩壊」と言われるできごとが高校で起きました。
 学力底辺校では、高校入試で「数学0点、国語0点」の受験生が出てきて、合格するようになりました。進学校では、今までは合格して当たり前の地元国公立大学への合格者が0名になりました。
 このような状況において、底辺校では「学力が低い生徒にあわせた授業+ゲタを履かせやすい成績の出し方」によって、留年・退学を防止し、とにかく卒業まで手厚く指導することが求められました。
 進学校では、「勉強は生徒がするもの」という理念を捨て、「早朝・長期休業中の受験補習」「週末課題」などを実施することで、学習時間を確保し、学力を維持することに成功していました。つまり、「教員による手厚い指導とやらせる勉強」によって国公立大学の合格者を増やすこと、そういう指導ができる先生がよい教員という価値観が生まれたのです。
 この時期、学習指導要領では「ゆとり教育」が進んでいたのが皮肉というべきでしょう。

◆音大・美大・演劇科進学希望の生徒さんとの出会い
 中堅進学校で3年生の担任をした時です。
 教科選択のためか、学年主任の陰謀なのか…私のクラスに芸術系を希望する生徒さんが集まっていました。こういう生徒さんに学校ができることはあまりありません。入試のための「実技試験」は、それぞれの専門家のところにレッスンに通っています。
 学校はまだ3学期制でしたが、3年生は2学期の期末試験で卒業が決まります。二者面談、三者面談で伝えたのは、「1学期は休まないこと、1学期の中間期末で80点以上取ること」です。
 入試が近づけば、平日にレッスンが入ることもあるでしょう。家にこもって作品を仕上げないといけないとか、演技や楽器をさらわないと間に合わないこともあるはずです。そんな時、学校を休めるように、勉強しなくても大丈夫なように、「成績と出席日数の貯金」をしておけということです。
 卒業と合格と両方手に入れるためには、あなた自身の努力しかないと突き放したともいえるでしょう。担任ができるのは、レッスンの優先を認め、そのため欠席を風邪・体調不調・家事都合として処理することくらいで、あとはよろしくです。
 それでみんな合格しました。芸大まで受かったのはすごかったです。

◆生徒会の生徒さんとの出会い
 
上の高校にいた時、一部の生徒さんが徒党を組んで授業妨害などを企てたことがありました。喫煙・カンニングなどもあったのですが、現行犯でつかまえることができません。やがて、盗難が増えてきました。このような状況を解決できない教員に対する不信感が大きくなり、管理職などからの圧力もかかります。
 進路部だった私は生徒会との縁はなかったのですが…副会長が私のクラスにいました。私は正直に、教員の限界を伝え「どうしたら良い?」と尋ねました。副会長はにやっと笑って、「わかりました。生徒会で話し合ってみますよ」と言います。ほどなくして生徒会を中心に「盗難防止」の活動が始まり、それが徒党を組む生徒さんへの抑止力となっていきました。要するに、「生徒さんは解決方法を持っている、その解決方法で大人が解決できない課題を解決できる」ということです。

◆バスケットボール部の副顧問として経験したこと
 引率顧問でも大会ではベンチに入ります。
 対戦校のベンチを見ると、監督が大きな声で指示を出し、ときには「なにやってんだ!」という怒号が飛びます。そういう監督のチームは負けると、試合後体育館のロビーに集まって監督主導のミーティングをしています。生徒さん、しゅんとしていますけどね。
 一方、全国大会レベルの強豪校の監督の多くは黙って座っています。試合後のミーティングの様子をみていると、生徒間で試合を振り返って喧々諤々の議論をしています。スタメンもベンチも関係ありません。とにかく気づいたこと、修正すべきこと、次の試合までやっておくことを選手間で話し合い、共有しているんですね。これが「強さ」の秘訣といえるでしょう。
 ここでも、生徒さんが課題を見出し、解決方法を考え、結果に結びつけることができていました。

◆手厚い指導への疑問
 手厚い指導を否定するわけではありません。
 ただし、生徒さんには自分で課題を見つける力、課題を解決する力、結果を出す力があります。これらの力を削いでしまうのは「手厚すぎる指導」ではないかと思いました。それは、生徒さんの自立の妨げとなるということです。しかし、世間では「先生は何もしない、手を抜いている」という評価が世論となり、「手厚すぎる指導が熱心な先生」といわれていました。
 (でも、そういうことを言う方こそ、依存心の強い人とも言えます)
 こういう評価から、私自身が自由になろうと思いました。
 
 もっと学校が強く指導しないといけない、国公立大学への進学者数が減ったのは先生のせいだ…と言われれば反論する言葉を持ちません。そして、強い指導と膨大な宿題、連日の受験指導で合格に至った生徒さんがいることも否定しませんし、そのことで国公立大学の進学者数は飛躍的に増えました。
 一方で、高校では不登校が増え、中学ではいじめが増えました。
 (それも成績上位層の生徒たちが関係するケースが増えました)
 大人が解決できない問題は増えるだけなのです。
 でも、大人が解決できない問題を、大人に解決させようとするのです。
 
 肝心なのは、生徒さんが課題を見つけるまで、解決策を考えるまで「待つこと」なはずです。その間の試行錯誤・紆余曲折の時間を許可すること、邪魔しないことではないかと思いました。
 それを具現化する方法が、広い意味での探究学習ではないかということです。ことここに及び、探究学習への確信が強くなってきました。要するに、なぜ探究学習か、探究学習とは何か…についての自分なりの確信が持てたということです。他者との共有はまだ無理でしたが。


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