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探究学習のマインド形成 6「主役の責任…」

 生徒さんが主役の授業、主体的・探究的学びと言っていますが、その意味が腹落ちすることはなかなかありません。教師の管理・知識の押し付けを嫌う生徒さん、自分ペースで学びを進めたい生徒さんのモチベーションは高まる一方で、先生の手抜き・つまらない・面白くない・受験対策をしてほしいという批判も高まります。

◆アイドル好きの生徒さんとの会話から
 乃木坂46のファンという生徒さんがいました。
 彼女の「推し」が新しいシングルの「センター」になったとのこと。
 人気やスキルなどで40人近いメンバーが序列化されるアイドルの世界で、センターになるということはグループのトップになること。それは競争社会での勝利・夢の実現を意味することなはず。しかし、実際にセンターになった彼女の「惜し」は不安で泣き出したそうで、ファンとしてそのことをとても心配していました。
 センターになる=乃木坂の主役になるということは、グループのイメージ戦略の象徴として、広告・宣伝の先頭に立ち、楽曲・MVの完成度や売上などの責任を背負うことになるそうです。前作より作品の完成度を高め、売上を伸ばすことが最低限のノルマ。さらにコンサートでは座長としてスタッフを率い、グッズの販売から観客動員数まで評価され、時にアンチの攻撃に晒されることもあるとか…。
 それは泣きますね。センター=主役に選ばれた喜びなんか吹き飛びます。
 
◆乃木坂46を学校に置き換えると
 授業の主役は教員でした。
 教員が、リスク・ノルマ・責任を背負っていたということですね。
 生徒さんが原因のトラブルでも「10:0」で教員の責任となるのは、教員が主役・センターだからかもしれません。
 ということは、生徒さんが主役になると、今まで学校・教員に押し付けていた責任が生徒さんのものになります。
 さらに、自分で考え、教科書を読み、答案やレポートの完成度を高め、成績を伸ばすことが最低限のノルマ。生徒会長になれば、全校生徒を率い、文化祭では売上から観客動員数まで評価され、ネットでアンチの攻撃に晒される…。それは泣きます。主役は苦役でしかないです。
 なるほど、先生の手抜き、面白くない、受験対策をしてほしいという声の奥底には、主役が背負う責任への恐怖があるんですね。

◆生徒さんを主役にするファシリテーションとは
 主役の喜びを感じることができる、楽しめる環境の構築と考えました。今風に言えば、空間に安全・安心を導くということです。と言っても具体的にどうすればよいか見当はつかないのですが、とりあえずファシリテーションのイメージを言語化できたのはよかったです。
 考えてみれば、患者中心の医療=インフォームド・コンセントでは、患者も自分の症状について理解する努力、選択・決断が求められます(そこに、クレームやトラブルの要因もあるわけですが…)。
 ということは、生徒さん主役の授業=主体的・探究的授業には、生徒さんにも自ら知識を得る努力、学びの方向性や自己の将来についての選択・決断が求められます。その時、喜び60%・責任40%に導くのが教員の役割と考えました。

◆主体的・探究的学びのリスクを生徒さんと共有する
 主役としてのリスクが大きくなるのは「自ら知識を得るスキル」「客観的根拠に基づいた選択や決断を下す思考力」が不足した場合と言えます。
 これが、主体的・探究的学びの課題ですね。
 これに対する課題解決はこのような感じ。
・教員
  知識獲得や論理思考のスキルの指導
  これをワークショップとして授業デザインすること
・生徒さん
  ペア・グループワークによって集団知の形成を意識する
  できない、わからない、迷った時は相談し合う空気の形成

                もう少し続く 
 

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