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探究学習の必要性を確信した個人的できごと その3

 今日のキーワードは「心の痛み」です。
 評論でも小説でも、古文でも漢文でも、社会課題でも地域課題でも、学びの対象に内在する「心の痛み」を読み取ることを意識しました。

生徒さんの考えは「道徳的二分法」に帰着することが多い
 たとえば、「舞姫」(森鴎外)を読むと、エリスへの同情から太田豊太郎への批判で頭がいっぱいになってしまう生徒さんがいます。そして、舞姫という作品の感想や学びも、そこで終始してしまうこともあります。
 これは、「羅生門」(芥川龍之介)でも、「こころ」(夏目漱石)でも同じ。源氏物語でも、表面的な勧善懲悪的な二元論と悪への攻撃で終始することがあります。
 この現象は、社会課題への取り組みでも生じます。
 貧困や格差などの現象に対し、貧困ではない側、格差の上位にいる側への攻撃で終始するケースもありますし、貧困の側に対し自己責任を突き付けるケースもあります。
 そこにあるのは、「善悪の二分法」に過ぎません。そして結論は、悪に対して「悔い改めよ」「排除せよ」「処罰せよ」となります。感情的な賛同を集めることは多いですが、解決の実効性は低いと言えるでしょう。課題が生じる要因への分析や、当事者意識(いわゆる自分ごと)も弱いです。

道徳的二分法、善悪の感情論に走るのはなぜか?
 このような感情論が「世論・一般論」なのかもしれません。
 そして、「与えられた正解を答える思考の生徒さん」「世の中の一般論を正解と考える生徒さん」「人の考えをコピーして自らの考えを構築する生徒さん」にとっては、この感情論が正解になります。
 そして、こうした思考の流れは、生徒さん本人にとって無意識なものであり、「自分の意見は世論をコピーしているものに過ぎないこと」に気づいておらず、「世論が正解としている内容を述べることの何がいけないのか」という怒りを内在していることが多いです。
 しかし、こうした思考の流れを評価するならば「受動的」になります。
 主体性や創造性に欠けるのです。
 これを、探究学習で鍛えないと…です。

                       つづく 
 

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