都内私立高校出身者、地方の公立高校教員となる(1)
教職について、気が付けば3校目。年齢も30歳を超えています。
そろそろ「若手意識」を脱し、地に足をつけると同時に、自分の整理・成長もと思う年頃。
ただ、地方の「伝統校×進学校」では、下から数えた方が圧倒的に早い若手。日々の雑用と肉体労働にも追われつつの日々。
そして「学校五日制×ゆとり教育」の完全実施がはじまります。
地域と自分との違和感を可視化してみる
東京出身ですが、高校・大学を都内の私立で過ごしたこともあり、「都立高校で働く自分」はイメージできませんでした。予備校講師時代、いくつかの地方教室で講座を持ちました。その中でA県は、生徒さんの素直さ、食べ物のおいしさが印象に残り、授業もやりやすく、楽しい印象が残りました。そんなわけでA県の採用試験を受け、合格し、そこで先生となります。なってみてわかったのは、「私はかなり変わった経歴の先生」であること。それが、生徒さんに不安を与えていること。
「変わった経歴」とは
①地元出身ではない
A県生まれ以外の先生もいます。ただ、大学はA県の国立大学出身であることが多い。
②公立出身ではない
義務教育は中学まで。あとは私立。しかも、在校生が全員大学に進む学校ではない。野球部が甲子園にたまに出るといえば伝わるでしょうか…。
③そもそも先生になりたくてなったわけではない
大学院で研究に挫折しました…食うためになった「でも・しか教員」です。
④元予備校講師
勉強や大学受験についてはそこそこ詳しいですが、それ以外は…。
公立高校における「普通の先生像」
地元の進学校から、地元国立大学に進んで先生になる。
A件以外出身でも、大学でA県の国公立大学に進んで、そのまま就職する。
いずれにしても、生まれた場所か、学んだ場所で就職する。
これが「普通」。
ちなみに、「教育学部」と「一般学部×教職」との割合は半々。
教育学部の人は、小中高の免許全部持っている人が多い。理系には大学院出身の先生もいる。大学院も博士まで進めば30歳が見えてきます。そろそろ安定した職業にという圧力もあり、そういえば親も先生だったし…という感じが多いです。
そんなわけで、生徒さんの持つ先生のイメージは、「地元の進学校から地元の国立大学に進み、卒業と同時に採用」が普通。親も先生だったという人も少なくない。
生徒さんにとって、都内の私立高校・私立大学・大学院・予備校という世界は想像が難しいでしょう。ただ、A県の公立進学校・国立大学も私には想像つかない世界なのですが…。
地域に溶け込むよそ者を目指す
「地域のトップ進学校=伝統校」に異動してから、自分の経歴については、意識的に触れない・自己開示しないようにしました。
実は、学校の先生になっても、予備校時代の同僚とはつながりがありました。私としては、「最新の受験情報、出題傾向を学ぶ場」であり、かつての同僚からすれば「学校では何を教えているか」を知る窓口です。そういう機会を継続する中で、「地方の高校生に、東京の最新の情報を伝える」ということが自分のできること、やるべきことという意識が生まれました。特に、進学校に異動してから。しかし、これは「諸刃の剣」。
その地方・地域・学校には、そこで積み重ねられてきた「知恵」があるわけです。それを「東京では…・予備校では…」で上書きするのは「文化の破壊・知恵の否定・地域への侮辱」になります。
というわけで、私も「地元出身で、地元国立大学を出て、すぐ先生になった」という顔をして日々を送るようになります。
合言葉は、「能はなくても爪は隠す」。
つづく…
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