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突然吹奏楽部の顧問になる(17)

 吹奏楽部の地方大会が終わりました。次は、合唱の地方大会です。
 これも、宿泊を伴う県外遠征になります。大会は9月。
 吹奏楽・合唱は「文化部で運動部より楽だから、顧問は一人」としたのは、前校長と現教頭。
 職員室内では、「合唱の引率を誰がするか」が話題になっていました。
 私は、2学期始業式の翌日から職場復帰しました。 

合唱にもトラブル発生

 ピアノ伴奏担当の部員が、登校途中、自転車で転倒して手を痛めました。
 骨折です。本人は責任を感じて号泣。でも、部員たちは彼女を慰め、決して責めることをしませんでした。
 さて、問題は伴奏者です。ピアノを弾ける部員はたくさんいますが、怪我をした部員ほど弾ける者はいません。普通、ピアノ伴奏は部員ではなく、ピアニストの方にお願いすることが多いです。F高校合唱部もそうでした。しかし、怪我をした部員があまりに上手なので、昨年・今年は彼女のピアノで大会に参加しています。大会まで一週間…。
 選択肢は2つ。
 部員が弾く。
 もう一つはピアニストに依頼する。その場合、謝礼の問題が残ります。大会伴奏、しかも地方大会ですから、相場は結構な金額になります。でも、とにかく伴奏者がいなければ歌えないわけで、合唱のコーチと一緒に探しました。しかし、…いません。
 そもそも、「弾けるピアニスト」は、どこかの伴奏をしています。その中には「複数団体の掛け持ち」をしている人もいます。ただ、その場合、各団体と長い関係性があってこと。さすがに一週間前に引き受けてくれる人はいません。
 合唱だけなく、吹奏楽、いや全校生徒の中で、ピアノの上手な生徒を…とも考えました。しかし、昨夏の吹奏楽コンクール、私が「民間企業研修」のために学生指揮者で大会に出場し、その結果を一人で背負いこんだ部員の姿を思い出すと、来週の大会の曲を今からさらっては、あまりに…です。

ピアニストは近くにいた…

 帰宅後、合唱のコーチから電話で、「引き受けてくれそうな人がいる。スケジュールを調整してもらおうと思う。ただ、その人は県外在住なので、交通費とかが発生する。大丈夫ですか…」とのこと。
 大丈夫ではないです…。「明日、管理職や事務長と相談の上、返事しますので、まだ打診で留めてください」と返事しました。
 部員が伴奏ですから、伴奏ピアニストの費用は準備していません。ピアニストを招くとなると、その費用を部員から臨時徴収することになります。
 それは、合理的でやむを得ないことでしょう。しかし、怪我をした部員にとって、それはとても耐えがたいこと…ではないでしょうか。
 電話のやりとりを聞いた妻が、「どしたの」と聞いてきます。
 ことのしだいを伝えると、妻はしばらく考えてから、「何ていう曲」と問います。曲名を伝えると、「弾いたことあるわ」とつぶやき、本棚からその楽譜を取り出しました。
 妻は、音大のピアノ科出身です。
 もちろん、無名のピアニスト。同級生のピアノ教室を手伝ったり、アマチュア合唱団の伴奏をしたり、ブライダルの演奏をしたり。とは言え、同級生や知り合いなどの人脈を活かして結構稼いでいます。子供が生まれる前は、先生となった音大の同級生に頼まれて、毎年合唱コンクールの伴奏もしていました。
 「私でよければ弾くわよ。そうじゃないと、あなた、また倒れるわよ」
 「それはありがたいけど、正規料金は払えないよ」
 「条件は1つ。高校生のみなさんが娘と遊んでくれること。考えといて。私はとりあえずさらっておくから」 
 そういって、防音室に消えていきました。

理想とリスク

 無名とは言えプロのピアニスト、ピアノを生業をしている音楽家に、「無料奉仕」を強いることはできません。世の中には、「パーティがあるんだけど、そこでちょっとピアノ弾いてくれる、余興的なものでいいから」と気軽に言う人がいます。「それはお仕事として?」と聞くと、「いや、そんな固いこと言わないで。さらっとでいいから」と無料奉仕を強いられるケースは少なくありません。
 今回の場合、「夫から妻へ」にはしたくないのです。「顧問とピアニスト」としてきちんとした契約でと思います。思うのですが…
「あのさ、ここは東京ではないでしょ。狭い地域社会じゃん。そこでね、学校の先生の奥さんがピアノを弾いて、部員からお金を貰ったという噂になると、ここでは暮らせなくなるよ。」
「ここはさ、私たちにとって生活の場。稼ぐ場ではないと思う。まず、地域の人々の役に立たないとでしょ。困っている高校生がいる、それを助ける。それでいいじゃん。」
「この土地には、この土地のピアノ弾きがいるから、その生活権を奪うことはしたくないの。でも、今回は、ここでピアノ仕事を得る機会になると思う。F高校合唱部の伴奏でしょ。仕事の格としては最高よ(笑)」
「ひょっとすると、これがきっかけとなって、私は新しいお仕事を得るかもしれない。怪我した生徒さんは責任を感じなくて済むかもしれない。あなたの悩みも解決する。三方良しじゃない。謝礼なしでOK。むしろ、謝礼を貰うことで失うことの方が大きいわよ」

そして合唱部は全国大会へ

 合唱連盟の事務局に事情を説明し、ピアニスト変更の手続きをしました。
 10月に行われる、「地区吹奏楽祭」の実施要項と申込書類も発送しました。吹奏楽連盟事務局業務も再開です。
 骨折した部員は、「ソプラノ」で合唱に参加しました。
 結果は、金賞・代表。全国大会出場。
 吹奏楽コンクールでは、「補欠」になった吹奏楽部員の多くが、「合唱のコンクールメンバー」として参加し、結果発表で涙を流しました。
 妻も、伴奏者として全国大会です。
「全国大会も、謝礼は出せないけど…」
「だいじょうぶ。会場には昔の知り合いがたくさんいて、いろいろ顔つないできた。新しいお仕事の打診もある。もとはとったわよ。むしろ、こんな機会をいただけこと、部員とコーチのみなさんに感謝してる。」

 全国大会は来月。場所は東京。
 「娘と実家に泊まるから、宿泊費はいらないわよ。あと、東京での練習場借りておいた。場所は池袋。合唱部員が泊まるホテルはその近くにしてね。」
 その声が、やけにはっきり聞こえました。
 右耳の聴力が戻って来たようです。
                      つづく…

 

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