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講義型ネイティブの授業改善 その1

 授業というのは「講義」が当たり前の世代です。
 授業中に声を発するのは「音楽」「体育」、「英語」を読むとき、あとは理科の「実験」くらいだったでしょうか。
 大学でも同じ。3年生になって「ゼミ」に入ると会話・討論型になりますが、あとは文字通り「講義」。
 予備校講師時代も同じ。授業で「指名すること」はありません。
 というわけで、生まれも育ちも「講義型ネイティブ」です。
 ところか、結構な年齢になってから、「アクティブラーニング型授業」にしないと…となりました。
 
◆ゼミ形式を40人で行うのは…
 これは難しい。
 放課後の受験補習小論文だと、多くても10人程度で、目的・意欲の合意形成が自然にできている生徒さんが集まる。演習では、問題文と設問から「事実」を読み取ることを導けば、あとは「それぞれの解釈」を言語化しながら議論が進む。勝敗・競争要素を抜いた「ディベート」から考察を深めることも可能
 これを「授業×40人」となると、なかなかしんどい。
 現象としては、「フリーライダーが続出する」「論破が目的の議論になる」「授業してくださいという要望が出る」ということ。要するに「生徒さんも講義型ネイティブ」なんですね。
 また、「講義型授業はつまんないけど、生徒に話し合いさせて先生が何もしないのはおかしい」という「あり方批判」もきます。
 これが初期状況

◆ファシリテーションという言葉を知る
 「ティーチングからコーチング」はよく言われました。
 その時、教員に求められるのは「ファシリテーション」の能力。
 その他、「インプット×アウトプット」とか、いろいろなキーワードがありましたね。かなり戸惑いました。
 「講義型ネイティブ」の人間からすると、まさに「外国語を身に付ける」ようなことで、これは大変。一方で、帰国子女組の生徒さんは「アクティブ型ネイティブ」なわけですし、先生方にも「ファシリテーション型タイプ」が徐々に増えてきていました。
 少しずつ、「時代×価値観」が変わり始めて、その変化が可視化されつつありました。

◆下手なファシリテーションより…
 というわけで、試行錯誤の日々が始まります。
 しばらくして気づいたのは、「下手なファシリテーション型授業」よりは、「昔ながらの講義型の方が学力になる」ということ。
 これは、「授業システム」の問題ではありません。
 教員の問題。つまり、ファシリテーション能力が未熟な教員が「そういう授業」をしても生徒さんの力にならないのです(ここでは「では学力って何」という話題は少し横に置きます)。
 生徒の主体性・自主性を引き出すことの重要性はわかっていますが、「未熟なファシリテーション」より、「慣れた講義型」の方が生徒さんの知的好奇心を刺激するという現実。それは、私の能力不足なんですね。
 まぁ、当時の私のファシリテーション能力は英検4級くらいのもの。片言の会話程度。それで「作品について深く考える」を導けるわけがない。
 さて、これを如何せんです。

◆自分ができる範囲を把握する
 私自身が「講義型ネイティブ」なわけですし、生徒さんも「講義型ネイティブ」が中心です。というわけで、「講義型授業をベースとする」としました。「アクティブ型授業」は、それが「効果的な段階で」「私がデザインできる範囲で」と気持ちを切り替えました。
 1単元で1~2回ですね。
 生徒さんからすると、「講義型×アクティブ型」が混じっている方が「メリハリ」があってよいという反応になってきました。
 最初の手ごたえというか、実際に「模擬試験の偏差値が上がるようになった状況」になってきたのは、「アクティブ型授業」の次に「講義型授業」をした時の生徒さんの集中力の高さ・反応のよさ。
 このあたりから「生徒さんもアクティブ型ができる範囲」ということがわかってきました。「講義型はつまんないけど、アクティブ型は不安」というの過半数。中には「アクティブ型が不安、嫌、恐怖」という生徒さんだっています。
 となると…これは私の授業だけの問題ではなく、「場つくり」「信頼関係構築」「合意形成」などの前提が必要なことがわかってきました。

                     つづく? 
 

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