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多数決は正しい結論を導くのか(1)

 平成7年頃から、突然変異的な現象が起きました。
 学力底辺校では「高校入試で国語0点」の受験生が出現し、しかも合格になる。進学校では「学校創設以来、毎年合格者がいて当たり前だった地元国公立大学への合格者が0名になる」という現象が起きました。
 教員も教科書も学習指導要領も変わっていません。
 そして、進学校においても「自分で勉強を進めることができない、勉強のやり方がわからない、先生は何もしてくれない」という生徒さんの主張が可視化され、学校批判へと進みました。

生徒さんの自主性を尊重する先生が攻撃される

 まず、地域の卒業生、特に地域で医師・公務員・議員をしているOBたちが批判の口火を切ります。
 「○○大学への合格者なしとはどういうことだ!」
 最初は、母校の「後輩への叱咤激励」というニュアンスでした。「勉強は自分でやるものだ、しっかりせい」ということ。
 しかし、やがてこれが「そういえば、○○高校の先生は何もしない。そもそも大学受験の指導をしない。入試問題を研究しているのか?」に変わってきます。要するに、ご自身も過去には「自分で受験勉強を進めて難関大学に進んだ」わけですが、その経験が「学校の先生は何も教えてくれなかった」になるわけです。
 地域の進学校には、その学校に長く在籍する名物先生がいました。
 その先生方の多くは、生徒の自主性を重んじる学校文化を職員室側から支える存在であり、地域の文化育成にも大きな力を持っていました。たとえば、音楽の先生は、地元に社会人合唱団や吹奏楽団を創設し、指揮者として指導にあたっていました。歴史の先生は同時に郷土史家として、国語の先生は歌人として、化学の先生は地域の小中高生対象の実験教室を主宰して…という多才なラインナップです。東京だと気づきませんが、地方では「高校が最高学府」です。つまり、「地域の最高学府・進学校の先生」として地域の文化育成にも力を注ぎ、学びの本質を伝えてきた先生方です。
 こういう先生方が攻撃対象となりました。
 そして、異動・退職などでその学校を去ります…。

そんな学校に異動することになる…

 そういう先生が学校を去り、代わりに赴任したのが私。
 元予備校講師という経歴が注目されたそうです。県庁所在地からは離れた農村部ではありますが、その地域のトップ進学校…。
 私が赴任した時は、まだ「名物先生」は数名いらっしゃいました。
 世間はその先生方を「何もしない先生」「大学受験指導ができない先生」と言っていましたが、一緒にお仕事をすれば、それが根も葉もないこととわかります。
 生徒さんからの支持もあり、放課後には多くの生徒さんへの個別指導、実験室の解放などをしていました。その内容は、大学入試問題・センターテストなどの対策を意識したもの。そこに集まる生徒さんは、過去問を解き、その上でわからないことを質問しに来る。化学の先生の場合は、その内容を答えるだけでなく、その場で「実験」で立証・解決していました。
 つまり、「○○高校の先生は何もしない」「大学受験の指導ができない」という情報の発信源の一つは、「自分で過去問を解くことをしない生徒さん」ということ。しかし、生徒さんのこういう意見と、地域の卒業生の意見とは「表面的には一致」します。そして世論となって学校批判となります。今風に言えば「炎上」ですね。

大学合格状況に異変が出たのはその学校だけの現象ではない

 私が地域のトップ進学校に異動したのは、その学校が有史以来、ワースト進学率を出した翌年。実業高校~中堅進学校と経験して3校目。
 学力底辺校と言われる高校では、「高校入試」の段階で、「何かおかしい」という状況が可視化されていました。これは教員からの発信です。一方で、進学校では「大学受験結果」が出たところで「何かおかしい」が可視化されました。それは「進路結果・合格状況」で世間が知ることとなり、世の中が「何かおかしい、学校がおかしいのではないか、そういえば先生ってさ」という発信になります。
 当時、どの学校でも大なり小なり同じような現象がありました。しかし、まだその情報は共有されていません。そのためか、のちに「学力崩壊」といわれるようになった、この突然変異的現象を俯瞰的にとらえ、原因を分析し、対策を練るというにはなりません。本来必要な「時代の変化、生徒さんの変化に合わせた授業スタイルの改善」ではなく、「世間からの批判への対応」が先行します。その一つが、かつてない大量の先生方の「異動」となります。
 そんな状況がわかってくると私にはひとつの疑問が浮かびます。

多数決が機能していない

 進学校に異動し、少し慣れてきて、状況がわかってきた私は、こんな問いかけを生徒さんにしました。同じテーマの教科書の文章と、大学入試問題があったのです。
 「多数決が正しい結論を導くとは限らないんじゃないの」

 生徒さんの反応は二つに割れます。
 「人には言っていないが自分もそういう印象を持っている。考えたい」
 「この先生、バカなんじゃないの」
 多数決は民主主義における重要な要素です。これを「学校の先生が批判していいのか」「こいつ予備校上がりと思って期待していたけど無駄だった」というのが後者の意見。そして、後者の意見が「可視化されやすい、言語化されやすい、世間に受け容れられやすい」という状況でもありました。端的に言えば「民主主義を否定する危ない先生」ということになったのです。「こいつも異動だ!」です。
 ただ、こういう発信をする生徒さんと、それに同調する大人とは、数でいえば「少数派」、多数決なら負ける方。しかし、こうした「少数派の大きな声」が世論となって、多くの先生方が異動したということ。
 その教材と、大学入試問題を題材に、私は「多数決が正解を導くための条件とは」「多数決では絶対に勝てない少数派が、多数決で勝つにはどうすればよいか」という二つの問いから、思考を深め、本質に迫ることを試みました。
 生徒さんの感想に、「これが大学入試と何の関係があるんですか」という反応があることは想定していましたが、思いのほか多かったです。過半数に迫りつつありました。こうした生徒さんにとって、「大学受験対策のための勉強」には「問題文を正確に理解する」ということが含まていないようです。求めているのは「正解の選択肢の選び方」なんですね…。
 問題文が読み取れなければ、正解の選択肢も選べないのですけど…。
                  続く

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