荒れる学校で起きていること(その1)

 高校3年生の8名のグループが、授業妨害や教員に対する威圧行為を始めました。校内のものが壊れ始め、ある先生は授業が成り立たなくなって学校に来れなくなってしまいました。
 これに対し、管理職や職員室のオピニオンリーダーは、「生徒を抑えることのできない教員は無能である」という見解を示していました。

教室の生徒さんたちの反応

 当初は、先生方のお手並み拝見という感じでした。
 暴れる生徒さんたちに対し、先生方がどのように対応するのかを楽しんでいる様子です。暴れる生徒さんたちに巻き込まれないように距離は置くものの、どんな風に先生方を追い詰めておくかを楽しんでいるという空気感はありました。消極的応援ですね。敵の敵は友とも言えます。
 しかし、授業と学級が崩壊した先生が学校を去り、担任の先生が交代したあたりから、少し空気が変わってきます。
 高校3年生は、日々の勉強に加え、「就職・進学」なども考え、大きな決断が必要な時です。私は、決断するためには「心に余裕を持って」を言い続け、黒板にも書いていました。そんなある日、黒板を見ると、「余裕」の文字が消され、「ダム」と書かれています。
 「心にダムをもって」です。これは、当時放映されていたテレビドラマのセリフ。しかし、ここには、「そろそろ暴れるのやめてほしい」という生徒さんたちの世論が示されていました。
 風が少し変わりました。授業への積極性が高まり、昼休みや放課後には、たくさんの生徒が進路室にやってきて、相談や志望理由の書き方を学ぶようになりました。
 もちろん、すべての生徒がそうだったとは言えません。しかし、8名のグループに対する支持や応援は下火になったと言えます。そして、秋ごろから、8名は孤立していきます。

6月から7月にかけての私のお仕事は…

 高校生の就職活動は、「7月1日の求人票公開」から始まります。
 その前後、私の動きはこんな感じです。
・6月 企業訪問(就職開拓、就職者の定着指導)
・7月 求人票公開、三者面談、
・8月 企業訪問(受験希望生徒による企業見学です)
・9月 就職試験開始、
 まず、高校生は「未成年」ですから、就職活動は「学校経由・保護者の同意」が必要です。学校で扱うのは、「職安(現在のハローワーク)」を通じて求人票を発行してきた企業になります。
 たとえば、「親戚のおじさんの会社が雇ってくれる」という場合、「おじさんの会社」に、求人票を作成してもらい、職安を通じて学校に送ってもらいます。求人票には、給与・福利厚生・労働時間などが明記してあります。就職してからトラブルがあった場合、求人票に記載している内容を根拠に訴えることが可能になります。また、このような場合は、通称「指定求人」にしています。受験できるのはおじさんが指定した生徒だけにできます。
 しかし、「学校を通さないと就職活動できない」という事実に怒り出す生徒もいます。学校が何にでも口を出すことがむかつくそうです。親戚のおじさんにそんな面倒なことは頼めないとも言います。「こないだ約束してくれたからいいだろ!」とすごんでもきます。

 バブル期、その高校には2,000件を超える求人がありました。
 しかし、バブル後、求人数は倍々ゲームで減少し、平成9年には約200件になっていました。高校3年生の生徒数とほぼ同じです。そんなわけで、進路指導部の教員は「企業訪問=求人開拓」を始めました。電話でアポをとっての飛び込み営業もしました。東京に1週間滞在して企業巡りもしました。
 名刺を交換して人事の方とお話しするのは楽しかったです。学びの多さもありますが、「普通の大人と会話できること」に心身が震えました。

暴れる生徒たちのペースに巻き込まれないために

 自分のクラスのホームルームでは、昨日学校に来てくれた企業の採用担当者のお話や、企業訪問した時の様子などを少しずつ伝えていきました。
 生徒さんたちが最も動揺したのは、以下の内容です。
・会社は、チームで動いているので簡単に休まれては困る。
・調査書では、出欠の記録も重視する。
・欠席は、高校3年間で3日以内。悪くても、高校3年間で10日以内。
 それ以上だと我が社ではちょっと…。

 この事実を知って泣き出した生徒もいます。すでにそれ以上休んでいるんですね。フォローとしては、「3年生になって休まなくなりました」と書けるように頑張ろうです。成績も同じ。「3年生になってから急激に伸びました」と書けるような結果を出そうです。そのために、「心に余裕を持って勉強に取り組もう」と言い続けました。
 また、進路指導部で得た情報は、自分のクラスだけでなく、他のクラスでも授業の時間に伝えることもしました。多くの生徒たちは真剣に聞いてくれます。人生かかってますからね。 
 しかし、企業の求める人物像は、暴れる生徒さんにとっては不都合なことが多いです。変わることが必要ですが、それは暴れる生徒さんの沽券にかかわりますから。その表現は暴れることです。

私が幸運だったこと

 その頃の私は、真剣に退職・転職を考えていました。
 もちろん、勉強のできる・できないに関係なく生徒さんはかわいいですし、就職支援を通じての学びも大きかったです。しかし、私より大柄な8名の高校生に包囲されて暴言を浴びることと、その内容の誤りを指摘することが「教育」ならば、それは私の意とすることではありません。初めて会った保護者に、学校不信をぶつけられ、先生は信用できないと言われ続けるのは本意ではありません。そして、そのことで苦しんでいるのは、「その先生が無能だから」という管理職の価値観には同意できません。
 何よりも恐れたのは、予備校で磨いた「大学受験指導の能力」がさび付くことです。これは、私にとって死活問題です。
 しかも、私は前年度、進学校に異動し、この学校にはいないはずでした。
 この学校に赴任した時の管理職が動いてくれていたのです。しかし、この異動を現在の管理職が握りつぶしたのです。そして、今の管理職は、私がそのことを知っていることを知ってかしらずが、とぼけたままです。
 また、大学の恩師を通じて都内の私立高校からのお誘いもありました。
 そんなわけで、たぶん、人生で最も「腹を括り、肝が据わっていた状態」だったと思います。 
 「人生、どう転んでも、ここにいるのは今年度いっぱい」です。
 辞めることになったら道連れも…ですね。

 そんなわけで、管理職が何を言おうが、生徒が暴れようが、どうぞご自由にという気持ちもありました。守るべきは高校卒業後の人生を真剣に考えている高校生たちの未来。
 そう腹を括れたのは、退職・転職という決断があったからです。
 
 

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