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ハッピードリンクショップ

「ハッピードリンクショップ」
割と都市圏の人には知られていないワードですよね。

これは僕の地元の長野県にあった、自動販売機(僕は”自販”と略しています)のドライブインで、本来の価格より数十円だけ安くなって設置されている自販機が何台も集まっています。
昔といっても、5~10年前ですが、友達と言ってはそこでみんなで夏、「サイダーうめぇ~」といいながら猛暑を耐え忍んだり、みんなで「先にハピドリで飲み物買ってから、遊ぼうぜ」とかと遊びの際に良く活躍していました。
大人の方は、旅行で行くときにとか、山に入るときとかによくそこで飲み物を買っているイメージでした。
今思えば、すごい至福だったなひと時だったなと感じています。
だって、”飲み物”を買うためにみんな集まるのですから。
そこで飲み物買って、みんなで盛り上がれるのですから。
面白くて、すごくよいものだな~と今も感じています。
今の時代、道草というワードをあんまり聞かなくなった。
大人の多くは「危ないから」「危険だから」「死ぬかもよ?」といってしなくなっているイメージです。
その言葉の背景に見えるものは単に”めんどくさい”だけなんだなとは思いますね(笑)
でもそれもあってか、子供たちは道草の中で一致団結して「~しようぜ」と仲が深くなっているイメージでした。
今大学生という中で、道草をできる仲を持っている人はなかなか少ないのかなと思います。
情報化が進んでいる中で、やることを探せばすぐ見つかり、逆を言えばやることじゃないこと、ちょっとした時間を設けること。そんなこと生まれなくなっていると思います。
それは言語化すると、すごく窮屈ですよね。
みんなで道草するには、みんなのちょっとした時間を作らねばならないですし、ちょっとした時間があるか聞かないといけない。
でもそのちょっとした時間が返ってやりたいことや今やっていることン関してより加速して、集中してできるようになります。
それはメリハリ、切り替えでもありますよね。
僕自身はハッピードリンクショップでの友達との仲、いろんな季節をちょっとした時間の共有そのために使っていました。
新手のナンパ師ですかね。笑
話の中にある一つの内容をピックアップします。
大人の多くは「危ないから」「危険だから」「死ぬかもよ?」といってしなくなっているイメージです。
その言葉の背景に見えるものは単に”めんどくさい”だけなんだなとは思いますね(笑)

これは人は見えなくなった時に恐怖というものや、もしかしたらこうなんじゃないのか?などの心配をします。
それはなんでかというと自分のテリトリーを離れるから。
例えば、自分の背後に人がいると見えないですよね。
でも影が見えたりすると”だれかいる”と感じます。その瞬間にゾッとしたりしませんか?
その感覚と一緒で、もしかしたら人がいるんじゃないのかとか、~なんじゃないのかのような仮定をつけて恐怖になったりします。
それは一般的に人全体がそうだと思います。(もちろんこわくねーぜーっている人もいると思いますが)
親から見たときにそう見えていても、子供から見たら~してみたいほうが勝ちますよね。
なぜなら何が怖いか分からないから。
自感覚で子供の時にある恐怖体験として残っているとすれば、沈黙はめちゃめちゃに怖かったイメージです。
このように子供にとっては何が怖いかは分からないんです。
だからこそ体験する、実践させてあげるということが大事なのかな思います。
そうはいっても、死んでもらって構わないみたいな無関心ではなく、しっかり見てあげてほんとに危ない時に救うという感覚だと思います。
そうしないと子供は何が大切でとか、何が怖くて、何が楽しくてとか分からない存在になってしまいます。
このように言語化すると、怖いものに関して、見えないものに関しては動かないといけない、見ていないといけないから”めんどくさい”という親の木本が見えてきますね。
もちろんこの論理だけじゃないとは思います。
ただ道祖神のように、でも飲み物が飲めたりする。ハッピードリンクショップ、ここにはいろんな物語がありますよね。
楽しいんですよ。
人は無限大に何かでつながれる。深まらすことができる。
僕もハッピードリンクショップみたいなものをつくれないかな~と思いながらこのnoteを書いてみました。
喉乾いたら近くのドリンク販売しているお店や自販機まで人を誘惑してあげてください。
基本、こういうのいいな~って思うと思います。
僕はハピドリの感覚でこのnoteにお金を貰えたら、その価値があるかなと思っています。
僕もハピドリ精神で人に共有したいのでぜひ払って貰えると嬉しいです。



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