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MBA卒業しましたレポート⑤:追い込まれないと頑張らないよね(2023年1~6月)

こんにちは。お盆シーズンですね。
私はお盆休みは特になく暦通りですが、どのみち長期休暇は引きこりたい(外出はピークを避けたい)タイプなので、3連休あれば十分かな、という受け止め。
みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

ちなみに最近は睡眠時間を適正化しようと思い、ちょっと早起きするようにしています。
原則リモートワークにあぐらをかいてグダグダと寝すぎてしまっていたので……可処分時間を過度に睡眠に回さないようにしたいですね。

今回はちょっと記憶が薄れてきて危ういMBAレポートの続きをやっていきます。


2023年1~3月

ここまで3ヶ月単位で書いてきてなんですが、正直1~3月はそこまで特筆すべきボリュームにならなそうなので、サクッと終わらせて4~6月と抱き合わせで書いちゃおうと思います。

Chat GPTさんとの出会い

この辺りでは生成系AIが一気に盛り上がり始めた時期で、講義の中でもChat GPTさんが紹介されたり、実際に使ってみたりする機会があった。

先生が「なにかChat GPTに聞いてみたい質問はありますか?」って振ってきたので「会社経営においては、株主、従業員、顧客のうち誰を一番優先すべきだと思いますか?」って聞いてもらったりもした。
Chat GPTさん曰く「顧客」とのことでした。「株主」って言うと思ったのに…。

MBAだからChat GPTを知れたわけでは別にないと思うが、実際に使ったり触れたりする機会があったのはちょっと面白かった。
けっきょく自分は全然使えていないけど、これも英語と一緒で、使っていって習慣にしていく類のスキルなのかもしれないと思うので、今後使って鍛えていってもいいかもしれない。

ホントに特筆することがない

いや…思い出そうとして一番に出てきたのが講義と直接関係ないChat GPTという時点でお察しなんですが…本当に印象的って感じの出来事が無いんですよね……。

「なんでだ?」と考えてみましたが、たぶん前期に大阪行ったりビジコン出たりとやたら派手に動いていた反動だったんでしょうね。仕方ない。

この頃は前回書いたように「付き合いで懇親会なり飲み会なりに行くのはさすがに疲れた」と思っていたころだったので、明らかにドンチャン騒ぎ系の飲み会は全部断って、講義の延長的な懇親会だけ参加するようにしていた。

「付き合い悪い奴」的な批判を浴びるかと思って最初ビビッていたが、やってみるとなんてことはなく、そういうこと言われたのは「0ではない」くらいの人数。
冷静に考えれば誰にも迷惑かけてるハズがないんだからそりゃそうだよな。
極めてしょうもない話だけど、こういうところでちゃんと線引きができるようになったところに若干の成長を感じたりもした。

2023年4~6月

そんな感じで特に波もなくサラッと大学院2年目に突入。
2023年入学のいわゆる「後輩」に当たる人たちが理論上はできたハズだが、同じ講義を取らなければ原則会わないし、期がズレてたら講義もあまり被らないので、そんなに実感もない。
クラス替えとかも別にないし。
この辺りは普通の大学院とは感覚が違うところかもしれない。

また大阪へ行ってきました

1~3月で刺激が足りないという思いがあったのか、4~6月では10月に続いてまたしても大阪の講義を入れて、2週間に1回新大阪へ行ってました。

ちなみに講義内容自体は基礎的な内容なので、別に新大阪に行かないといけない理由は特に無い
けどやっぱり知ってる人0から新たにやっていくのが楽しいというのと、わざわざ遠征することによって自分を追い込むという観点から、これはかなり効果的だったなあと思う。

講義は基礎的な内容だったこともあり、受講者は2023年入学の大阪校の皆さんが大半だったので、唐突に講義に現れる他校の2022年入学組なんてそれはもう意味不明だったと思う。
ただ皆さん入学直後でエネルギーがあり、総じて活発なクラスだったので、それを受けて「自分もがんばらなきゃな」と思えたのは予期せぬプラスだった。
この期は講義数を多めに取っていたので時間と体力がカツカツではあったけど、いちおう気力とその場のハッタリだけはやれるだけつぎ込んだつもりではある。

なんでこの会社嫌いなんだっけ?

大学院も2年目となるとわりと発展的な講義がメインになりますが、この期は特に企業の社会的価値に関する講義が印象的でした。
「こんな社会的価値を生み出してるんだぜ~」というキラキラした話に終始せず「こういう社会課題を同時に生み出している」という負の側面も合わせて議論があったのが個人的にヒットだった。
前者だけだったら「なんだこの洗脳講義…」で終わっていた気がする。

講義中の課題は平たく言うと「自社の生み出している社会的価値・社会課題は何か」を考察するというものでしたが、これを考察すること自体がかなりしんどかった。
なんとなく「嫌だな~」と思っていたことを可視化して解像度を上げる作業に等しいのだ。そりゃしんどい。
履修を決めた際は正直、白紙で提出することになるかもしれんな、とまで覚悟していた。

ただこれをやってみたことは、結果的には良かったんだろうと思う。
この時は別に転職する気まではなかったし、転職する結果との因果関係は別になかったなと今でも思っているが、働く意味みたいなところが(それが立派かどうかは別にして)腹落ちできたことが良かったと思う。

「わが社はこういう社会的意義があって、こういう負の側面もあるけど、それでも意味はあるよね」などと腹落ちして仕事している社会人が世の中にどれほどいるのか?と考えてみると、この体験がいかに貴重なのかと。

資料と場に「言わされている」感覚

そんな感じで苦心して、でも正直には作った課題は講義中に発表の場があったので、自分も発表させていただく機会があった。
このとき「発表時間は7分でわりと厳守(原文ママ)」とのことだったので(わりと厳守…?)、ちゃんと7分に収まるように文字数計算して読み上げ原稿を作ってきた。
作ってきたんですが、発表の直前に、なにを血迷ったか原稿を文字通り投げ捨てて「原稿無しでやったらまず時間超過しますが、それでも原稿無しでやります」と宣言して、パワポ見ながら全部アドリブでしゃべった
こんなアホなことしたのはさすがに人生初だ。もちろんシラフである。

振り返ると、内容が内容なので感情的になっていたのはもちろんあるけど、あれだけ自分の考えをそのまま課題に落としたのに、それを原稿で縛って小綺麗にするのは違うでしょ、と思っていたような気がする。

このときの発表の感覚は本当に不思議で、作ってきたパワポ資料と場の雰囲気に、いい意味で「言わされている」というか、勝手に言葉が出てくる感があった。
原稿を投げ捨ててアドリブでやっているにも関わらずである。
発表資料としての完成度やスピーチの巧拙という観点では大したレベルではないと思うが、言いたいことを心底言えていた感じがあったし、そういう思いを乗せて話している感じが伝わっている様子もあった。
今振り返ると、本当にいいプレゼンはこんな感じでやることかもしれないと思っている。

ちなみにその後の懇親会で、たぶんフォローの意図だと思うけど、先生から「キング牧師のI have a dreamのくだりもアドリブで生まれた」という話をいただいた。
真相かどうかも定かではない話っぽいけど、場の力で言葉が出てきたということであれば、なんとなくその感覚は分かる気がする。
もはや企業価値とか全然関係ないけど、とても貴重な経験をさせてもらった。

おわりに

改めてこうやって書き出してみると、やっぱりある程度身体と時間を使って無茶した経験じゃないと骨身に染みないな、というのを実感。
リスクを度外視してチャレンジするスタイルは嫌いなんですが、取れるリスク(というかリソースの消費)は取らないとやっぱり寂しい感じになる気がしますね。

この時期の必死さというか鬼気迫る感じを、もうちょっと緩くていいので再現性があればなあと思ったりもする。

やっぱり睡眠時間を適正化してその分自分自身の稼働率を上げるところからですかね。

では!

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