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おじさんにタバコを勧められて、吸わなかったことが後悔だ.

おじさんにタバコを勧められて、吸わなかったことが後悔だ.

私が初めてと言っていいバイトをしたのが17歳の時であったが、その時は引越しのバイトをした。

体育会系的なノリと過酷な肉体労働が、バイト初心者の私にとっては試練だった。

初めてなのでろくな仕事もできず、間違ったことをしてしまって、上司は"遺憾の意"を現す、というくだりをたった10日間だけで長期記憶になるほど経験した。

しかし仕事の失敗よりも、私が後悔していることがある。

それは私が休憩をとっていた時、運送業のトラックのおじさんと二人で休んでいた時のことで、

おじさんは「たばこ吸ってもいいからね」と言った。

しかしそれまでガチガチの既存レール(もうすでに退学しているが)を歩んできた私は、未成年だったこともあって

「いや、まだ未成年ですので...」

と、遠慮で応答したのだ。

するとおじさんは「いやいや、いいから」と、それはニュアンスで言えば嘲笑ではなくて、

気にしなくていいよ、という温もりのある返答を返した。

おそらくたばこを職場でまだ年齢に達していないから吸わない、というような人間はそのおじさんの身近にはあまりいなかったのだとのちに分かった。

しかし私はそれでもたばこを吸うことはできなかった。

それは禁忌だったからだ。

「未成年でたばこを吸うなんて、捕まってしまう」

私は本気でそう思っていた。

し、実際にそれはそうだ。


しかし私が言いたいのは、

"あの時たばこを吸うことが私にとって引越し屋でバイトをする目的だったのではないか"ということだ。

私は本当は心の底でそれが知りたくて働いていたはずだと、のちに分かったのだ。

だから私は、あの時たばこを吸えなかった自分が情けない。

たばこを吸わず、お酒も飲まず、

そうして生きてみようともしないで、どうして私は"生きた"と言えるのだろう。

そういう可能性の芽を摘む行為に甘んじているのが学校教育だからだろうか。

もちろん未成年での喫煙や飲酒はよくないが、

しかし、私は"ずっと未成年のまま"でいることの方がとてつもない有害だと思う。

そして皮肉なことに、ずっと未成年のままだった大人が、人生の最終に、機能不全事故を起こすことは少なくないようなのだ。

なぜなら自分がずっと抱えてた"寂しさ"が誰にも認めてもらえず、そしてもう取り返しのつかなくなった晩年に爆発してしまうからだ。

これが"毒親"の実態である。

だから私はね、

たばこを吸えなかった、ということが、

とてつもない後悔なのだ。

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