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子供の頃に見た場所と今また見る同じ場所(エッセイ)

皆さん、きょうも一日お疲れ様です。

私は、物凄く久し振りに群馬県にある上毛三山の一つ「榛名湖」へと行ってた。
初めて行ったときは小学生の時で、従兄弟と一緒に行ったのだが、山のクネクネに酔ってしまい、クラクラに。

それ以来(山に登ると気持ち悪くなる。)そんな嫌な記憶が染み付いて、こびりつき、軽いトラウマになってしまっていた私。

けれど、今回はそれをなんとか乗り越え
三半規管も多少やられながら、無事に榛名湖へと、また来ることができた。

榛名湖へ行く道中、車がその上を通ると音がなる道路を、皆さんご存知あるかと思いますが、榛名湖に行く途中にそれがあった。
時速50キロで走ると「静かな湖畔」の曲となって聞こえてくるというもの。
本当に綺麗に曲となって聞こえ、大人ながらにすごーい!と興奮。
そして、こんなに綺麗に聞くことができるのかと感動!

そんなこんなで、無事、榛名湖へと到着した私だが、小学生の頃に見ていた思い出の景色と、大人になってみた景色では
『榛名湖』、という大きさのイメージがかなりずれていた。

小学生の頃の私と、今の私。
身長は10センチくらい違っていたかもしれない。そんな10センチ小さかった私が見た榛名湖は、もっとずっと大きく、駐車場へ続く道も、とても大きく、長く感じていたけれど、今の10センチ大きい私が見たら、思っていたよりも小さかった。に変わってしまった。

そう思ったことが、なんだか少し寂しい気もする。

昔の記憶は、年月が経つにつれ、脳で静かに書き換えられ、事実が想像に変わってしまうのかもしれないと思いつつ、けれど、榛名湖の大きさは子供の頃の私のイメージのままであって欲しかった。
そう思ってしまった。

大人になってしまったことをこんなにも
些細な事で感じてしまうなんて。

図体ばっかり大きくなって、心の成長が追いついていない気がして情けなくなってくる私。

でも、寂しさを感じたということは少なからず、あの時よりは体も心も大きくなってる。
子供の頃のままだったら「あ、変わらないなー」と思っていると思う。

それが、「小さくなった」ということに
寂しさを感じる分くらいには、大人になったのだろうと、私の中で自己完結してみようと思う。

そう思うほうが少し気が楽になる。

久し振りに訪れた榛名湖で、こんな気持ちになるとは思わなかったが、大きい綺麗な湖と、周りを取り囲む様に緑生い茂る山々。
空気が澄んで、平地より少し寒い榛名湖は、静かで穏やかな時間の流れを感じる場所。

トラウマだった場所が、また来たい、行ってみたいと思える場所へ。
寂しさを感じたけれど、それが、少し大人になった証。と私を納得させた場所。

また、来ます。

それまでまたね。

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