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【短編小説】届かぬ手紙

昭和十三年三月二十八日 渡辺宛
 拝啓
  ご無礼があれば申しわけありません。しか   
 し、私にとっては寝食を後に片づけたいほどの  
 急ぎの用なのです。
  話しますと、貴方は私の弟だという紛れもな 
 い事実のことです。どうしていままで姿を見せ
 ずにいたのですか。なにか口をひらきにくい事
 情でもあったのではないかと悔やんでおりま 
 す。しかし、貴方は一度も泣いたことはなかっ
 たようですが。
  聞けば、私と直治の間の弟だそうで納得した
 次第です。直治は次男らしくありませんので。
 言いますと、直治は素行が悪く、一度も健康で
 いたことはありません。知って落胆しましょう
 が、直治は喧嘩や盗みや渇上げ等々を犯してい
 たのです。この行為は直治がまだ七つの頃でし
 たので、子どもの悪戯と見栄っ張りで片付くの
 ですが、これからが心配なのです。
  直治は父母に悪態をつき、双方の祖父母共々
 良好な関係を築けていません。直治というなら
 ず者が渡辺家にいるおかげで、西東どこへ行っ
 ても羞恥を浴びることになるのです。それに直
 治は浪費激しく、家の金銭を手当たり次第に娯
 楽のために消費し、そして無一文になると、母
 や私の財布から金銭を盗むのです。そうして一
 時、飯が食えぬ日々もありました。叱ってあげ
 ればよいのですが、その声も希望もとっくに直
 治には届いていないようなのです。
  さて、直治の話はここで終わりといたしまし
 ょう。貴方も心よくないでしょうから。
  貴方の所在の話は父から聞きました。父は自
 然と煙草をのむように私に告げてくれまして
 ね。私は動揺を隠すつもりで、同じく自然とそ
 の事実に対して返事をしましたが、身体が震え
 てならなかったのです。そこに、もう一つの命
 が存在していたならば、怪談話よりも涼しいも
 のです。これは知りたかったことであり、知り
 たくなかったことであります。
  あれから私は時間が許すときに、貴方を思い
 ます。生まれていれば、どんな容姿で性格で声
 色で……。生まれてこなかったのは、直治が意地
 悪で、お前は直治の兄さんだから優しく譲って
 あげたのでしょう。二番目の子は死産流産が多
 いとはよく言ったものです。大当たりでした
 ね。
  ありもしない今を描くたびに、ますます直治
 が酷く醜く憎く映るのです。
  今日は、直治も直治なもので、金銭を失い、
 経済不況も重なり不幸のなか、お前がいたなら
 幸せなのだろうと思うと情けない。私はとって
 も情けないのであります。
                    直春
渡辺兄

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