見出し画像

「マティス展」in 東京都美術館

先月、上野の東京都美術館で開催中の「マティス展」に行ってきた。

8月20日(日)まで!
休館日:月曜日、 ※ただし、 8月14日(月)は開室

TV番組情報:
果てしなき絶景 マティスの旅
【NHK BSP】8月6日(日)午前10:30〜11:59(7月29日の再放送)

マティスの作品は、展覧会で何度も見たことがある。
鮮やかな色彩の絵画や、シンプルだけど印象的な切紙絵など。
楽しい気分にさせてくれる作品が多かったような記憶があるが、では、個展としてマティスだけを見たいか、というと、それほどでもないかも?

というわけで、今回の展覧会も、行くかどうかわからない、という感じだったのが、また、いつものTV「ぶらぶら美術・博物館」を見て、絶対行くぞ!モードになる。
大規模なマティス・コレクションを所蔵するフランスのポンピドゥー・センターが、改修のため、普段は貸し出されないようなもの来るとのこと。これはいかなくては!

さて当日。
平日の午後で、かつ予約時間の真ん中あたりを目指していったので、さほどの混みではなかった。でも、これから夏休みも本番、閉幕が迫ってくるともっと混雑しそうである。
展示数が150点!というので、どれだけ時間がかかるか、途中で息切れしないか、不安だったが、滞在時間は1時間程度。
つまらなかったから滞在時間が短い、というわけではなく、素描や資料なども多いし、番組(その後、日曜美術館でも放送していた)とサイトで予習も十分すぎるほどだったので、会場でじっくり説明を読む必要もなかったからである。

全体は8章にわかれていて、マティスの人生を追っていけるような構成になっている。
あちこちに旅行し、多くの画家と交流していることがわかる。
順に見ていこう。

1章 フォーヴィスムに向かって 1895–1909

アンリ・マティス(1869~1954)は、北フランスの裕福な穀物商の長男で、厳格な父の勧めで法律家を目指していたが、20歳ころ入院した時に、母が与えた絵具箱がきっかけで、画家を目指すことに。

そしてパリへ。
エコール・デ・ボザールへの入学は許可されなかったが、ギュスターヴ・モローから特別に指導を受ける。
1896年に国民美術協会のサロンに4点出品、うち1点は国家買上げに。

<読書する女性>

<読書する女性>1895年、26歳
写実的かつ抑制された色彩。
当時のパートナーで2年前に長女マルグリットを出産したキャロリーヌ・ジョブローが、モデル。

その後は全然売れず、生計を立てるため、ペンキ塗りなどをしながら絵を描き続ける。
ブルターニュで、ゴッホ、ゴーギャンを知り、光に目覚める。
ポール・シニャックの招きで、サントロペの別荘でひと夏を過ごす。

<豪奢、静寂、逸楽>

<豪奢、静寂、逸楽>1904年、35歳
日本初公開。
シニャックの影響で、点描を用いているが、色彩理論には基づかず、感覚で描く。

この直後に、筆触を荒々しく変化させ「フォーヴィスム(野獣派)」と呼ばれる様式に進む。

2章 ラディカルな探求の時代 1914–1918

第一次世界大戦中、息子ふたりを含む周りの人間が徴兵されるなか、ひとり残されたマティスは、この状況に抵抗するかのように、画家の転機となるような革新的な造形上の実験を推し進めます。
本章では、マティスがアトリエと開放的な窓というモチーフによって、内と外を融合させながらひとつの絵画空間を成立させようとする試みを紹介します。
また、キュビスムの影響のもと、抽象化という造形的な実験のモチーフとして扱った肖像画の数々も展示します。

―サイトより

キュビスムの影響が強い、《白とバラ色の頭部》や、《コリウールのフランス窓》なども展示されているが、どうも好きになれない。

この章で気に入ったのは、こちらの作品。

<金魚鉢のある室内>

<金魚鉢のある室内>1914年 

セーヌ川に臨む窓のあるアトリエ空間を描いた作品。
微妙な諧調の青によって統一された画面の中央に、この前年に滞在したモロッコの思い出である金魚鉢が描かれ、内と外の空間をつないでいます。

―サイトより

3章 並行する探求─彫刻と絵画 1913–1930

彫刻も作っていたのか、という驚きもあったし、絵画制作にも大きな影響を与えたのだろうけど、やはりマティスは色があって初めてマティスの作品と言える気がするので、この章はあまり心をひかれなかった。

4章 人物画と室内画 1918–1929

1920年代、ニースに居を構えたマティスは、以前よりも小さいカンヴァスを用いて、肖像画や室内画、風景画を描き、伝統的な絵画概念に向き合うようになります。
本章では、人物画と室内画を中心に、マティスがこれまでの造形的な実験を再検証した10年間の試みを紹介します。

―サイトより

4章から6章までは、写真撮影可能だったので、バシバシ載せていこう。

<パイプをくわえた自画像>1919年
<若いスペイン女性>1921年
<赤いキュロットのオダリスク>1921年
<ニースの室内、シエスタ>1922年
<石膏のある静物>1927年
<緑色の食器戸棚と静物>1928年

5章 広がりと実験 1930–1937

1930年代のマティスは、アメリカオセアニアを旅し、新しい光と空間に触れながら、再び豊かな造形上の探求に戻ることになります。

―サイトより
<夢>1935年 

<夢>1935年 

アトリエでのアシスタントを務めたのちに、秘書・お気に入りのモデルとして、1954年の画家の死までその傍らにいたリディア・デレクトルスカヤを描いた作品のひとつ。
安息する彼女の上半身が画面全体に配置され、心理的かつ造形的な充足が表現されています。

―サイトより
<鏡の前の青いドレス>1937年

6章 ニースからヴァンスへ 1938–1948

再び戦争がはじまり、高齢と病気のためにフランスを離れることをあきらめたマティスは、療養を続けながらニースからヴァンスへと居を移します。彼は、寝たきりの時期であってもドローイングや本の挿絵の制作などに没頭し、ドローイング集『主題と変奏』をはじめとする重要な仕事を残しています。

―サイトより
<ラ・フランス>1939年
<マグノリアのある静物>1941年
<女性の顔(星柄のヴェール)>1942年
<黄色と青の室内>1948年
<赤の大きな室内>1948年 
<ヴェルヴ>

7章 切り紙絵と最晩年の作品 1931-1954

1930年代より習作のための手段として用いてきた切り紙絵が、40年代になると、マティスにとって長年の懸案事項であった色彩とドローイングの対立を解消する手段として、重要なものとなっていきます。

―サイトより

<イカロス(版画シリーズ〈ジャズ〉より)>1947年

残念ながら写真撮影はできず、ネットからのアップロードも難しそう。
検索すればすぐ出てくるはず。見れば、ああ、という方も多いかも。

ジャズというタイトルは、その即興性が切り紙絵と共通するところからつけられたとのこと。
晩年になって、絵画を描くことが難しくなってきたときに、新しいスタイルでまた進化し続けたのは素晴らしいと思う。

8章 ヴァンス・ロザリオ礼拝堂 1948–1951

最晩年にあたる1948年から1951年にかけて、マティスは、ヴァンスロザリオ礼拝堂のためのプロジェクトに没頭します。
建築、装飾、家具、オブジェ、典礼用の衣装などを含むこの総合芸術のために、マティスは、ドローイング、彫刻、切り紙絵など、これまで探求してきた技法を駆使して、光と色と線が融合する空間の創出を目指しました。

―サイトより
<ロザリオ礼拝堂>

大きなスクリーンで、細部まで見られるのは良かったが、映像だとTVと同じだな~という気がしてしまうので、部分的にでも再現して写真撮影ができるコーナーとかがあったらよかったのになあ、という気がした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?