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祖母の事について(私の原点…かもしれない)

私は祖父母の事がとても大好きで、とても尊敬していました。
もう二人とも亡くなりましたが、私の親代わりというか、いわゆる世間一般の「父親」「母親」みたいな役割は、両親ではなくて祖父母が担ってくれていました。
東京下町で中華料理屋を営んでいて、二人とも「the下町のおっちゃん&おばちゃん」みたいな感じで、早口でよく喋るし、良くも悪くもおせっかいで、お祭りやイベント大好きで、見栄っ張りで、でも情に厚くて。

二人とも同い年で、同じ東京下町生まれ。そして、更に二人に共通していたのは「学ぶ」という事にとても強い関心があるという事でした。

そんな祖父母の事を久しぶりに思い出す事がありました。
田中慶子さんのVoicyで、スタンフォード大学の名誉教授ダニエル•オキモト先生の事をお話されている放送があったんです。

「感動した」という一言では足りなくて、とても心が揺さぶられる内容でした。
オキモト先生は、たくさんの悔しい事、悲しい事、怒りとか、そういうものを全部受け入れて、少しずつ昇華していかれたんだなぁと思いました。
詳しい内容は、ぜひ放送を聴いていただきたいです。

実は私の祖母も、いろんな理不尽を乗り越えた人でした。

私は自分の性格や考え方が祖父母にとても影響を受けていると自覚していますし、祖父母のおかげで今の私があると思っています。

今回のVoicyの放送で、慶子さんが「困難は乗り越えたらギフトになる」と仰っていたのですが、祖父母の体験談や考え方は私にとってまさにギフトでした。私の体験もいつか誰かのギフトになるのかもしれないな、なんて思います。ただ、自分の経験や体験をまとめるのは、私にとってはまだ早すぎるというか、言語化できる自信がないので、ちょっと先になるかなーと思います(焦らすな)。でも、いつか書きたいです。

今回の放送を聞いて、ちょっと考えたのですが、祖父母の事をこのまま私だけのギフトにしておくのは勿体ない気がしました。もう亡くなってしまったので、誰も二人の話を聞くことは出来なくなってしまったし。

二人とも、有名人とか、偉業を達成した人ではありません。
でも、当時の時代背景とか、置かれた環境で、いろんな事を乗り越えながら培った二人の考え方や人柄が、誰かのギフトになる事を願っています。
長くなるので2回に分けてお話しさせて頂きます。

今日は祖母の事について。

お嬢様だった祖母

祖母はいわゆる「お嬢様」だったそうです。
東京下町の、家具だったか額縁だったかの職人の家に生まれて、お弟子さんがいっぱいいる家で育ったと。何の職人さんの家だったんだろう。聞いたはずなのに忘れてしまいました。もう聞けないのが残念。
とにかく、祖母は何かの職人さんの家の長女でした。男の子がいなかったから祖母が跡取り娘で、とても大事に育ててもらったと言っていました。

戦争中も当時としてはわりと裕福で、お腹いっぱい食べられたわけではなかったけれど、ひもじい思いをしたことがなかったそうです。
疎開も経験したそうですが、疎開先ではのびのびと田舎ライフを楽しんでいたとか。

終戦を迎え、家族を失った人が多い中、祖母は家族の誰も失うことはなかったのだとか。

ここまで聞いた時は「なんて強運の持ち主なんだ」と祖母の事を思っていましたね。

でも、祖母はある日突然、全財産を失って家族で路頭に迷うことになります。その時、祖母は高校生だったそうです。

当時の女の子の進学はとても珍しかったそうですが、「お医者さんになりたい」という祖母の事を、家族全員が応援して勉強を後押ししてくれたそうです。
そんな祖母が、ある日突然、家を失い、高校を中退しないといけなくなりました。

それは、祖母の母、私の曾祖母にあたる人が、文字の読み書きができなかったことが原因でした。

文字の読み書きができなかった曾祖母

曾祖母は、曾祖父の後妻さんだったそうです。
子供を授からないまま前妻の女性が亡くなり、その後、曾祖父が曾祖母を見初めて結婚。祖母を授かりました。
曾祖父にとって、祖母と、その妹たちは、遅くに授かった待望の我が子でした。
曾祖母は「女の子だから」という理由で学校に行かせてもらえずに、ほとんど文字の読み書きができなかったそうです。
だから、祖母をはじめ、自分の子供たちにはとても教育熱心で、曾祖父もそれを後押ししてくれていたとか。

そんな曾祖父が、祖母が高校生の時に、突然病気で亡くなったそうです。戦争では無事だったのに、戦後、病気で倒れて亡くなりました。

本来なら、お弟子さんをいっぱい抱えるくらいの職人さんだった曾祖父には、たぶんそれなりの財産があったはず。
でも、曾祖母が文字が読めないのをいいことに、いろんな人がだましてきたそうです。そして最終的に、祖母達はほとんど無一文になって家から追い出されてしまいました。

戦後のゴタゴタで「日本中でそういう事がよくあった」「よくある話だったんだよ」と祖母は言っていました。

「女の子だから」というだけで、教育が受けられなかった曾祖母。
子供たちを抱えて、路頭に迷い、どれだけ不安だっただろう。どれだけ悔しかっただろう。どれだけ、子供たちに申し訳ないと思っただろう。

今、自分が実際に母親という立場になって改めて曾祖母の事を思うと、こんなに悔しい事はないし、怒りや恨みがわいて、どうにかなってしまいそうです。

「お医者さん」になれなかった祖母

祖母は高校を辞めて働き始めます。
高校を辞める時に、学校の先生に言われたそうです。
「ゼロは何回足してもゼロだけど、0.1は十回足せば1になる。ちょっとずつでも、勉強は続けられる。知識は増やしていけるからね」

数学が好きだった祖母に先生がかけてくれたこの言葉を、祖母はずっと大事にしていました。祖母にとってはお守りみたいな存在だったのかもしれないし、自分を奮い立たせるおまじないみたいなものだったのかもしれません。
祖母は、事あるごとに、私たち姉妹に言っていました。
「ちょっとずつでも続けなさい。0.1は十回足せば1になるんだよ。でも、なにもやらなかったら、ずっとゼロだよ」

私は数学が大の苦手です。「0.1」って何なのさ、とずっと思っていました。でも、「なんか数字がよく分かんないけど、とにかくちょっとずつでもやれってことか」と子どもながらに理解して、
いろんな「面倒くさいな」と「気が乗らないな」と思うことに出会うたびに「0.1、0.1」とブツブツつぶやき「ちょっとずつちょっとずつ」をするようになりました。

今思うと「ベイビーステップ」とか「スモールステップ」の考え方にも通じるものがあるなぁと思っています。

祖母は悔しかったんだろうと思います。

私が物心ついたころには「本をいっぱい読みなさい」と、たくさん本を買ってくれましたし「知識は武器だからね。知らないっていうのは、怖いことだよ」とよく言っていました。

あとは、
「頭の中のものは絶対に持っていかれない」
「男の人には力では敵わないけれど、知識だったら女だって勝てるんだよ」
と、常々聞かされていました。

私も子供だったので
「なんで勉強しないといけないの」とブーブー言いたい時期があったんですよね。そんな時に、祖母が自分の生い立ちの話をしてくれたんです。

衝撃でした。

女の子が「女の子だから」という理由で勉強しちゃいけない時代があったのか。

文字が読めないという事は、情報の判断ができない、自分で調べることができないという事なのか。

間違えた判断をしたら家から追い出されちゃう事もあるのか。

文字を知らないって、そんなに恐ろしい事なのか。

祖母はお医者さんになりたかったのか。

教育を受けられるという事は、当たり前のことではなかったのか。

ぐるぐるぐるぐる、子供ながらに、いろんなことを考えました。

「学び」について考えるようになった私

私が「学ぶ」ということについて考えるきっかけになったのは、まぎれもなく祖母の生い立ちを知ってからです。
「知らないということは怖いことだ」というのも、後に痛感することになります。「怖い」というか、「チャンスを逃す」ということにも繋がるのか、と痛感する事になりました。
ただ、「何でも頑張んなきゃ」と自分を苦しめてしまった時期もあったので、バランスが大事だなぁと今は思います。

私が自分の娘に「なんで勉強しないといけないの。めんどくさい」と言われたとき、祖母の生い立ちの話をしたんですね。
娘が小学校5年生くらいだったかな。言葉を失っていましたね。
あの時の私のようでした。

「何で勉強しないといけないの」という問いの答えを一言でいうのは、私にとって難しいです。

でも、少なくとも、あの時代、あの時、祖母にとって「学ぶ」という事は、自分の中の武器をどんどん増やして戦う力をつけていくことだったのではないかと思います。
「文字」という武器を母親が使えたら、「敵」を撃退できて、自分はお医者さんになっていたかもしれないのだから。

10代の女の子が、読み書きができない母親を助けながら働いて、小さな妹たちを育てて。
同級生だった男の子たちが、どんどん進学、就職していって。
悔しくなかったはずがないと思います。

もし仮に、祖母の履歴書というか、経歴書の様な物があったとして
そこに書かれるのは
「高校中退」で
大手企業じゃなくて小さな会社の雑用係の職歴で
結婚して女将さんになって。

「何だ高校中退かぁ。途中で辞めるなんて、根性なしだなぁ。この会社も、どこの会社だか知らないな~。あ、でも結婚して女将さんかぁ。良かった良かった」
みたいな見られ方とかするのかな。

でも、そこに書かれなかった、たくさんの悔し涙や、理不尽に対する怒りとかがあるんですよね。

私は、何かを「学びたい」「知りたい」という気持ちに、そんなに崇高な理由は必要ないと思っています。好きな事は続けたいし、もっと知りたいし。「ただ好きだから」「やってみたいから」も、立派な理由だと思うんですね。でも、それは「今の時代だから言えることなんだ」という事を、忘れないでいたいなぁと思います。

私が知ってる祖母はチャキチャキした下町のおばあちゃんです。とても明るくて、よく喋り、自転車を乗り回し、お料理が上手で、時々ぶっ飛んだことを言って祖父に「お嬢様育ちだから」とからかわれていました。負けん気が強くて、知識に貪欲でした。ずっと、好奇心旺盛な人でした。

いろんな事を少しずつ受け入れて、昇華して、「私が知ってる祖母」になっていったんだと思います。

歳をとったら祖母みたいな おばあちゃんになりたいと、私はずっと思っています。

そして
「知識は武器だ」
そう思った10代の少女だった祖母の気持ちも、私は絶対に忘れたくないと思っています。


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