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「懐かしい」を守るという事

大好きなコテンラジオ。
先日の番外編の放送♯100 太宰府天満宮の宮司 西高辻さんのお話を聞いて、思わず涙腺が緩んでウルウルしたので、今回はそのことについて書かせて頂きます。

詳しい内容は、ぜひ放送を聴いて頂きたいです。

この放送の中で、西高辻さんが神社の役割についてお話しされていて、その中で「季節感」であるとか「懐かしい」という事を守っていきたい、というお話をされているんですよね。

それを聴いて、ある体験を思い出して、思わず涙腺が緩んだわけです。

私は夫の両親・祖母と二世帯住宅で田舎で暮らしています。それぞれ、子ども達の祖父母・曾祖母にあたります。
田舎というのは、生活圏内に電車が無くて、最寄りのスーパーは夜7時半には閉まる、観光地でも何でもないくらいの田舎です。

今回お話しするのは曾祖母の話で、私はいつも「おばあちゃん」と呼んでいますので「おばあちゃん」と書かせて頂きます。

今から十年くらい前のある日、親戚から連絡がありました。
おばあちゃんの実家からの連絡でした。
「強風で、庭の、あの大きな樹が折れちゃったの。おばあちゃんに教えてあげて」みたいな連絡でした。
私は「わざわざそんなことで連絡するんだ~。不思議だな~」と思いながらおばあちゃんに内容を伝えました。

その数日後、おばあちゃんは、義母に車で実家に送ってもらって出かけていきました。
その倒れてしまった樹を、危ないし邪魔だから処分するのだけど、その前に集まろうという事になったと。
当時、おばあちゃんは80代後半でした。おばあちゃんの実家に兄弟姉妹が集まって、倒れた樹を見ながら、お菓子を食べたりお茶を飲んだりして、いっぱい話してきたと。おばあちゃんの兄弟姉妹の皆さんも当時80歳前後だと思います。高齢のおじいちゃんおばあちゃんたちが集まって、一本の樹を見て、いろんな思い出を語り合ったのだと思います。

私にとっては「たかだか一本の樹」でも、その家で育ったおばあちゃんにとっては、大事な思い出が詰まった、大事な樹だったのだろうと思います。おそらくは樹齢100年以上あった樹で、おばあちゃんだけでなく、その家の人たちにとって大事な樹だったのだと思います。だから親戚のおばさんも、わざわざ電話をして「知らせなくちゃ」と思ったのではないでしょうか。

あのおばさんは、おばあちゃんの実家の「懐かしい」を守っていたんだな、と思いました。おばさん凄いな、と思って、なんか感動したんですよね。
それを、今回のコテンラジオの放送で思い出しました。

今、私の家には何本か柿の木があります。
私は柿がそんなに好きではないし、甘柿の木だけじゃなくて渋柿の木もあって、食べるのに干したりしないといけないし「めんどくさい」と思うこともあります。というか、毎年「めんどくさいな」と一回は思います。いや、何回かは思います。

でも、「何でこんなに柿ばっかりあるんですか」と聞いたときに、おばあちゃんが「あれは、おじいさんが風よけのために植えただよ」と教えてくれたんですよね。
おじいさん。おばあちゃんの夫。私が夫と結婚する何年も前に亡くなっていて、私は会ったことがありません。でも、その人が植えた木が今も残っていて、毎年実を付けて、おじいさんの息子である義父、孫である夫や義弟、曾孫である娘ぴょん子と息子ピョン太が、柿を食べてるんですよね。

凄いなと思いました。

私は東京生まれで、ビル ビル ビルのコンクリートジャングルの中で育ちましたので、その光景に凄く感動しましたし、凄く羨ましいとも思いました。

少なくとも、ぴょん子たちが大人になるまでは、この柿の木は残したいな、とぼんやりと思う事があるのですが、それは、子ども達の「懐かしい」を守りたいという気持ちなのかも。なんて思いました。

西高辻さんと規模が違い過ぎて畏れ多いのですが。

でも、私も、私なりに、我が家の「懐かしい」を守りたいと思ってるんだな。

ここ数年、近所の田んぼが減って、秋に散歩してるときに稲の香りがしなくなってきたこととか、
いろんなことが一気に思い出されて、また涙腺がゆるむ。

後継者不足とか、ホントにあるから、誰かや何かを責めるつもりはないのですが、あの田んぼや畑は誰かの「懐かしい」だったのかな、とか思う気持ちもあります。でも、田舎の現実も知っているので、複雑です。

私も、できるだけ「懐かしい」を守りたいです。

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