「信じているから期待する」って、本当に信じているの?
ひきこもりに相談で、
「一時期は信じて待っていた。
だけど、どんなに待っていても何も変わらない!」
これを耳にするたびに、「気持ちはわかるけど、そうじゃないんだよな」と思ってしまいます。
先日の記事でも触れましたが、
「信じて待っていたけど変わらないから、どうにかしなくてはいけない!」と言う人ほど、『信じる』が、『期待』にすり替わっていることがほとんどです。
『信じる』と『期待する』の違いって、ネットで調べてみると、恋愛視点でのものや、ビジネス的な視点のものなど、さまざまな視点でこの違いについて触れていますが、
どれも共通して言っていることって、『信じる』と『期待する』は別物であり、『信じる』と『期待する』を端的に言い表すと、見返りや結果を求めているのが『期待』で、見返りや結果を求めないのが『信じる』というもの。
そして、「信じるには、自分力をあげること」と、どれも同じようなことが書いてある。
これには、僕も同意見だし、全くその通りだと思います。
しかし、この、『信じる』と『期待する』が別物だと分かっていても、どうしても、「信じているからこそ期待する」というものが出てくるんですよね。
「信じているからこそ期待する」
これは、非常に複雑な言葉です。
これは、ひきこもりに悩む親にしても、恋愛やビジネスの場面でも同じだと思います。
なので、今回は、ネットで調べれば出てくる『信じる』と『期待』の違いついてよりも、さらに深く、この2つの違いを掘り下げていこうと思います。
この2つの違いは、「ひきこもり」という問題を解決する上で、正しく知っておくことは、非常に重要だと僕は思っていますし、この違いを知っておくだけでも、自身の在り方や、今後の関わり方も変わってくるかと思います。
『信じる』と『期待する』の違いを、違う言葉で言い換えると、
信じる・・・『愛』
期待する・・・『利己的』
になります。
『信じる=愛』なのは、なんとなくでも納得ができても、『期待する=利己的』という表現に抵抗を覚える人もいるかと思いますが、
『期待』というのは、やはり、成果や結果という『見返り』なんですよね。
相手に期待をすることで、成果や結果が伴えば、成果につながったことに安心したり、「自分の選択に間違いはなかった」という、満足感を得たりするでしょう。
しかし、成果や結果が伴わなければ、ガッカリしたり、成果や結果が伴わなかったその責任の所在を相手になすり付けたり、期待した相手を責めたりする人がいたり、期待をした自分を責めたりする人もいるでしょう。
これらは、期待をするという、気持ちを寄せる代わりの対価を求める『取引』みたいなものです。
それに対し、『愛』(信じる)というものには、取引のようなものは存在しません。
『信じているから期待する』というのは、求めている結果などが得られなかったとしても、ガッカリすることもなければ、信じたことが無駄だったという発想にはならないんですよね。
『信じているからやらせてみる』が、本来の『信じているから期待する』であり、それは、相手へ成長の機会を与えることを意味します。
もし、『信じているから期待する』というものに、上述したような、ホッとしたりする安心感や、満足感などの、何かしらのものを相手に求めているのであれば、それは、相手のことを信じていることにはなりません。
自分を満足させてくれるかどうかをジャッジしているようなものです。
『信じる』を別の言葉に言い換えると、『愛』になると上述しましたが、『愛』というのは、ものすごく抽象的な概念であり、その『愛』の一つが『信じる』です。
『愛』については、機会があれば、どこかで記事にできればと思いますが、今この時点で知っておいてほしいのは、『愛』からなる行動や想いに、見返りを求めるものはありません。
『信じる』というのは、人生の学びの中でも、最も難しいとされることの一つと言われています。
『信じる力』を身につけるには、ネットの記事でもあるように、「自分力をあげる」ことはもちろんですが、
僕がお勧めするのは、
まず、あなた自身が、誰かからの期待ではなく、相手から心の底から信じてもらえている実感を得る。
あなたのことを信じ、無条件に応援してもらった、過去の経験を思い出すこと。
あなた自身が、自分のことを心底信じること。
この3つの内のいずれかによる感覚を意識することです。
経験のないことや、わからないことをやろうとしても、それがどういうものかがわからなければ、いざ実践しようにも、さすがに無理があります。
ひきこもりになっている我が子が、自らの力で、今の状況から脱する力を取り戻すためにも、ぜひ『信じる力』を身につけていただければと思います。
また、あなたが思う『信じて待つ』というものが、期待からくるものなのか、それとも、心の底から子どものことを信じてのことなのか、自分の胸に手を当ててよく考えてみることをお勧めします。