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自己肯定感と自信を持ちたいよ

自己肯定感を上げたいと思いながら自信など微塵もないのが私の現実。

思い出してみる。昔のことを。
昔……何も考えず公園で走り回っていたクソガキ時代。ちゃんと勉強についていけていた小学生時代。どこから崩れたかと言うと、中学生くらい。

初めて自殺願望を抱き、毎日死ぬことだけを考えていた中学時代。今もそんな気持ちは心のド真ん中の奥底に潜んでいて、私を飲み込む機会を待っているかのようにことあるごとに悪魔の囁きをする。たまに飲まれそうになるけれど、毎回なんとか振り払っているので今のところ私は無敗である。

「自己肯定感ってどこから来るんだろう?」
と日々考えている。
そしていつも、勉強が出来るとか運動神経が秀でているとか美人だとか、なにか取り柄があれば持てるんだろうな、と言う結論に至る。

取り柄というと、私が褒められるのはいつも決まってある体のパーツ。“手”だ。
「手が綺麗(指が長くて綺麗、
 色白で綺麗など)」
「爪が綺麗」

「手が綺麗」は友達になった人みんなに言われてきたし、今の職場でも2人に言われたので本当に他の人から見たら綺麗なのだろうな、と思う。でも、自分では綺麗だと思ってない。これくらい何度も何度も色んな人に言われ続けてやっと、「私って手がそんなに綺麗なのか」と思うようになったくらい。
たぶん、この「手が綺麗」が取り柄の1つなのかな?と思うが、手が綺麗で得することってある?ないよね〜。だから別に自慢することじゃないし自信にもならない。

それから今の職場では、シャバシャバ状態の卵液でだし巻きを焼くのが誰より上手いと褒められる。

でも、それは職場以外で生かされないし、私から見たら周りの人が作るのと大差ない。いや正直、めっちゃ綺麗に作れたときは自分でも惚れ惚れするくらい「うわぁぁ〜めっっっちゃ綺麗!」って思うけど、それでもまだ他の人と大差ない気がしてる。誰に褒められても本当に「いや、他の人が作ったやつと大差ないじゃん」って思ってる。みんな上手じゃん、と。
だからこれも自信にはならない。

それで思った。
自信ってのは何かに秀でてるからって生まれるものではないんじゃないか?……と。
そんな単純なことじゃないんじゃないか?……と。

つまり、自信には自己愛がつきものなのではないか。自分自身をまず愛せないと自信はついてこないんじゃないか?
真剣にナルシストが羨ましいよ。

もう私はどうすれば自信が持てるか全くわからんのです。私は持ってないものの方が多い人間だから、誰を見てもキラキラして見える。そして自信をなくす。

全ては過去から来てる。
思い描いていた未来図とは全く違う世界を生きている今。なりたかった大人になれなかった自分。全ては過去の産物だ。失敗した自分の尻拭いをしながら未来を模索している日々で、光など無いに等しく、僅かな希望を捨てられずにこの世界にしがみついている孤独な女。それが私。

極論を言うと、そんな自分を愛するしかないってことなのだろう。
死ぬほどポンコツな私を。
死にたがりな私を。
超絶ネガティヴな私を。
あまりにも弱い私を。
泣き虫な私を。
不器用すぎる私を。
何もかもダメダメなクソみたいな私と、
そんなポンコツが一生懸命に描いてきた人生と、
泥臭くもがく毎日を。
こんな人生でもいいんだ」
こんな私でもいいんだ」
「こんな私でも生きてていいんだ」
って思えるように。

自分にもっと優しくなれたら、自己愛も自信も持てるのかな。
理想通りに生きられない自分を責め続けてきたけど、「まぁいいじゃん」「いいんだよ。大丈夫だよ」って唱えて、楽になりたい。自分を許すことが最初の一歩かもしれない。

#私は私のここがすき

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