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【連載小説】『晴子』15

 俺と島田は、一緒に帰路につくことになった。
 結局、井川の野郎は今回の合コンでも散々だった。そもそも、合コンの幹事として遅刻してくるなんて最低だ。開始時間が遅れたことで、女の子側の幹事が心なしかイライラしていたし、そのせいで雰囲気も初っ端から台無しだった。
 井川が無神経を身に纏って到着した時には、一瞬だけ空気がピリついた。それだけならまだしも、井川自身はその空気を全く察することができないでいた。
「いや~。本当に参っちゃうよね。昨日朝まで飲んでからの、今日の3限に提出のレポート爆速で仕上げて、そっからの爆睡。起きれるわけなくね?」
 その場にいたみんなは彼を責めることはしなかった。井川はいつになったら大人の対応を見破れるようになるのだろうか。そして、黙って自分から人が離れていっていることに気付くのだろう。
「今日、大変でしたね。」
 隣を歩く島田が、俺に話しかけてくる。今日のことがなければ不要だったであろう緊張と困惑の中をようやく抜け出せた彼女の顔には、疲労感が滲んでいる。俺の顔も同じように、疲労が滲んでいるのに加えて、内心には井川に振り回された彼女に対する申し訳なさがあった。
「アイツ、今日は尻こそ触らなかったけど、それでも大概だよ。」
「そんなことがあったんですか?」
 俺も疲労でブレーキが外れているのか、島田の前で言うつもりのなかったことを口走っていた。島田の辛うじて反応として示した驚愕の相手をする気力もほとんどなかった。
 今日の井川も、本当にひどかった。遅刻してきたあと、俺と島田には「レポートスピード提出の労を労う」という口実の元、何度もビールを煽った。途中で、気を利かした女の子側の幹事が、井川の目を盗んで俺と島田のビールをジンジャーエールに変えてくれたが、それがなかったら今頃はアイツと一緒にお陀仏になっていた可能性はある。
 泥酔して平衡感覚を失った井川は、テーブルの飲み物を派手にこぼして、女の子のスカートがお釈迦になった。俺と島田は、アイツの代わりに何度も謝って、何とか機嫌を取りながら、ただただ時間が早く過ぎ去るよう念じていた。
 店を出た後、女の子は島田を除いて早々に帰って行った。それを認めた井川は女の子を呼び止めようと、人目もはばからず大声で喚き散らした。
「おい、お~い。んだよ、ノリ悪ぃな。2ひ会は。行くだろぉ。にひかい…。」
 アイツは結局、沿道の植木に突っ込むようにして身を預けた。島田は井川を何とか介抱しようとしていたが、俺の中の何かがそのときピークに達した。
 俺は植木に絡まったアイツの身体を路上に引き摺りだした。千鳥足のアイツはすぐに地面に倒れ込んだ。俺はアイツの背中とケツに一発ずつ蹴りをお見舞いした。
「いっでぇぇ。」
 カエルを踏みつぶした時みたいな汚い声が出た。俺は何も言わずにアイツを見下ろしていた。
「もういいよ、美里ちゃん、コイツ放っとこうぜ。」
 島田は、たった今目撃した光景に目を見開いていた。育ちのいい島田には、見たことのない蛮行に映ったのかもしれない。瞬間、後輩の前で正気を失った自分を少し反省した。それでも、悶える井川を見下す俺の視線は多分、侮蔑の念に満ち溢れていた。
 彼の今日の一連の振る舞いに、怒りを覚えることはなかった。怒りを通り越して、呆れた。そもそも、怒りとは相手に対するなにがしかの期待の裏返しだと、いつかの心理学の授業で聞いたことがある。俺はアイツに何一つ期待をしていないし、何なら今日のアイツの振る舞いはある意味では期待通りではあった。だから怒りを通り越して、というのは嘘で、あるのは何ものをも経由せぬ、直通でたどり着いた呆れだ。
 俺は井川を放置して歩き出した。島田は、歩いて行く方向と井川のいる方向を交互に見返しながら歩いていたから、しばらく俺の後ろをついてくる恰好になったが、それも一度目の角を曲がるまでだった。
「井川さん、大丈夫ですかね。」
 島田は恐る恐る俺に訊く。さっき俺がアイツにお見舞いした蹴りと、無慈悲な放置がまだ脳裏にあるのかもしれない。井川への心配と困惑とに加えて、俺の機嫌を伺うような声音だった。少なくとも、俺の機嫌に気を遣う負担は取り除いてやらなければいけない。
「大丈夫でしょ、もう夏でもないし、地面も冷たくて気持ちよく眠れるさ。それにしても参っちゃうよな。ああいう奴って、どうにかならないかね。」
 できるだけ、あっけらかんと答えるよう心掛けた。他人から機嫌を伺われるなんて、俺は大っ嫌いなんだ。
「前も、女の子にちょっかいだして、ぶち切れられて大変だったってのに。何も学ばない奴は本当に困るよ。」
「井川さんって、元気良いですけど、ちょっと無茶するところがあるっているか…なんと言うか…」
 言葉を選んではいるが、島田が井川に決して良い心象を持っていないことは明らかだ。一応、井川の後輩という立場上、内心を正直に出さないだけだ。島田の性格上、仮に彼女が井川より年上でもキツくものを言わないだろうが。
「なんか、ごめんね。」
 今日2回目だ。思わず口をついて出た言葉は。なんとなく島田に申し訳なくなったのだ。今日の合コンに島田を無理やり誘い参加させたことだけでなく、軽はずみに彼女と彼を引き合わせてしまったことからの全てがだ。
「え?いや、竹下さんは謝らないで下さい。それに、私は別に何にも怒っていませんし。」
 突然の謝罪に困惑したような反応を示した。
 そんな優しい彼女に対して、そういうところがお嬢様なんだよ、とニヒルな思いが湧いてしまう。

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