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【連載】還らざるOB(8)

 十月上旬のその日の朝早く、その唯我独尊のメンバー八名が、成田空港の待ち合わせロビーに集合した。
 出発前の大きなトラブルはなかったが、羽田が集合時間に大幅に遅れ、皆を心配させた。
 遅れた理由を本人は多くを話さなかった。時間とともに羽田は元気を取り戻したが、これから楽しい台湾旅行となるのになぜか浮かない顔をしていた。

 実は、その日の朝、羽田の妻が不吉な夢を見たので、今回の旅行はキャンセルできないかと、羽田に頼んだのである。
 何を今更と羽田は一蹴した。そのやり取りで、家を出発する時間が大幅に遅れを取ってしまった。
 羽田の妻が不吉な予感を感じたのは、近い将来の大変な事故の前触れだったのである。

 ほかにも前触れを感じた人がいた。
 今回の旅行には参加出来なかった横浜在住の平崎である。
 本人は仕事を調整して参加予定であったが、どうしても遣り繰りが出来なく、やむなく不参加となったのである。
 皆が台湾に出発する一週間ほど前、飛行機事故で八名全員が還らぬ人となった夢をみたのである。
 彼は普段から感が強い人間であった。このことを、皆に知らせようかとも思ったが、思いとどまった。

 事故直後、平崎は初めてそのことを家族に話した。いくら叫んでももう彼らは戻ってこない。
 彼ら八人とも独り善がりで、唯我独尊で纏まりがない連中ではあったが、今となっては、なぜか無性にいとおしかった。
 平崎は非常に大切な仲間を失ってしまったと思うと同時に、いまさらながら、彼らがかけがえのない仲間であったと思うのであった。


 日本人の遺体が日本に戻ったのが、あの忌まわしい事故の日から五日経ってからであった。
 ただ彼ら八名の遺体は戻らなかった。

 その後三ヶ月が過ぎ、八名全員の死亡認定がされたのであった。その後、合同慰霊祭が東京で行われた。
 九州から三菱、横浜から平崎、仙台から海名がかけつけた。
 その夜、三人は錦糸町のあの居酒屋にいた。
 言葉数は少なく、物思いに沈んでいたが、店のママが、彼ら八名の思い出話をした時、三名は下を向き、必死に涙をこらえていた。そしてこれから三名で度々国内旅行でもしようと話し合った。それがせめてもの彼らに対する供養だろうと考えた。そして、旅行をしながら、彼らの思い出を話そうと語り合った。

 居酒屋の前に公園がある。
 その公園の小振りの枝垂桜は春ともなれば見事に花を咲かせる。
 その晩、その桜の枝々がゆらゆらと風に任せて、何か寂しげに揺れていた。

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