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【連載】しぶとく生きていますか?㉓

 時代は、次の世と流れゆく。
 川に流れの緩急があるように、様々な色彩を変えながら新時代に向かう。

 昭和も二十年を通り越し、第二次世界大戦で日本が敗れ、戦争に駆り出された庶野の男連中は、戦地で死んだ人もいたが、茂三と松江はその半年後に帰還した。

 二人は満州で終戦を迎え、舞鶴から電報を打って、淑子と澄子を喜ばせた。しかし、茂三の一人息子だけが還ってこなかった。

 二十歳になる一茂は、昭和二十年五月、知覧の航空隊基地にいた。
 一茂はそこから特攻隊員として志願して、開聞岳を眺めながら飛びだっていった。

 その年の暮れ、庶野の役場の人が、淑子に息子の戦死を知らせに来た。骨壺には握りこぶし大の石が入っていただけだった。
 淑子はショックで暫く立ち上がれなかった。
 しかし、たった一人の息子が死んだとは、どうしても思えなかった。その時、澄子が淑子に寄り添い、励ましてくれたのであった。
 
 昭和二十一年の二月、帰還した茂三は、一茂の訃報を聞き、肩を落とした。茂三は淑子と松江純一そして澄子を前にして、
「戦争の惨たらしさは二度と経験したくない。そうだべ松江! 規模の大小に関わらず絶対戦争をしてはならない。様々な国の偉い人たちが、そういう考えでなければだめだ!」
 松江は首を大きく縦に振った。
「広島と長崎にピカドンという原爆が落ちて大勢の人が死んでしまった」とため息交じりに、悔しそうに言うのであった。
 松江は言った。「これから平和な世界が戻るべな」讃岐弁はすっかり抜けていた。
「だどもあんた、戦争で一番苦しむのは女や子供だ。もうこんな経験は絶対したくない」と澄子は涙ながらに訴えた。

 茂三は、思う。
 人間が物事を考えるときの基となるものは理性だ。しかし、理性だけでは不安定な小舟に乗っているようなものだ。なにかその理性の足らないものを俯瞰するのが思想ではないのか、その宗教心ともいえる正しい思想があって、より理性の働きが生かされるのではないかと。

 茂三には、ずっと頭を悩ませていたことがあった。それは、生き返ったときのあの約束だった。
 それは、地球では人間同士が醜い争いが絶えない。茂三が愚かな人間どもを目覚めさせると約束したことだった。

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