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ゴメが啼くとき(連載1)

「ゴメが啼くとき」(1~31話)を連載させていただきます。
戦前・戦後という作品の時代背景から、現代にそぐわない不適切な表現の箇所もありますが、作品の本意を考慮し、お許しください。 杜江

☆ ☆ ☆
 七十三歳になる神田文江は、孝女白菊という絵本を携えて、これまで様々な困難を乗り越えてきた。
 
 ――その絵本とは、明治・大正から戦前にかけて全国的に話題になった孝女白菊という物語である。
 西南戦争の頃、阿蘇の山里で、拾われ育てられた白菊という少女が、行方知れずの父を求めて旅に出る。
 血の繋がらない兄との結婚を望んだ母の遺言で白菊は悩んでいた。その頃、僧になっていた兄と再会し、二人で家へ帰ると、父も無事戻っていたという内容である。

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 文江は、昭和四年(一九二九年)襟裳岬から日高山脈沿いに入った歌別うたべつという地で生を受けた。
 六歳の時、幌泉郡えりも町(現在)目黒にある遠い親戚筋の坂本の家に子守りとして、家から出された。次の年は尋常小学校入学を控えていた。しかし、奉公先では学校に行くような贅沢は、無理な話であった。毎日坂本家の乳飲み子をあやし乍ら一日を過ごすのであった。
 一番辛かったのは、三度の飯時だった。他人の家の食事がこれほど辛いとは思わなかった。伸び盛りの文江は、おなかいっぱいご飯を食べたかった。しかし、奉公に来ている身である。小さいながらも、ご飯のお代わりを要求することはできなかった。常におなかをへらしていた。
 坂本家は、働き盛りの旦那と奥様、旦那の両親、それに昨年生まれたばかりの女の子の五人家族だ。その乳児の名前を昌枝と言った。奥様は産後の肥立ちが悪く、日中も寝たり起きたりしていた。それで、子供の守り役も文江が受け持つことになった。

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