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彼岸の図書館:ぼくたちの「移住」のかたち

 

この記事を書き終えた後


 noteを書き終えて読み終えたあと、あぁ私はこう思っていたんだと自分を客観的に見つめられました。
本の内容についてはあまり書いていません。
この記事に書いていない内容がたくさんあるので、
ぜひ、本を読んでみてほしいです。

彼岸の図書館:ぼくたちの「移住」のかたち/青木真兵・海青子


著者のお二人は奈良県の奥の方で図書館を運営されている。
その図書館は、電車とバスを乗り継いで行くか車でしか行けないような秘境の地。
車の運転すらできない私。
でも私は著書を読んでこの図書館に行ってみたくなった。


お二人は他県から奈良県へやってきた。 
そのことについて、著書の中で「移住じゃなくて、引越」という言葉に
私は自分の中で絡まっていたものがほどける様なすっきりとした気持ちになった

私は旦那さんの仕事の関係で関西の田舎の方に2年強ぐらい住んだことがある。
田舎と言っても、2時間ぐらいあれば大阪市内だし、スーパーもコンビニもある。
生活には困らず、高齢化は進んでいるが、移住してくる人も増えている地域だった。

引越した当初はこのままずっとここで暮らすのだと思っていた。
周りからは、空気がきれいで良いねとか、自然や田舎特有の静けさを羨ましがれた。

そう言われてうれしい気持ちもあった。けれど
移り住んで、私の心は自分で思っていた以上に弱っていた。

都会とは違う気候、夜の静かすぎる町、近所の人の視線、度々遅延する電車。
小さな、何でもないような事。
でも、そんな一つ一つが私にとってストレスになっていた。

そのストレスに私は始め無自覚だったのだと思う。
ただ時々、わけのわからない不安に晒されて
言語化出来ないから、怒りや泣くことでしか表現できなかった。
なんとか平常と保てるようになったのは
精神科に行き、抗不安薬のおかげだった。

薬と時間によって、私の心は少しずつ回復していった。
順応力の低い私は一つの場所に慣れるのに時間がかかる。
私はゆっくりとぬかるみを歩くようにこの土地で生きる自分を認めていったのだと思う。

私は「移住した」と言われると、とても重たいことのように感じていたのだと思う。
この土地へ溶け込むことへの期待のようなもの。
それがストレスの一つだったと後になって気づく。

この地方に住むことによって、土地特有のものに染まることを人は期待している気。
私はそれが苦しかった。
だから、自治体とかに入る必要が出てくるから、家もほしくなかった。

その町に暮らすなら、その集団に溶け込むべきなのかもしれない。
私は社会不適合者なのだとも思う。
でも私には無理だった。
私の言葉はただのわがままだ。でも。

期待は刃物のにもなる。
若い人だからお年寄りを助けなきゃいけない、町のために働かなきゃいけない。
その期待につぶされる人がいるかもしれない。
私はそのことを心に留めておきたい。

あの当時、「移住」ではなく「引越」という言葉を自分の中で使っていれば、たかがそれだけのことかもしれないけれど、私はもう少し生きやすかったかもしれない。

著書の中で青木海青子さんが
「やさしさ」や「配慮」は求められるものなのか。
と訴え、正しさよりも楽ちんさを優先する
という言葉に私は無意識にうなずいた。

最後に予想外に旦那さんの仕事が変わり、また引越することになりました。
今住んでいるところに大きな悩みはありません。


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