ーそうか、これが愛なのかー『ぼくのメジャースプーン』

人は他人のために悲しむことはできないらしい。

小説に出てくるこの一節を読んで、ゾウが群のゾウが死んだ時に弔い、涙を流す習性を聞きかじったことを思い出した。ゾウの流す涙は他象のためなんだろうか。。

主人公の男の子がもう、めちゃくちゃにがんばる物語。クラスメイトで自分にとってのヒーローだと思っているふみちゃんが、凄惨な事件に巻き込まれて心を閉ざした。犯人は到底「情」なんて伝わらない相手。

善悪を裁きたいわけじゃなくて、たった一人の人、を救いたい自分のために彼は動く。

自分自身もPTSDで、きっと彼の今までの人生で一番辛い数か月を送ったことだと思う。寝ても覚めてもきっと彼の頭の中にあったのはふみちゃんと事件のこと。
周りなんて見えていない。
救わなきゃ、どうにかしなきゃ、自分しかできない。

読んでいてジリジリと胸が焼ける感情が、痛くて何度も休憩してしまった。

こんなに誰かのためになにかをしたいと思って必死になったこと、私にもあったなと重なってしまった。



あれはたぶん去年の今頃。

ひさしぶりに会う友達と飲んで遊んで、二人で住んでいた家に帰った日、彼がぐったりと布団に寝転がっていたことがあった。
目が痛い、頭が痛いと唸る彼。
くも膜下出血?なんだろう。原因もわからず、このまま彼が消えたらどうしようと足元が崩れ落ちるような焦り。
スマホを押す指が自分のじゃないくらい震えていたことを覚えている。涙が止まらなかった。症状を唸る彼の横で調べてもわからなくて、近くの大学病院に救急外来の相談の電話をかけても眼科は専門外だと断わられた。

救急車を呼んでいいのかの判断がつかなくて呼ぶかかなり悩んだ。彼も「そこまでのことかわからないけど辛い」と決まりきらなくて。でも、この人が、こんなことで悩んでる間に危ない状態に向かってしまっていたら私は確実に一生後悔する。

そう思って人生で初めて救急車を呼んだ。

救急車に付き添って手を握りしめてた記憶、診察中の苦しそうな声とか、吐いてた背中をさすってた記憶とか、そんなことが今でも頭から消えない。

すごくのために行った行動だと思った。
「彼が助かってほしい」そんな気持ちだった。

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あの時、自分を突き動かしていた感情は、「自分の生活が消えるのではないかという恐怖」「彼の姿がもう見れなくなるのかもしれない恐怖」「親御さんへの申し訳なしさ」

そうか、あれが「愛」だったのか、と気づいたのは別れてからだった。


30年生きてても、愛を見つけたのはここ数年間の体験だけだった。

主人公は、生まれて10年で「愛」を知ることになってた。 愛とまとめるには、純度が高くて、全身全霊で、広い視野で。彼がふみちゃんに向けていた感情は「恋」ではなく「愛」だったんだと断言したい。

自分の命と比べた時に、相手の命を優先させたいと思ってしまう自己犠牲が自己犠牲でない感情。

自分のためにし可人は生きられないけど、相手の反応に喜びを感じられた瞬間、愛だと思ったよ。


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