『当事者は嘘をつく』を読んで①~ぼくとの差異について~

小松原織香さんのエッセイ『当事者は嘘をつく』(2022)筑摩書房を読んだ。

人から薦められていたのだけど、なかなか手に取る気になれなかった。
福岡に移住して、やっと気持ちに余裕ができた頃にAmazonでポチッた。

以下では本文や関連資料を適宜引用しながら、感想を書いていく。書き始めると、思いのほかボリュームが多くなりそうなので数回にわけようと思う。

この①では、筆者とぼくとの立場の差異に特に注目していきたいと思う。

筆者は、冒頭で自身が性暴力被害者であり、その経験をひきずりながら修復的司法を研究してきた「研究者」であると立場を明らかにしている。

そして「この本の目的は、性暴力の被害を告発することでも、被害者の苦しみを訴えることでもない。過去の強烈な経験を引きずりながら生き延びるなかで私が見た風景を描くことだ」(p. 6)と記されている。

このエッセイにおいて注目すべきは、筆者自身がたとえ「本当のことを語ろうとしても、私は嘘をつくことから逃れられない。そう私は感じている。このポイントを、この本のスタート地点にしたい」(p. 6)と宣言している点だ。

このように筆者が宣言する理由は、「過去そのものではなく、私の手によって編集した一部の物語しか、私には提示できない。そのうえ、私はどんなに真摯に本当のことを語ろうとしても『自分は嘘をついているのではないか』という強迫観念を追い払えない」(p.5)からだ。

こうした強迫観念を抱えながら、筆者が見た風景を描こうとしたこのエッセイに記される「物語は真実だが、私は常に『嘘をついている』と思いながら語っている。あなたが私の言葉を疑う以上に、私は自分の言葉を疑っている、だからこそ、私はあなたに最後まで聞いてほしい。真実を明らかにするためにではなく、私の生きている世界を共有するために」(p. 6)という筆者の願いが託されているとも言える。

ここまでで記したような「まえがき」は、Amazonで試し読みができる。
購入前に一度読んだことがあるのだが、切実さは多少伝わってくるのだけれど、全然興味が湧かなかったし、心が動かされなかった。性被害体験が、カウンセリングの場などを通して「捏造」され、「偽りの性的虐待記憶」のために、「無実の親」が有罪判決を受けた時期が欧米などであったのは知っていたし、この本の中でもそれは触れられてはいる。

それにしたって、筆者の強迫観念がぼくにはまるでわからない。

ある人にもぼやいたのだが、筆者は哲学者だからか「真実」に囚われ過ぎているのではないだろうかと思ってしまった。もっと言えば、「自らが語る自己物語が真実である必要性」はあるのか?と素朴に思う。「真実」であるかどうかよりも、溺れ死ぬような難破した物語からその人生を始めざるを得ない者にとっては、「自己物語」なんて「自分を駆り立てるための動力源」や「自分自身を生きやすくするツール」等として活用できれば御の字なのではないだろうかと思ってしまうのだ。

ぼくにとっては、「自己物語」が「真実」であるかどうかは問題にならない。あえて言わせてもらうなら、そんな問いや逡巡は馬鹿げていると感じていると言ってしまってもいい。より率直に言ってしまえば、そうした問いや逡巡を抱けること、それ自体がぼくにはポジショントークに聞こえてしまう部分があるのだと言ってしまってもいい。

ぼくにとっては、「自己物語」が「真実」であるかどうかよりも、自分が紡ぎだしたり、整理した「自己物語」が、外ならぬ自分自身が生き抜く/生き延びる上で、プラグマティックであることの方が遥かに重要なのだ。

この考え方の違いは、ぼくと筆者との立場の決定的な違いに由来する。

筆者は「自分の経験が『嘘である』可能性に怯えている」理由を、「私にとって性暴力被害を受けたという記憶は、自分の人生の根幹に関わる」問題であり、その被害経験によって「私が失ったものは、純潔さでも無垢さでもない。かつてあったはずの『私』である。それ以降の私は、性暴力の体験を源泉にして生み出されてきた。性暴力の記憶なしに、今の私は存在し得ない」(p. 28)からだとしている。

このようにBefore「性被害体験」とAfter「性被害体験」という明確な境界を有する筆者はその後、性被害体験者の自助グループでの活動を通して、共同性の高い「回復の物語」を自己物語として構築/獲得することができたとしている(第三章 回復の物語を手に入れる)。

ちなみにここで筆者が記している「回復の物語」であるが、その基本的な筋書きは以下のようなものである。

「昨日私は健康であった。今日私は病気である。しかし明日には再び健康になるであろう」(アーサ・W・フランク 1995=2002 『傷ついた物語の語り手』ゆみる出版, 114)。

「回復の物語」とはつまり、「困難に直面した当事者が、自助グループを通して回復し、社会活動に従事するようになる」という、「よくあるストーリー」なのである(p. 58)。それは、「テレビコマーシャルによって語られるにせよ、社会学や医療によって語られるにせよ、文化的に最も好まれる語りの形式である」(アーサ・W・フランク 1995=2002 『傷ついた物語の語り手』ゆみる出版, 122)。

翻って、ぼくの「自己物語」を考えてみよう。

ぼくが生まれる前から、父はDV(と外で女遊び)、母は新興宗教。しかもこれが二世代連続で起こっている。聞いた話では、胎児がお腹に居る際でも、父の暴力はあったらしい。

何が言いたいかというと、「物心ついた頃から死にたさと共にあったぼく」にとって、言い換えるなら「生まれ落ちる前から困難の真っ只中で生き抜くことを強いられた当事者」にとって、「回復の物語」が想定するような、「健康であった昨日の私」など存在しなかったのだということだ。

かつて日本の三大ドヤ街の一角と称され、今では「福祉のまち」などと呼ばれることも多い山谷地域で精神科訪問看護や無料低額宿泊所事業を展開するNPO法人代表の友人がかつて言っていた。

「支援者はよく、利用者や患者に対してリハビリテーション(Rehabiritation=再び適した状態になること)が必要っていうけど、それは本当に再び(Re)なのだろうか?リハビリテーションではなく、日雇い労働を頑張って生きてきたようなおじさんたちにとっては、本来の発達段階で備えるはずだった社会的技能とかのハビリテーション、つまり本人たちが『獲得』するための支援と捉えて実践する方がより現実の状態像に即しているように感じる」

「ぼくの自己物語」は、いわゆる「回復の物語」などではなく、基本的には「獲得の物語」という側面が強かったように感じる。もちろん、折に触れて、強烈な体験などがあり、その経験のプロセスとして、「回復の物語」のような筋書きを辿った部分もあるとは思うけれども。

またぼくには、筆者のように自助グループ(=セルフヘルプグループ=SHG)で共同的に「回復の自己物語」を紡ぐ、などという選択肢はなかった。卒論でセルフヘルプグループ論を批判的に検討した際の「はじめに」で、ぼくは以下のように書いている。

従来のSHG論では、「共通の問題をもつ当事者」(久保 1998 : 8)が集まって、経験をわかちあうなかで、当事者の「回復」が達成されていくとされている。たしかに、客観的な視座からはそのように見えるのかもしれない。では、従来のSHG論に則るならば、筆者のような虐待サバイバー、不登校・ひきこもり、躁うつ病など、複合する当事者性を有する者は、それぞれ該当するSHGを1つずつ訪ねて回り、まさしく共通の問題をもつ当事者と話すことによって得られる「深い共感」を通して、よく「回復」することができるというのだろうか。たとえそうだとしても、筆者は自分と共通の問題をもつ当事者からなるSHGに好んで行きたいとはどうしても思えない。自分と共通の問題をもつ当事者からなる当事者グループは、自分には却って居心地が悪そうで、その空間を楽しめる気がしないからだ。

ぼくには、(両親の面前DV=被虐待児)+(新興宗教信者の母=いわゆる宗教二世?)=虐待サバイバー、不登校・ひきこもり、躁うつ病(=精神科ユーザー)、DV加害者/被害者etc.といった当事者性が重層をなしており、上野千鶴子風に言えば、「複合差別」、現代より流布している表現で言えば、インター・セクショナリティ―というアイデンティティがあり、「性被害経験者」という単一の当事者性を強く引き受ける筆者とは、この点においても決定的に立場が異なるのだろうと思われる。

さらに話を先取りすると、自分には障害者福祉の支援者として従事してきている経験や関連する専門資格を有しており、性被害経験の当事者ではあるが、基本的には研究者であるという立場をとる筆者と異なり、ぼくの場合は当事者であり研究者でもあり、支援者でもあるという重層性の差異がある。

こうした立場の差異を出発点として、明日以降はよりこの本の内容に踏み込んでいきたいと思う。

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