研究とかポジショナリティとか

イタリア視察中、研究者を主な立場とする視察メンバー二人に自分の修論データを渡すことができました。

なんと一人は視察の合間や帰りの飛行機の中の時間を使って読み切ってくださったらしく、共に羽田空港に降り立った時に「いただいた修論、読み切りましたよやそらさん!」と声をかけていただき、マジっすか(読んでほしいと言ったくせにドン引き)…!?となりました。

その方が自分の修論を折に触れて読んでくれているのは、なんとなく知っていたので「さすがに自分も久しぶりに読むか…」と読み始めたものの、未だに1章歴史部分(A4で80頁弱)を読み終えたところという体たらく……(^^;)

読んでいただく前からその方には夜の語らいの場で、「やそらさんのような方がこれからのこの分野で必要な新しい部分を切り拓いてくれると思ってます」とか、「自分は医療系出身なので業績の数とかインパクトファクターばかり周りも気にしていて、そんな自分からすると修論で夢中で200頁もの大著を書き上げるなんて本当にリスペクトですよ~」などともてはやされておりました…。

視察の最後にトリエステの海を臨むショットを撮ってもらったのですが、それを撮ってもらっている時も脇から「博論を書く人の顔をしている!」などと激励(?)をもらっていました。

自分の修論は、日本のピアサポート研究の第一人者の先生から「ピアサポートに至る日本の精神障害分野における当事者活動の歴史のマスターナラティヴを当事者の立場から、怒りをもってまとめてくださった」などと評価を頂いたことをぼんやり覚えています。

視察の合間に読み切ってくださった方からも「出版はしないんですか?」と言って頂き、妙なデジャヴに襲われたようでした。

「当事者」として立ち上がり、先行研究を批判し怒りを持って研究することのなんとしんどいことでしょう。

修論は自分は別に書きたくて書いたわけじゃない。こんなに自分が当事者として怒りをもって研究しないといけないような先行研究を重ねてきた連中が悪い!だから自分は自分の研究に責任はもたない!私は書かされたんだ…!!

そんな気分を執筆後長きにわたって抱いていたような気がする。

そんな自分に指導教員は、「ちゃんと研究に責任をもってこの業界が良くなるように働いてくださいね」と折に触れて声をかけてくださっていました。

今回の視察でいろいろ刺激をもらい、激励ももらったので、やっぱりちゃんと博士論文書くか~という気分になりつつあります。

関東で暮らしている時は、大学院を早く出てアカデミズムのキャリアを駆けあがるんだ…!みたいな気負いやキャリアビジョンがありました。

関東を離れてからやっと本来の自分が望んでいたような現場第一、研究少々、教育にもまあ携われるといいねみたいなバランスが取れ始めた節があります。

ところで今回のイタリア視察メンバーは8人だったのですが、それぞれ当事者、研究者、専門職といった明確な立場がありました。研究者の方には研究や教育の傍ら週一回は臨床に立つことを大事にしている方もいましたが。

皆さんのことをふりかえるにつけ、「当事者(精神科ユーザーとしか名乗らんけど)で研究者(博士だから研究者の卵に過ぎんけど)で専門職(ソーシャルワーカーとして働いたことほぼないけど)でもある自分」は、なんだかいかにも中途半端だな~と、今さらながらに思います。

思えばいろんな当事者性についても「中途半端だな~」とコンプレックスを抱いていました。精神科ユーザーと言っても入院経験はない、虐待サバイバーと言っても身体的・性的虐待はない、ひきこもりと言っても斎藤環が提唱し広まった定義の状態像ほどではない、不登校と言っても高校は普通校を3年間で卒業できてしまっている等々

唯一突出できているものがあるとすれば、兄(次男)にも「本当に言語化能力に特化させてしまったんだね」と言わしめた言語化能力位のものでしょうか。

「普通」に対するコンプレックスもすごく強いです。

研究者として食って行こうとしている、普通に器用な人なら業績どんどん出してインパクトファクターの高い良い研究をするのだろうな~と勝手に思っています。

青い芝の会の横塚さんがCP者に呼びかけた鏡の前の自らの姿を凝視せよ、じゃないけど、自分自身以前まで鏡の前に立って鏡に立つ自分自身に向かって「お前は誰だ?」というやり続けると精神が崩壊する実験として名高い例のあれをしつこく自分自身に向けてやり続けてきていたような気が最近しました。

いろんな中途半端さがやっぱりコンプレックスだったし、研究する時って特にそういうポジショナリティ問われますよね。ましてや研究テーマも障害者運動周辺だから、ますますアイデンティティ・ポリティクスに巻き込まれやすいというか。

修論執筆後、「こらーるたいとうで働かないか?」と誘われた際、「お、自分も当事者ソーシャルワーカーになるんかいな?」とワクワクしながら飛び込もうとしたものの、事業所の雰囲気が自分には壊滅的に合わなかったため逃げるようにお断りした経緯があります。福岡では日本ピアスタッフ協会の中心メンバーが運営する法人でピアスタッフとして働こうとしたら、ものの二ヶ月足らずで「あなたはピアスタッフではない」と言われるし…。

ここに来ていま思う/わかったことは、それこそ「つじつまを合わす様に型にはまってく」時、それらの実験や実践をぼくはすべからく失敗してきているということでした。

ぼくはぼくでしかないし経験や知識、関係や多声性の総体としての「○○○○=本名」でしかないんだな~って、改めてしみじみ思う。

視察旅行中、そんな中途半端で業界においても「何者」なのかハッキリ・スッキリしない自分のポジショナリティをあるメンバーの前で嘆いたところ(思えば、しょっちゅう嘆いているな…)こんな返しをいただきました。

「唯一無二な感じがしてすごく羨ましいですけどね」

視察旅行がはじまって一番最初に書いた「イタリア渡航中に掴みたいもの」を、ぼくは今しっかりと掴めていると思います。

とっても幸せなことです。

そんな関係があるからこそ、ぼくは「誰の真似もすんな 君は君でいい」や「僕はこのままで 微かな光を胸に 明日も進んで行くつもりだよ いいだろう? Mr. Myself」という櫻井さんの歌声にしばらくは励まされ続けます。

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