⑥~他者を尊重するとか、大事にするとか~

最近の人間関係のゴタゴタについて、「他者を尊重するとか、大事にするとか」というキーワードを手がかりとして考えていきたい。

ことの始まりは9月2日の福岡で仲良くさせて貰っている女性(以下、仮にNさんとしておこう)との動物園デートを終えたタイミングだった。そこまで親しくないし、ぼくは向こうのことをそんなによく知らない女性(以下、仮にAさんとしておこう)から今すぐにでも電話がしたい、と連絡がきた。

なにせすごい勢いだったので、何かあったのかな~?とAさんのことが心配になったのもあり、ぼくはデート終わりの楽しい気分の余韻をとりあえず棚上げにして、帰宅後すぐにAさんと電話をすることになった。

Aさんと電話を始めると、Aさんは向こうのペースで驚愕の事実を告げた。

「やそらさんのことが好きです…!」

女性から告白されるのなんて、中学生以来のイベントだった。

Aさんには、電話をしたいと連絡をもらった段階で、「動物園デートからの帰りで少しお酒も入ってるから、別日のほうがいいかも~」とやんわり断っていたのだが、そこに畳みかけてくる「意表を突いた劇的な告白」だった。

ぼくはとにかく動揺した。え、なんで?てか、そもそもぼくには交際関係にこそ至っていないものの、Nさんという既にいい感じの女性がいるのだけれども。楽しいデートを終えた余韻に浸りたい時間だったのだけれども…?

ぼくは意表を突かれたことで激しく動揺してしまったが、後から冷静にふりかえると、Aさんの告白はとても自己中だったよな~と感じてしまう。

Aさんは、「とにかく想いを伝えたかった。こんな気持ち初めてで、扱い方もわからなくて、とにかく言葉にしてやそらさんに伝えたかった」という。

Aさんはまたこんな風なことを後からぼくに言い出した。

「やそらさん、私が告白した時の動揺した様子がかわいかった。私はやそらさんを幸せにしたい、大事にしたいと思っています」云々。

ハッキリ言って、主にAさんからぼくへの「意表を突いた劇的な告白」から始まったぼくとAさんとの関係において、ぼく自身としては、Aさんからぼく自身が尊重されたとか、大事にされたと実感できる場面は皆無だった。

これはぼくの悪いクセで、二、三日ほどは恋や慣れない感情に目いっぱい浮かれ、ある面ではとり乱しているAさんのペースに付き合い、向き合った。

とり乱しにはとり乱しで応えるのがコミュニケーションの本来のあり方だとか、田中美津も言ってたしね…。

だがぼくはあっという間に疲弊した。
あたりまえだった。ぼくはコミュニケーションの基本は、キャッチボールに喩えるならお互いがお互いを気遣い、お互いが受け取りやすい球を投げることにあると思っているのだけれど、Aさんにはそういう考え方やコマンドがなかった。彼女は、とにかく「やそらを口説き落とすために全力でボールを投げつけてきた」のだ。

時々ぼくは、Aさんが自分の気持ちを整理するための壁打ちの「壁」としてぼくのことを搾取しているように感じる場面があった。

Aさんとのコミュニケーションの型の基本は、ぼくが想定するようなキャッチボールではなく、初動からしてそうだが、こちらも立って相手のボールをキャッチして投げ返すというスムーズなキャッチボールではなく、大暴投を連発するAさんというノーコンピッチャーのボールを受けるキャッチャーとして、キャッチャーミットを持って、ホームベースの後ろに座ることを強いられたような気分だった。

お世辞にも「ナイスピッチ!」なんて声を掛けたくなるようなボールは一球も来なかった。とにかく、あっちへこっちへ飛んでいくボールをジャンプしながら捕球したり、ゴールキーパーの如くAさんの大暴投球に飛びつくことを強いられるような、そんなコミュニケーションだったのだ。

いや、本当は別に大暴投ぶちかますピッチャーに無理に付き合って捕球したり、飛びつくようなことしなくてもいいのだけれども…。ここは本当にぼくの「人が良い」のが災いしている気がしてならないのである。

だから、「もっと投げ返しやすい球を投げてよ」とAさんに訴えた際、向こうから帰ってきた球が「大暴投でもなんでも、私はボールは投げたのだから、きちんと私はやそらさんにボールを投げ返してほしい」などと向こうの要求を突き付け返されて、そんあボールに応答責任を覚えてしまうのだ。

「こんなのコミュニケーションじゃないし、なんであなたはこちらが受け取りやすい球を投げようと工夫もしないんですか?せめてそのために、頼れる友人とかに相談して、それでこちらが受け取りやすい球を考えてから球を放るとかできないんですか?」と言ったその翌日に、ぼくからの要望を無視したAさんは、またも勢いそのままに大暴投をぶちかましてきた。

ぼくとしても限界だった。

「大事にしたいと思ってるとか言ってたけど、ぼくの実感ベースでは微塵も一ミリも大事にされたなんて思えないです。こんな関係長続きしないし、ぼくもとてもあなたのことを大事にできる気がしないです」

ぼくにここまで言われたAさんは、申し訳なさそうに泣いていた。

最近、新婚だったのに離婚したらしい高校の同期とも話したけど、本当に相手を尊重するとか、大事にするとかって難しい。それぞれにその言葉からイメージする言動や状態、雰囲気などが結構違うと思うのだ。だから、まずはそこら辺の認識のすり合わせなどが本来、必要なのだろうと思う。

実は、そういった認識のすり合わせをぼくはNさんと既にしていた。

すり合わせの結果出てきていた、ぼくとNさんなりの「相手を尊重する、相手を大事にする」というのは、言葉にしてしまえばやはり陳腐にはなるのだけど、「相手が嫌がることをしないこと」「相手がやりたいと思っていることを応援すること」「相手との関係において何か問題が起きた時に適切な距離感で責任の線引きができること」などが挙げられた。

そもそも、こうした認識のすり合わせというコミュニケーション自体、相互の信頼関係の上に成立していると言っても差し支えないのかなと思う。

余談だが、瞑想実践に関する本を読んでいて、そこで出てくる全体を見て、適切に振る舞うというような考え方や姿勢というのは、相手を大事にする、相手を尊重するということにおいて、とても大事な視座を最近のぼくにもたらしてくれていたことを記しておきたい。どの程度理解して、できているかは知らんけど。

Nさんとの間ででてきた相手を大事にするとか尊重することの実例として挙げられた内容と照らし合わせるなら、Aさんは明らかにぼくという「相手が嫌がることをしないこと」をたーくさん破っている。それでは、大事にされていない、尊重されていないと思われても仕方がないだろう。

Nさんは、もうひとつ、相手の尊重、相手を大事にすることの具体例を挙げていた。

「相手が間違ったことをしていた時に指摘したり、叱ったりできること」

ぼくはAさんから大事にされていないと実感を抱いているのに、にもかかわらず、ぼくは多少擦り切れながらもAさんを大事にしてしまっている…。

Aさんにも最初のうちからこう言っていた。
「ぼくはこのよくわからん色恋沙汰の当事者になる気はあまりないし、3割位はあなたの人間関係の円滑な築き方の訓練相手位の認識で関わってる」

人が良過ぎるんだよな~
これはもうぼくの病理かビョーキなのだと思う。

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